SPECIAL

“13歳の戦術家”だった19歳がウェールズへ旅立つ理由(前編)。高校生で地域リーグの現実を知ったからこそ描いた夢

2025.09.11

“13歳の戦術家”として一部SNS上で話題になっていた宮下白斗さんは、なんと高校生で福山シティFCの正式なスタッフとして現場を経験し、19歳になった今、サウス・ウェールズ大学へ留学しようとしている。とどまることのない情熱で前例にないキャリアを歩む“小学生でサッカーに魅せられた男”に話を聞いた。

前編では、“13歳の戦術家”→福山シティFC→ウェールズ留学という激動のキャリアについて掘り下げてみたい。

高校生で「現場」を経験する異色のキャリア

——では、まず自己紹介をいただいてもいいですか?

 「はい、名前は宮下白斗と言って、2006年生まれです。ドイツワールドカップの年に生まれ、今19歳です。13歳の時に “13歳のサッカー戦術分析”って名前でTwitterとブログでの活動を始めました。

 もともとはいろいろな試合やチームの分析をノートに書くようになって、まずは自分の中で試合を観て研究してというのをやっていた感じでした。それを外向きにも発信し始めたら、いろいろな方とつながる機会も出て世界が拡がっていった感じですね。それこそセミナーとかに出る機会もいたただいたり、Jリーグの方ともちょっと交流を持つ機会もいただけたりしました」

——結構その若さについて驚きをもって迎えられていた印象です。

 「はい、セミナーとかに出ると、『本当に中学生だったんだ!』という感じに驚かれることは多かったですね(笑)」

——その流れでネット上を超えた活動も始めたわけですよね。

 「ネットでの交流をきっかけにして中学卒業の時、つまり高校入学のタイミングですね。そこで福山シティFCで実際の指導に携わることができました。福山はJFLの下にある地域リーグのチームです。地元の大阪からそのタイミングで広島に移り、まずは1年間スクールコーチをやらせていただきました。その後の2年間はトップチームでコーチと分析担当でした。つまり高校3年間は福山でコーチとしての経験を積んだ形ですね」

——インターンみたいな感じですか?

 「いえ、しっかりお金ももらって、業務委託される形での指導者業でした。高校は通信制にしています。トップチームが午前中に練習をしているので、その後のミーティングとかも含め、全日制の学校だとほとんど参加できないんです。まず練習に出られないですし、夕方にちょっとミーティングに入れるかどうかみたいな感じになってしまう。すごく限定的な参加の仕方になってしまうのがわかっていたので、そういう選択にしました」

——それはすごい覚悟を持っての挑戦ですね。

 「インターンというか、“お手伝い”みたいな感じで入っても、チームのために何かできるか疑問でしたし、自分の経験にもならないと思いましたから。試合までの意思決定とか、それを受けて練習でどうするとか、そういったものに関わりたかったですし、それであれば通信制にしてでもそこに入っていく、コミットできるようにするべきだと思ったんです。指導者としての道を歩んで行きたいのであれば、自然な決断だったと思います」

——わっきー(脇真一郎)さんに騙されたのかもしれないと心配していましたが……?

 「確かに、ちょっと怪しい雰囲気ですよね!(笑) でも本当にワッキーさんにはよくしていただきました。福山に連れてきていただいて、トップチームにコミットした仕事ができた。それは本当に貴重な経験でした。ワッキーさんはもちろん、福山シティFCの皆さんには感謝してもしきれません」

——本当に普通の高校生では絶対にできない、大きな経験ですよね。

 「特に高校2年の時、つまりトップチームで1年間フルで初めてやった年ですね。その時に地域チャンピオンズリーグの惜しいところまで行けたのは大きかったですね。本当にいろいろなものが見えたというか。ただ、そのシーズンが終わってから、『この働き方を続けていくと、この先の成長はなくなるんじゃないかな』という風にも感じるようになりました。自分はそもそも海外で、特にヨーロッパで指導者をやりたいという気持ちを持っていた中で、それまで確保していた勉強の時間、特に英語を勉強する時間が全く取れなくなっていたりしたんです」

