いよいよ来年に開催が迫る中、日本時間12月6日午前2時に組み分け抽選会が行われる北中米W杯。そのプレーオフに持ち越されている6枠を除いた42カ国、さらには歴代出場国を含めても最少人口となる18万人の島国でありながら史上初めて北中米カリブ海予選を勝ち抜き、本大会への切符をつかんだのがキュラソーだ。“奇跡”を生んだ帰化選手軍団らしからぬ「一体感」の正体に、7年前から注目していた安洋一郎氏が迫る。
これは人口18万5000人の島国が起こした奇跡である。
オランダの構成国であるキュラソー代表が、2026年に開催される北中米W杯の出場権を獲得した。
彼らは2018年のロシア大会に出場したアイスランド代表の記録を塗り替え、史上最も人口が少ないW杯出場国となる。国の面積も史上最小だ。
キュラソー代表が成し遂げた快挙は、あらゆる条件がそろったことによる“奇跡の連続”によって生まれた。
彼らにとって好条件となったのが出場枠の増加だ。出場可能なチームが「48」に増え、アメリカ合衆国、メキシコ、カナダの共同開催となったことで、北中米カリブ海予選のハードルが過去の大会と比較すると下がっていた。
ただ、キュラソー代表がW杯に出場できたことを「幸運」の一言で片づけるのは浅はかだろう。
代表チームの発足は2011年と歴史が浅い。キュラソー島は人口が少ない上に、多数のMLBプレーヤー(メジャーリーガー)を輩出している野球文化が盛んなカリブ海に浮かぶ島ということもあり、サッカーが発展する土壌もない。
実際に地元出身の選手は、マンチェスター・ユナイテッドの下部組織出身で知られるタヒス・チョン(シェフィールド・ユナイテッド)のみだ。
常識的に考えれば、この環境の代表チームがW杯に出場することはあり得ないだろう。
それでもキュラソー代表は北中米カリブ海3次予選を3勝3分の無敗で勝ち抜き、最終戦のジャマイカ代表戦では相手のシュートが3度もポストに直撃する幸運も彼らを味方した。
なぜ、キュラソー代表は不可能だと思われた目標を可能にすることができたのだろうか。
なぜ帰化選手軍団?キュラソー島とオランダの歴史的関係
キュラソー代表を語る上で欠かせないのが、オランダとの歴史的な関係だ。
キュラソー島は2010年まで複数の島で構成されるオランダの自治領「オランダ領アンティル」の中心地だった。
オランダが1634年に当時スペイン領だったキュラソー島に進出。首都ウィレムスタットは15世紀から17世紀にかけての大航海時代の「オランダ西インド会社」の拠点だった。
そのためカリブ海に浮かぶ島ながらも、街並みはヨーロッパの影響を強く受けている。
キュラソー島とオランダは、地理的には遠く離れているが、文化や言語など、本国との共通点も多い。そのため時代が経つに連れてキュラソー島からオランダへと生活の拠点を移す人々が増えた。
その結果、キュラソー島にルーツを持つオランダ生まれのサッカー選手が多く誕生する。
例えば、オランダ代表のレジェンドであるパトリック・クライファートの母親はキュラソー島の生まれだ。
現役のオランダ代表であるユリエン・ティンバー(アーセナル)とクインテン・ティンバー(フェイエノールト)の母親もキュラソー島の出身。彼らの兄であるディラン・ティンバー(VVVフェンロ)はキュラソー代表を選択している。
他にもヨレル・ハト(チェルシー)やルシャレル・ヘールトロイダ(サンダーランド)らキュラソー島にルーツを持つ選手が多数いる。
彼らのようにオランダ代表に選出される実力がある選手たちを、キュラソー代表に勧誘することは現実的ではない。
しかし、オランダ代表に選出される実力がない選手からすると、W杯出場の可能性もある代表チームの話は魅力的に映る。
この境遇の選手たちに、積極的に声を掛けることで強化を図ったのだ。
わずか数年でFIFAランキングが100位以上アップ
キュラソー代表の認知度が一気に向上したのが、初期メンバーの1人であるクコ・マルティナの存在だろう。
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Profile
安 洋一郎
1998年生まれ、東京都出身。高校2年生の頃から『MILKサッカーアカデミー』の佐藤祐一が運営する『株式会社Lifepicture』で、サッカーのデータ分析や記事制作に従事。大学卒業と同時に独立してフリーランスのライターとして活動する。中学生の頃よりアストン・ヴィラを応援しており、クラブ公式サポーターズクラブ『AVFC Japan』を複数名で運営。プレミアリーグからEFLまでイングランドのフットボールを幅広く追っている。
