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横浜F・マリノス優勝に5年の重み。サポーターが振り返るCFGとの航海

2019.12.24

2019年のJ1リーグで王者に輝いた横浜F・マリノス。悲願のリーグタイトル獲得を成し得た理由の一つとして挙げられるのが、シティ・フットボール・グループ(CFG)のグローバル・パートナーシップ契約だ。とはいえ、その旅路は決して順風満帆ではなかった。CFGと歩む中でサポーターは何を想い、何を感じてきたのか。同クラブのサポーターであり「#シティズンおいでよ清水戦」の発案者でもあるakira氏にその歩みを振り返ってもらった。

 昨季は残留争いに巻き込まれ12位に沈んだ横浜F・マリノス。しかし、今季は国内屈指のアタッキングフットボールを披露しJ1リーグ最多の68得点を記録。最終節では同リーグ史上最多となる6万3854人の歓声を浴びながら、マリノスは本拠地である日産スタジアムで2位FC東京に完勝を収め、クラブ自ら銘打った「最高の最終戦 THE BIG FINAL」というテーマを見事に実現。15年ぶりとなるJ1優勝を成し遂げたのだった。

 ただ、今季が我われサポーターとって尊いシーズンとなったのは、単に「最高の形で悲願のJ1優勝を果たしたから」ではない。その背景にはこれまで味わってきた“産みの苦しみ”があるからだ。昨季よりもさらに前から“トリコロール”(マリノスの愛称)のサポーターは数多くの苦境を乗り越えてきたのである。

「終わりの始まり」を乗り越えて

 とりわけシティ・フットボール・グループ(CFG)が日本法人シティ・フットボール・ジャパンを設立し、本格的に経営参入した2015年からの5年間は波瀾万丈だった。安定感を欠いた2014シーズンを終え再起を図ったマリノスは、フランス人指導者エリク・モンバエルツを新指揮官に任命。さっそくあのヴァイッド・ハリルホジッチも“師”と仰ぐ名伯楽を横浜に連れてきたのだ。

2015年から2017年まで横浜F・マリノスを率いたエリク・モンバエルツ。現在はCFG傘下にあるメルボルン・シティを指揮している(Photo: Getty Images)

 2015シーズンの開幕直前には攻撃の柱となるはずだったラフィーニャや中村俊輔が負傷し長期離脱を強いられたが、即座にブラジルの強豪サンパウロから期限付きでアデミウソンを獲得。ブラジルの世代別代表で10番を背負った“至宝”は徐々に実力を発揮し、チームを牽引する中心的存在に成長した。今でこそCFGの世界的なネットワークと膨大な情報量に注目が集まっているが、早くからそれを活用していたことがうかがえるだろう。

 これらのオペレーションはサポーターにとっても驚きで、CFGに対する期待や称賛の声が上がる一方、「横浜“シティ”になってしまうのでは」と急激な変化に不安を覚える者も少なくなかった。そして、この懸念は最高潮に達することになる。2017年には中村俊輔、2018年には齋藤学と、伝統の10番を纏ったキャプテンたちが相次いで別れを告げてしまったのだ。チームの象徴を立て続けに失うまさかの展開に、サポーターの中には「終わりの始まり」を唱える者も現れ「マリノスを応援する理由」を痛烈に問いただされたのである。

 だが、この試練が我われサポーターを強くした。昨季は連敗を繰り返したが、CFGのグローバル・フットボール部門のトップ、ブライアン・マーウッドが直接オーストラリアに乗り込んでまで交渉した新監督アンジェ・ポステコグルーと彼の掲げる「アタッキングフットボール」を信じ、揺るがぬ決意を胸に声を枯らして声援を送り続けた。

 このシーズンにクラブは、大きな変化にもついていくサポーターに寄り添う姿勢を見せる。定期的にサポーターとのミーティングを開催し、スタジアムでの施策考案やグッズ開発などを行う「沸騰プロジェクト」を始動させたのだ。

 筆者もこのプロジェクトに参加しているが、現在までにサポーターのアイディアが数多く採用されている。例えば、マリノスサポーターの象徴である「トリコロールパラソル」をワンポイントに取り入れたアパレルグッズは、イタリアの名門ユベントスの「J」一文字でクラブの伝統を体現する新エンブレムを参考に「マリノスらしさがさりげなく伝わるロゴ・アイコン」をクラブとサポーターが模索して生まれたものだ。

 そして、クラブ公式アカウントのフォロワー数がJクラブ最多とTwitterのユーザーが多いマリノスサポーターの間でハッシュタグ「#沸騰プロジェクト」を通じて、 それらのアイテムを使用する様子が投稿されたり、コラボグッズを制作したスポンサー企業へ感謝の言葉が送られたり、新たな企画の提案が行われたりと、自発的かつ日常的にクラブへの愛情が表現されるようになった。

