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サポーター的情報発信のすゝめ 幸せなサッカーコミュニティを目指して

2019.09.04

サッカー観戦と好相性のSNSの普及は我われに新たな楽しみをもたらした。一方で間違った使い方によるトラブルも絶えないことも事実。誰でも気軽に情報発信者になれる時代に求められる心構えとは何か。Jリーグサポーター界のインフルエンサーであるささゆか氏が自身の経験もふまえて紹介する、令和時代の情報発信論。

試合は90分、ネット交流は24時間

 Jリーグの試合は1週間に1、2回。他競技よりも試合数は少ないし、望む結果が出ない日だってあるのだが、それでも毎日が充実している理由はファン同士の交流が楽しいからに他ならない。クラブからのリリースに一喜一憂するのもフォロワーと感情を共有できているからこそ「悲しいことは半分、楽しさは2倍」に感じられ、ブログやTwitter、Instagramで自己表現するサポーターたちのおかげでリーグやクラブへの愛が深まる。Jリーグを好きになった頃、選手名と顔はイラストレーターが描いてくれる似顔絵スタメンで覚えていった。インターネット上の交流があって、今の自分のサッカー人生がある。しかし、情報発信になると苦い思い出があるのだ。

 4年前、Instagramにユニフォーム姿の写真を載せたところ『Jリーグが雇ったビジネスサポーターなのでは』と誤解され炎上。ネガティブな憶測で人格を叩かれるのは辛かった。発信が仕事に繋がる人や、肝の据わった人でなければ、炎上の可能性が伴う情報発信に対し「怯え」が出てしまうのではなかろうか。インフルエンサーだけの話ではない。たとえブログの読者数が少なくとも、フォロワーが10人に届かなくとも、発信する以上、誰もが同じリスクを抱えているのである。サポーターの発信が減ってしまえば意見交換も減り、知見が広まらない。いつまでも画一的な意見しか出なくなってしまうだろう。そんな事態はなんとかして避けたい。

無自覚な攻撃性

 「まさかお返事が来るなんて思いませんでした」

 SNSでいただいたコメントにリプライをするとたまにこのような言葉をかけられる。心ないコメントはしばしば「情報発信者のことを人間だと思っていない」と例えられるが、私は「情報の受け手側が自身のことを人間だと思っていない」のではないかと考えている。「自分はちっぽけな存在」という自己評価から「きっと、たくさんの通知が来る人に自分のリプライは見てもらえない」「読まれても真剣に受け止められない」と解釈し、「自分の言葉には価値がない」と思い込んでしまっているように感じる。

 自己評価の低い人に「ネットの向こうには生身の血の通った人間がいることを忘れないで」と説いても多分ピンと来ていない。「そんなこと理解している。けれど自分の放った言葉で人を傷つけるなんて思っていなかった」という感覚が近いだろう。「冗談でした」「そんなつもりじゃありませんでした」。そんな謝罪をされた時、なんて想像力の欠如した人たちなのだと思ったが、彼らも軽薄なコミュニケーション社会の被害者なのかもしれない。結果、無自覚な攻撃性となって表れてしまっているのだ。

 「スルーするのが大人」「変なコメントは放っておくのが一番」とはいえ、苦しむ人は多い。「ネットには変なリプライを送る人ばかり」「そういうやつは放っておけ」で済ませてきたからこその現状だ。ここに根深い問題があるとしたらほんの少しでも解決したい。誰もがサッカーコミュニティを「壊してはいけない居場所」「自分のことを認めてくれる安全な場所」だと思えるようにするにはどうしたらいいだろうか。

私たちは「正解」を求めすぎている

 「正しさの確認作業」

 これこそがサッカー界の抱える問題点の1つだろう。選手やJクラブ関係者、戦術眼に長けた人のツイートも、その人が発信することを正解とすれば自分の考えが間違いかのように錯覚してしまう。しかし、正解は1つではない。算数も国語もテストの回答は1つだと教わってきたが、本当は色んな正解があってその1つを誰かが提供しているに過ぎないのだ。