——現場の仕事でどうしても忙殺されちゃっていたわけですね。トップチームの勝敗にコミットしているとなると、妥協はできませんからね。

 「そうなんです。だから、現場の経験を積むにはめちゃくちゃいいんですけど、その先のステップに向けては、むしろ準備不足になっていく感覚もありました。そこで次のことについて考え始めた感じですね。福山では大事な役割を与えてもらっていて、あともう1年間は指導者としての現場経験をしっかり詰める。ただ、その後はまた違う形に行くべきだなと思うようになりました。だからこのやり方は3年間で終わりにして、次のステップへ行こうと思っていた形です」

なぜ、ウェールズの大学を選んだのか?

——その中でいろいろな可能性を考えたわけですね。

 「そうです。まずは、いろいろな人に話を聞いてもらい、これまでお世話になった方ともそうですし、Jリーグで戦っている、勝負されている方や海外経験のある指導者の方にも話を聞くことができました。その中で、イギリスのサウス・ウェールズ大学に次は進もうと決めました。実は当初、来年の予定だったんです。シーズン終わってから本気で考え始めたので。期限がすごくカツカツになっていたので」

——それはそうなりますよね。

 「ちょっと現実的じゃないぞ、と。(入学のためには)英語の資格(IELTS)も取らないといけないので。さすがに厳しいんじゃないかなと思ってはいたんですけれど、でもダメ元で大学に直で話をしてみました。『とりあえずIELTSは間に合わせるから、一回待ってくれ』みたいな感じで」

——そんなことできるんですね(笑)。

 「書類は出せるものから出していくから、『他はちょっと待って』っていう風に話をしてみたら、そしたら『ええで。かまへんかまへん』みたいな感じだったんですよね。そして、9月から行けることになりました」

——素晴らしいですね。そうやって主張していけるのは海外向きのメンタリティです。

 「で、その行くまでの間は、少しだけOSAKA CITY SC(大阪府1部リーグ)のところで、パートタイムですけど、少し現場にも出させてもらっていました。その間に英語の資格の準備もして、留学にあたってのビザとかいろいろな準備もやりました」

——それじゃあ、資格もクリアしたんですね。

 「はい、IELTSはクリアできましたし、ビザも無事に取れました」

——あとは、そもそもサウス・ウェールズ大学にした理由っていうのはどういうことだったんですか?

 「まず前提として、ヨーロッパで長く、それも高いレベルでやるためには、絶対にライセンスが絶対に必要になると思っていました。だからまずはそこをクリアできる場所へ行く必要があります。なおかつ、やっぱりビザの問題も大きいんです。ビザが下りないところへ行っても仕方ないんですよね。海外のいろいろな国でやってる人に話を聞かせていただくと、やっぱり労働ビザがなかなか下りなくて苦労されている方が多いんです」

——ヨーロッパは全体的に厳しくなっていると言いますよね。

 「そのせいで帰って来ざるを得ない指導者の方も多いんです。その上で、やっぱりライセンスが大切になる。現地の人でもライセンスを取得するにはすごく順番待ちをさせられて、時間がかかることが多いんですよね。何回も選考で落ちたりする人も珍しくないそうです。一方、このサウス・ウェールズ大学であれば、卒業するまでにUEFA-Bまでライセンスは取れるようになっているんです。授業の中にその講習が組み込まれている大学なので」

——それは大きなメリットですね。

……

残り:3,431文字/全文:6,621文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

TAG

カルロ・アンチェロッティガンバ大阪キャリアサウス・ウェールズ大学ジョゼ・モウリーニョトーマス・トゥヘル宮下白斗福山シティFC

Profile

川端 暁彦

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣『エル・ゴラッソ』を始め各種媒体にライターとして寄稿する他、フリーの編集者としての活動も行っている。著書に『Jの新人』(東邦出版)。

関連記事

RANKING

関連記事