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社会人になっても、サッカーが好き。会社を辞めドイツへ渡り感じた変化

2020.04.10

2018年5月に創設されたフットボリスタのオンラインサロンフットボリスタ・ラボ」。国外のプロクラブで指導経験を持つコーチに部活動顧問といった指導者から、サッカーを生業にこそしていないものの人一倍の情熱を注いでいる社会人大学生、現役高校生まで、様々なバックグラウンドを持つメンバーたちが日々、サッカーについて学び合い交流を深めている。この連載では、そんなバラエティに富んだラボメンの素顔とラボ内での活動、“革命”の模様を紹介していく。

今回は、大学までプロを目指してサッカーに打ち込み、社会人サッカーまで経験した堀本麦さん。2019年8月収録のインタビューで、ドイツに渡ってサッカーを学びアナリストを目指す彼に、サッカーへの向き合い方の変化や今後の展望について聞いた。

小学校から社会人までサッカー一筋


──まずは自己紹介からお願いできればと思います。ご出身はどちらなんですか?

  「生まれは鳥取ですが、ほぼ町田出身です。小2でサッカーを始めて、小・中は町田JFC、その後桐光学園、同志社大学でプレーしました。町田JFCは特徴的なチームで、中学の3年間はドリブルばかりやってました」


──ずっとレギュラーで活躍されていたんですか?

  「そうですね。小・中の時は、トップ下で攻撃専門でした。東京都選抜やナショナルトレセンに行ったり、選考的には小学校あたりがピークでしたね(笑)。高校入学後すぐに足首を脱臼骨折して、手術してボルトを2本入れました。これは今も入ってるんですけど。復帰後もバランスが崩れてしまっていてシンスプリントになったりなかなかうまくいかなかったんですが、高3の夏には試合に出してもらえるようになり、その後選手権も全国3回戦まで行くことができました。大学時代の同志社は僕が入学する前の年はインカレでベスト8に進んでいて、ここなら関西でも強いし勉強も頑張れるなと思って行ったんですけど、入ってからは低迷してしまって(笑)。甘くないなと思いましたね」


──4年の時にはキャプテンをやられていたんですよね。

 「はい。2部で戦うことが決まっていたので、気持ちの切り替えには時間がかかりましたが、とりあえず昇格して終わろうと。チームのことと自分のことについて今まで以上に向き合うようになりました。その年に運良く中西哲生さんがテクニカルディレクターで来てくれたりして、学びが多かった1年だったと思います」


──その後、進路を決断したのはいつ頃だったんですか?

 「就活が始まる直前に決断しました。プロの練習参加と並行する提案ももらいましたが、どっちつかずの状態も嫌だったので一本に絞り、結果として東京海上日動に決まりました。迷いましたが、仕事と会社のサッカー部での活動を両立することにして。今まで向き合ってきたものが、社会人になることでどう変化するのか、確認したかったので」


──実際にやってみてどうでした?

 「職場が茨城県の水戸で。練習場のある東京の多摩までは電車で2時間半、車を使っても2時間でした。なので、毎週金曜に仕事を終えた後、実家に着くのが深夜過ぎで、翌朝8時から練習して、日曜は試合。そこから水戸に帰ったら23時頃なんてこともありました。翌日からはまた6時頃に起きて仕事みたいな(笑)。現役の時よりもオフが短かった年もありました。オフ期間も仕事はありますし」


──ずっとちゃんとサッカーを続けていたんですね。

  「そうですね。純粋に好きだったのもありますし、ずっとやっててもまだわからないことがあるというか。この歳になっても試合中に発見があったりする。それが一番好きなところかもしれないです」


──そんな中、フットボリスタはどういうきっかけで読むようになったんですか?

 「去年(2018年)の1月から副将になり、練習メニューの作成と進行、戦術の提案とビデオ分析など多くの役割を与えていただきました。ただ、それまでマネージメント側の経験がなくて、どうしようと思っていて。そんな中でフットボリスタの存在を教えてもらったのが出会いでした。サッカー雑誌を勉強目的で読んだことがなかったのですが、内容的に他とは違うことが書いてあるのはすぐわかりました。読み返してやっと理解できたりする部分もあり、勉強になるなと。選手として感覚でやっていたことがちゃんと言葉や図になっていると感じました」


──練習メニューを作ったりする中で参考になりました?

 「めちゃくちゃ参考になりました。ちょうど5レーン理論とかが出始めていた頃で、僕も同じようにシンプルな図と言葉でチームメイトに伝えられたらと思って、勉強させてもらっていました」

バイエルンの監督に就任したペップ・グアルディオラが練習場のピッチに4本の線を引き、チームに浸透させたことで知られるようになった「5レーン理論」

会社を辞め、サッカーを学びにドイツへ


──その流れで昨年(2018年)夏にフットボリスタ・ラボに入ってくれたんですね。その後会社を辞めてドイツに留学されて、今もドイツにいらっしゃるわけですが、それは何がきっかけだったんですか?

 「自分の外側にあるものと内側にあるもの、どちらが大切なんだろうと考えた時に、僕は後者のタイプなんだと社会人を経験して気づくことができました。没頭できるのはやっぱりサッカーで、それで何か人の役に立てたらいいなと。フットボリスタに刺激を受けたこともあり、まずは海外の人たちがサッカーをどう捉えているのか、現地で見てみようと思いました。他のヨーロッパの国だと結構お金がかかってきちゃうんですけど、ドイツだと学費もほとんどかからないし、自分が生活していきながら勉強できる。そこから他の国に興味が出てくるかもしれないし、とにかく日本にいて考えているだけでは何も進まないと思ったので、決断しました」


──ケルン体育大学を目指しているんですよね。

 「はい。分析に興味があって、ケルン体育大学だとドイツのサッカー協会と提携していたりとか、大学院にスポーツ分析専門の学科があるので、面白そうだなと」


──会社を辞めることに葛藤とかはなかったですか? 周りから止められたりは?