 知っている人の存在はそれだけで脅威に感じるし、無知や間違いを指摘されるのは怖い。知識量があることや常識とされている定説が正解とは限らないのだが、意見交換をする前に「自分が正解」の立場を追求するあまりに強い言葉をぶつけてしまう。知らなくてもあなたは悪くないし、知っている人が偉いわけでもない。間違えたってそんなの誰でもあること。100人いれば100通りの考え方があって、同じ意見の人を見つけたらラッキーくらいがちょうどいいのである。

 応援も不安定な気持ちになりやすい。リーグやクラブが公式に発表していない中で「お作法」が生まれ、「本物のサポーター論」として拡散されている。「ライバルチームのことをコケにしなければサポーターとは言えない」「自宅観戦なんてガチじゃない」など、その基準から外れた人に対して自分たちの正解を確認するかのように「これってアリ?ナシだよね?」と連帯する。初心者にとってはものすごくハードルが高い。その「本物のサポーター論」に当てはまろうとするあまり、過激発言を繰り返し凍結されるアカウントを見ていると環境適応のために誤った形での帰属意識や承認欲求を露呈するバイトテロ問題と同じ構図のように感じてしまう。存在を認識されないよりは悪いベクトルに振ってでも目立たなくては、と過激な行動をしてしまう人を生み出しているとしたら、当人だけでなくその空気自体も変えた方が良い。

 応援の在り方はクラブの歴史にも左右されるし、座るエリアによっても違う。もちろん、煽りが華だと感じているならばリスペクトの範囲でやるのもユーモアだ。しかし、強要し、当てはまらない人を排除するのはせっかくクラブが苦労して呼び込んだ人たちを逃がしてしまっていないだろうか。水を溜めるバケツに穴が開いているようなものだ。そして無意識のうちに自分たちの首をも絞めているのである。

 いつの間にか私たちは「正解」という名の他者評価を気にしながらサポーターライフを送っていないだろうか。他者評価は自身でコントロールできないものだから息苦しくて当然だ。

サッカーコミュニティを安全な場所にするために必要なものとは

情報発信で得られるもの

 2つ解決法がある。

 1つ目は「すべての人が発信者になる」だ。発信側に立って「一人の人間として意見を誰かに受け止められる」経験をすることで自分の存在の価値に気づく必要がある。「ネットで無用なトラブルを減らすには、ネットをやらないのが一番」とも言われているこの時代、リスクが大きいことを勧めるのはおかしく感じるだろう。また、発信することは自己顕示欲や承認欲求の類いで恥ずかしいことという認識があるかもしれない。

 しかし、承認欲求は本来誰にでも備わっているもの。出る杭は打たれるこの世界で、全員が出る杭になれば打つ方が諦めて去るだろう。「多様性を認めよう」と言われてもいきなり実践するのは難しい。私たちはまず「多様性を可視化」させ、お互いを知るところからはじめるべきだ。

 いざ文章や写真で発信をしてみると、自分との対話の要素が大きいこともわかる。そうして考えを整理していくと気持ちが落ち着き、他の誰かのことも気にならず、むしろ相手を尊重する気持ちが出てくるのだ。他者目線を気にするどころか、自己理解に繋がり誰かの称賛を得る必要がなくなる。そのように精神的に満たされた人が増えれば、スタジアムは応援の熱量が増し、SNS上では誰もが自分の好きを発信し、意見が合う人とのやり取りも活発化。うまくいけばその楽しさが周りに伝播するだろう。

 そうは言っても発信をすることってシャイな人にはハードルが高い。ここで2つ目の解決法だ。ハーバードビジネススクール教授のエイミー・C・エドモンドソンが提唱する「心理的安全性」についてご紹介しよう。

 これは「他者の反応に怯えたり、羞恥心を感じたり、拒絶されたりしないという確信をもっている状態」のことである。彼女は続けて『人は無能だと思われないために自己印象操作をします。間違いや弱点を認めず、押しつけがましいと思われないためにアイディアを出さず、ネガティブだと思われないために現状を批判しないことです。これを続ければ人が学ぶ機会を奪い、無意識のうちに「良い組織を作り出す」ことを二の次にしてしまいます』と語っている。サッカーファンがこの状態に陥れば、ファン同士の関係性は悪くなり、週末の楽しみが苦痛になってしまう。また、良い組織にならなければ新規ファンは増えず、一体感のある声援も送れないだろう。

