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J3からブンデス、そしてW杯へ。日本代表DF安藤智哉が見せるザンクトパウリでの日進月歩

2026.02.08

遣欧のフライベリューフリッヒ#21

「欧州へ行ってきます」。Jリーグの番記者としてキャリアをスタートさせ、日本代表を追いかけて世界を転戦してきた林遼平記者(※林陵平さんとは別人)はカタールW杯を経て一念発起。「百聞は一見にしかず」とドイツへの移住を志した。この連載ではそんな林記者の現地からの情報満載でお届けする。

今回はアビスパ福岡から欧州へのチャレンジをスタートさせたばかりの日本代表DF安藤智哉にフォーカス。J3でプロとしてのキャリアをスタートさせ、27歳でドイツへ渡り、高みへの挑戦を続けている。そんな男の“今”に林記者が迫った。

欧州の最前線で直面する新たな“水準”

 2026年2月3日。レバークーゼンのホーム、バイ・アレーナに詰めかけた3万210人の観衆が放つ地鳴りのような歓声が、冷たい夜気を震わせていた。

 DFBポカール準々決勝。ブンデスリーガ屈指のポゼッションサッカーを志向するレバークーゼンの流麗なパスワークにザンクトパウリは翻弄されていた。右CBとしてピッチに立つ安藤智哉は、その流れの中で、体感したことのない水準の“個の圧力”に晒されていた。

 マルタン・テリエ、パトリック・シック、そしてアレハンドロ・グリマルド——。

 欧州トップクラスと言っていいであろう刺客たちが容赦なくザンクトパウリ守備陣へと襲いかかり、スコアボードには0-3という残酷な数字が刻まれていた。

 試合後、ミックスゾーンに現れた安藤は、険しい表情を浮かべながら「少しの隙でも突いてくる。レベルが高い相手だった」と率直な実感を絞り出した 。それは、5年前にはJ3のピッチで戦っていた男が、欧州の最前線で直面する、剥き出しの現実だった。

大学、J3、J2、J1からブンデスへ

 安藤は2021年に愛知学院大学から当時J3のFC今治でプロキャリアをスタートさせてから、大分トリニータ、アビスパ福岡と這い上がってきた。

 そして今冬、27歳にして初めて欧州の地へと足を踏み入れた。移籍先はザンクトパウリである。

 近年の日本サッカー界のトレンドからすれば“晩成”と言えるかもしれない。ただ、日本のあらゆるカテゴリーで揉まれてきたその足跡は、未完成な若手にはない即戦力としての完成度を彼に授けていた。それはアレクサンダー・ブレッシン監督の言葉からも読み解くことができる。

 「彼はしっかりとした育成を受け、状況判断に優れ、特定のポジションに縛られない選手だ。予測力が高く、前方に向けた守備によって多くのボールを奪える。さらに、鋭い初動と空中戦の強さもあり、攻撃面でも脅威になれる」

 特筆すべきは、現地メディアも注目しているザンクトパウリ独自の選定基準だ。ザンクトパウリは選手を獲得する際、人間的な側面も重要視していると言う。ブレッシン監督も「人間的にも我々のチームにフィットする必要がある。それは極めて重要なことだ」と説明しており、獲得に踏み切る上で、安藤の“人柄”も重要なポイントの1つであったことは特記しておきたい。

 ただ、初の海外挑戦には、環境への適応と言語の壁が立ちはだかる。実際、英語を猛勉強中の安藤にとって、最終ラインでのコーチングは容易ではなく、新生活は苦難の連続だった。

……

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Profile

林 遼平

1987年生まれ、埼玉県出身。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることに。帰国後、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。

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