 さらに、サポーター主導でスポーツバーでの観戦会が始まったことにも触れておきたい。遠方の地で行われるアウェイゲームになかなか行けないサポーターがTwitterをきっかけに集まってムーブメントが起こり、横浜や都内のみならず全国のマリノスサポーターに伝播。熱気と興奮が日本各地で共有され、サポーターの交流が深まったのである。

特別な意味を持つシティ戦

 ピッチ外で巻き起こるサポーター文化の広がりに後押しされたマリノスは今季、ピッチ内でも着実に歩みを前進させていった。第8節時点で9位に沈んでいたトリコロールは快進撃を見せ、第20節時点では熾烈な首位争いを演じていた。この勢いのまま臨んだのが、同じくCFGの一員であるマンチェスター・シティとの一戦だった。

 長らく待ち望まれてきた中で、ついに今夏実現した“兄弟クラブ”対決。マリノスは三好康児、仲川輝人、畠中槙之輔らを、シティはラヒーム・スターリングダビド・シルバケビン・デ・ブルイネらを先発させ、親善試合とは思えない豪華なメンバーで真剣勝負が始まった。勇猛果敢たるトリコロールは、ハイプレスでミスを誘発すると素早いパスワークでイングランド王者を翻弄。お株を奪ったマリノスはポゼッション率、パス本数、パス成功率でシティを上回り、今ではお馴染みの「アタッキングフットボール」で敵将ペップ・グアルディオラを唸らせた。結果こそ1-3で敗れたものの、これまでの歩みが結実しつつあることを確信した夜となったのである。

先制を許したものの、そのわずか5分後に遠藤渓太のゴールで同点に追いついた横浜F・マリノス

 さらに試合後は、長きにわたってトリコロールのゴールマウスを守り続けた飯倉大樹の退団セレモニーが行われ、特別な夜はフィナーレを迎えようとしていた。だが、飯倉の別れの挨拶はシティのチャントに遮られてしまう。待ちに待った来日に我を忘れてしまった一部のシティサポーターが叫びを止めなかったことで、場内に不協和音が生まれてしまったのだ。

 もちろん彼らの気持ちは理解できるし、飯倉のセレモニーをおもんばかってチャントを諌めたり、事の重大さを知って謝罪するシティサポーターが多く見られたため、大きな対立は生まれなかった。それ以上に目立ったのは、マリノスのサッカーや応援のムードに対する“シティズン”(シティサポーターの愛称)の好意的な意見。そこで筆者は「彼らの気持ちを受け入れるだけでなく、むしろマリノスの試合を観てくれるきっかけになれば」という想いを13文字のハッシュタグに込めて発信した。こうして、「#シティズンおいでよ清水戦」が生まれたのである。

「#シティズンおいでよ清水戦」が誕生した瞬間

 このハッシュタグはトレンド入りを果たすなど両軍のサポーター以外にも拡散していったが、それは前述のようにマリノスのサポーターの間でクラブへの関心を高め合う文化が拡大していたからこそだろう。

 サポーター一人ひとりがハッシュタグを通じて自らのクラブ愛を発信していなければ、両クラブが公式にキャンペーン化しあれほどまでの盛り上がりを見せることはなかったに違いないし、今季終盤に沸騰プロジェクトから生まれたハッシュタグ「#すべてはマリノスのために」がトレンド1位に輝くこともなかったはずだ。

サポーターの想いから生まれたハッシュタグが横浜F・マリノスとマンチェスター・シティの両クラブを巻き込む一大イベントとなった

 こうしてCFGと歩む中で、紆余曲折を経ながらサポーター文化を育んできた背景を知れば、今季の優勝が我われにとってどれほど尊かったのかご理解いただけるだろう。

 もちろん、ここに述べたことはすべてではない。あなたの身近なマリノスサポーターに「この5年間で印象深かったことは?」と聞けば十人十色の答えが返ってくるだろう。1つでも気になったことがあれば、ぜひ尋ねてみてほしい。同じ大船に乗っていても見てきた景色は人それぞれだが、荒波に揉まれる中であらゆる感情を味わってきたことに変わりはないはずだ。

 2020年、横浜F・マリノスは7シーズンぶりにアジアでの航海をスタートさせる。5年間で培った自信と仲間たち、そして変わらぬ3色のエンブレムと4つ目の星を胸に。

最終節の前日に世界中の“兄弟クラブ”から横浜F・マリノスに届いた応援メッセージ


Photos: Takahiro Fujii

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マンチェスター・シティ横浜F・マリノス

Profile

akira

1991年、神奈川県生まれ。日本代表をきっかけにサッカーを観るようになり、2010年以降は横浜F・マリノスをフォロー。海外でのF・マリノスの話題や分析記事などを紹介・翻訳するブログ『Diario de F. Marinos』を運営している。主な関心はクラブマネジメント、チームビルディング、およびサポーター文化の多様性など。趣味は旅行、音楽・映画鑑賞、ファッション。

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