 長年ネットをしていれば「世間はこういう言葉を自分に向けてくるだろう」とネガティブな学習をしてしまう。創作意欲へのストッパーは世間の反応と、その仮想敵におびえる自分自身だ。勇気を出して発信した人に対して好意的に見られない気持ちは仕方ない。しかしそれを表出して袋叩きにすれば当人だけでなく、それを見ている周りの人の発信も制限してしまう。その空気を見ていれば、自分の意見など怖くて出せなくなるだろう。私たちはネット上でも現実世界でもお互いが発信しやすい環境を作り、その意見を尊重するべきなのだ。その空気作りだって立派なサッカーの応援になる。

 「短文では文章を書いたと言えない」「もっと絵がうまくなってからイラストをあげよう」「顔を出したら叩かれるからYouTubeをあげない」だなんてもったいない。Jリーグマスコットだってダンスが上手な東京ドロンパはTikTok、キュートなヴィヴィくんはInstagram、文字での表現に優れたヤサガラスはTwitterを頑張っている。その発信を変だと笑ったり、晒し上げるマスコットはいない。自分に合った発信方法を探していくのも世界が広がって面白いものだ。

https://www.tiktok.com/@tokyodorompa

ファンコミュニティにダイバーシティを

 ネット上にはマリノスサポーターが集まる「FMBH」やリヴァプールジャパンの「LFCラボ」など同じ、クラブのサッカーファン・サポーターの意見が集まるファンコミュニティがすでに存在する。また、イギリスやドイツにはFanzineの文化があり、ファン同士で集まり意見交換と発信をしている。

 発信に自信がない人も不安を抱く必要はない。「何かためになることをしなければサポーターではない」というのは苦しい考え方だ。幸せな気持ちでサッカーを応援しているだけで「あの人の趣味は楽しそう」と思ってもらえる可能性だってある。インプットが増えれば必ずアウトプットに繋がる。「何かを発信したい」と思った時の気持ちを大事にしてほしい。

 演劇を好きだった頃、あくまで演者が主役でファンは演目をそのまま享受し感想を書くことが常だった。しかし、サッカー文化に足を踏み入れて驚く。サポーターの声が選手を動かし、クラブの参考になり、みんなでコミュニティを作り上げていく世界。しかも、客層は年齢層も職業もバックグラウンドもそれぞれ。みんなが発することを受け取るのはエキサイティングな経験だ。活発な意見交換が増えたらよりサッカーコミュニティが広まるはずである。

 去年、イギリスのサセックス大学が「サッカーファンは幸せになれない」という研究結果を発表した。敗北した際に心に負う痛みは勝利の喜びの2倍以上であることから長期的に見て不幸だという研究であるが、この結果には甚だ疑問である。敗戦の悔しさを味わっても、サポーター同士の交流や自分の発信に同意してくれる仲間が辛さを緩和してくれる。むしろ、未来への希望だって持たせてくれる時がある。雨の日の屋根なし観戦も、誤審疑惑の日も、いつだってサポーターのユーモアや同じ思いの呟きに救われてきた。サポーターコミュニティという広義での居場所を得ていることは安心感に繋がる。その上、それぞれが自分の思いを発信し、受け止め合えているのだ。きっと私たちサッカーファンは幸せになれるはずである。

Photos : Getty Images

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Profile

ささゆか

1988年東京生まれ、フェリス女学院大学卒。 外資インフラ広報経験を活かしたマーケティング考察やサッカーマスコット情報を中心に執筆・イベント登壇など活動中。2019年7月より「サポーターに寄り添うサッカー雑誌」をコンセプトにした共同運営マガジンesteem chant編集長を務める。夢は沢山の海外クラブストアを巡り、世界中のマスコットと会うこと。