 「ほぼ即決でしたね。家族にも友達にも誰にも相談しなくて、気づいたら辞表を出してました」


──今はドイツ来てどれくらいですか?

 「去年の11月からなので、8カ月くらいですね。ドイツに渡ってからはずっと語学学校に通ってます」


──だいぶしゃべれるようになりました?

 「一応、日常生活は問題ない程度にはなりました。やってみると面白いというか、言葉を学べば学ぶほど、向こうの人との考え方の違いや物の見方の違いがつかめるところがあって。僕はそれがすごく楽しくて。同じサッカーをやっていても見ている景色が違うんじゃないかなと思うようになりました」


──向こうでもプレーはしているんですか?

 「昨年はドイツ7部でプレーしていましたが、今年(2019年)は9部に移籍しました。家から5分のところに練習場があり、かつスペイン人監督なので、時間を有効に使いながらスペイン語も勉強できる環境だと思い決めました。順位やカテゴリーは今の自分にとってあまり関係ないですね」


──どうですか、ドイツ7部のレベルは?

 「ツバイカンプフ(1対1の勝負)という言葉もあるくらいなので、やっぱり1対1が重視されます。フォローは基本的にない(笑)。そのポジションでバチバチやって、勝てる奴が強いみたいな」


──現役時代と勉強するようになった今とで、サッカーに対する捉え方は変わりましたか?

 「大局観みたいなものを持って試合を捉えるようになったと思います。大学まではプロになりたいという思いがあったので、力んで、自分本位に、ここでボールを受けてシュートまでいって終わるんだ、みたいな感じでした。今は、全体の中で一番良いプレーを選ぶことが結果的に自分の利益に繋がると考えてます。僕はフィルミーノが好きなんですけど、あまり数字には出ない部分ですが、ボールを散らしておいて最後は結局自分のところにボールが戻ってきたりしている。こういうイメージで現役の時にプレーしたかったなと」

プレッシャーを受けながらパスを捌くフィルミーノ


──ドイツに行ったことで見え方もまた変わってきた?

 「はい。ボールに寄らないというか、各々がポジションを守るので、駒としてどういう動き方をするかを考えるようになりました。以前、中村憲剛選手が50:50の可能性のパスだったら今は出さないようにしていると言っていて。個人的には、相手も危険と感じる瞬間に50:50のチャレンジをするのではなく、あえてその勝負を避けて、相手が次は100%パスだろうと思う場所で50:50のパスを通すことなのかなと。そういう全体最適の中でいつそのカードを切るかみたいなところは、身体能力の高いドイツ人を相手にすることで見えてきた世界でもあります」


──今後の展望としては、サッカーの分析の方に進んでいきたい?

 「データ畑で育ったわけではないので、どちらかというと定量より定性の分析をしたいのですが、新しいものを生み出していくために、まず基礎を学ぶことは重要だと思っています。林舞輝くんが書いたモウリーニョの記事にもありましたけど、データに意味がないと言えるのは学んだ人だけの権利だと思うので。でも、根源にあるのはもっとサッカーを理解したいという気持ちです」


──将来的には日本に戻ってきて、現場でやるイメージでしょうか?

 「そうですね、僕は監督には向いてないと思うので、コーチが良いのかもしれないです。選手とデータ、選手と分析の間に入れる人間になりたいと思っています。でも今は、先のことを考え過ぎず、いろんなものを見て、経験したいですね」


──最後に、ラボで今後何をやりたいかをお伺いできればと思います。

 「動画のコンテンツとかやりたいですね。誰か呼んで、発信してみたいです」


──それこそドイツにいるから、ドイツにいる日本人や、もっとドイツ語ができるようになったら現地の人と話ができたりもしますよね。

 「そうですね。フットボリスタの考え方が世界でどう受け取られるのか、ドイツ語はもちろん、英語やスペイン語を勉強してしゃべれるようになって、議論をしてみたい。その過程を包み隠さず見せられたらいいなと思います」


──楽しみにしています! 今日はありがとうございました。

フットボリスタ・ラボとは?

フットボリスタ主催のコミュニティ。目的は2つ。1つは編集部、プロの書き手、読者が垣根なく議論できる「サロン空間を作ること」、もう1つはそこで生まれた知見で「新しい発想のコンテンツを作ること」。日常的な意見交換はもちろん、ゲストを招いてのラボメン限定リアルイベント開催などを通して海外と日本、ネット空間と現場、サッカー村と他分野の専門家――断絶している2つを繋ぐ架け橋を目指しています。

フットボリスタ・ラボ18期生 募集決定!

フットボリスタ・ラボ18期生の募集が決定しました。

募集開始日時: 4月9日(木)12:00 ~(定員到達次第、受付終了)

募集人数:若干名

その他、入会手続きやサービス内容など詳細はこちらをご覧ください。皆様のご応募を心よりお待ち致しております。


Edition: Mirano Yokobori (footballista Lab), Baku Horimoto (footballista Lab)
Photos: Bongarts/Getty Images, Getty Images

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Profile

浅野 賀一

1980年、北海道釧路市生まれ。3年半のサラリーマン生活を経て、2005年からフリーランス活動を開始。2006年10月から海外サッカー専門誌『footballista』の創刊メンバーとして加わり、2015年8月から編集長を務める。西部謙司氏との共著に『戦術に関してはこの本が最高峰』(東邦出版)がある。

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