鹿島での3年間は「考えることの大切さを学んだ」価値ある時間。エリース豊島FC・小川優介が思索するサッカーを続けることの意義
その人は社会人の関東サッカーリーグのピッチで、懸命にボールを追いかけていた。小川優介。24歳。昌平高校から高卒ルーキーとして鹿島アントラーズに入団するも、ほとんど公式戦に出場することは叶わず、3年で契約満了に。トライアウトへの参加を経て、一時は就職も経験したプレーメイカーは今、何を思いながらサッカーを続けているのか。本人のリアルな想いに耳を傾けたい。
0-1の惜敗。77番がピッチ上で見せた確かな煌めき
「前半は最初から押し込まれていた中で、ポストに救われた部分もあって、そこを耐えたことで途中からはボールを持てたので、自分たちが落ち着いてゲームを進めれば勝てる試合だったかなとは思いますけど、90分を通してみると、もっとゴールに向かっていく姿勢が必要でした」
「特に後半は負けている状況だったので、もっともっと自分たちからアクションを起こしてゴールに向かっていかないといけないなとは思ったんですけど、なかなかビルドアップの部分でうまくいかなくて、自分たちのミスで相手にボールを渡してしまうシーンも多々あったので、そういったイージーミスを含めて、今日は負けるべくして負けたのかなと思います」
終わったばかりの試合の内容を、過不足なくしっかりと言語化して、その人は振り返る。関東サッカーリーグ1部第10節。ホームで首位の東邦チタニウムを迎え撃つ一戦に、エリース豊島FCは0-1で惜敗。77番を背負った小川優介も奮闘したものの、チームを勝利に導くことは叶わなかった。

とはいえ、随所に持ち合わせている才能は滲む。42分。後方から送られたフィードを完璧なトラップで収めると、そのまま丁寧なスルーパス。副審の旗が上がり、オフサイドという判定にはなったが、本人も「空中にあるボールの処理はもともと得意ですし、足元の技術は中学時代と高校時代から培ったものに自信があるので、そこでは負けたくないというか、あれぐらいは当たり前にできないといけないと思っています」ときっぱり言い切る。
このカテゴリーに身を置くようになって1年強。Jクラブでプレーしていた小川も、そのレベル感は想像以上だったようだ。「自分はギリギリまで相手を見て、判断を変えるタイプなので、そこはどのチームとやっても変わらずやれる感覚はあるんですけど、Jでやっていた選手もかなり各チームに増えていますし、リーグのレベルは高いと思いますね」。歯ごたえのあるチームと週末の試合を重ねながら、個人とグループの成長に目を向けていく。

覚悟の移籍。「『久々に評価されたんだな』という感覚になったんです」
2025年6月4日。エリース豊島FCから、1つのリリースが発表された。『小川優介選手、アヴェントゥーラ川口より加入のお知らせ』。その前年にJ3のFC琉球を契約満了となり、埼玉県社会人1部リーグのアヴェントゥーラ川口でプレーしていた小川は、熟考の末に移籍を決断した。
昌平高校から高卒ルーキーとして加入した鹿島アントラーズで3年。その鹿島での契約満了を受けて、完全移籍で加わったFC琉球で1年。トータルで4年間を過ごしたJリーグの世界では、ほとんど試合に出場する機会を得られず、プロ4年目のオフにトライアウトを受けたが、当時はなかなか自分の未来を思い描くことができなかったという。
「自分の中でこれから先の未来が見えなくて、『このままサッカーを続けても、オレは上に行けるのかな』とか、余計なことを考えたりして、いろいろ悩んだ時期がありましたね。実際は選択肢がいっぱいあったのに、自分がずっと答えを出しきれなかったんですけど、アヴェントゥーラはずっと待ってくれていて、『仕事をやりながらだけど、一緒にやろう』と言ってくれたんです」
アヴェントゥーラ川口では、電気会社で朝から夕方まで働きながら、夜から練習に取り組む日々を過ごしていたが、一時はサッカーをやめる選択肢さえ突き付けられていた小川は、改めてボールを蹴ることへの楽しさを取り戻し、日々のトレーニングに没頭していく。
そんな中で届いたエリース豊島FCからのオファー。自分の窮地に手を差し伸べてくれたチームへの申し訳なさはぬぐえなかったものの、最後はサッカー選手としての在り方を貫く。「2月末に入団して、エリースからオファーがあったのが5月の終わりで、結果的にチームの仲間にも迷惑をかけてしまったので、自分のわがままを聞いてくださったアヴェントゥーラには凄く感謝しています」。
「でも、オファーが来た時に、『久々に評価されたんだな』という感覚になったんです。やっぱりサッカーをやっているのであれば上を目指したい気持ちもあったので、上のカテゴリーからオファーが来たことが嬉しかったですし、さらに上を目指してやろうという想いが大きかったんですよね」。数か月という時間ではあったものの、アヴェントゥーラ川口とお世話になった電気会社の方々への感謝は尽きない。
エリース豊島FCとは実質のプロ契約に近い形で、他の仕事には就いていない。埼玉の実家から午前中の練習に通い、時にはさらにトレーニングをこなしたうえで、夕方前には家に帰るのが日常。しばらく離れて暮らしていた愛犬との時間が、今はこの上なく幸せだと、小川は笑顔で教えてくれた。

「自分のプレー選択の『なぜ』を5つ考えろ」という岩政大樹の金言
「自分の特徴をどうやって生かせばいいのか、このチームにどうやって貢献すればいいのか、自分がこの先プロサッカー選手としてどう生きていけばいいのか、ということをずっと考えさせられ続けた時間でした」
昌平高校ではやはり高卒でプロになった須藤直輝(プレストン・ライオンズFC/オーストラリア)、小見洋太(セレッソ大阪)、柴圭汰(福島ユナイテッドFC→引退)とともに高校選手権でベスト8も経験。鹿島でJリーガーになった小川だったが、周囲には日本代表経験者が居並ぶような環境で、思い描いたような時間を過ごせない。
とりわけ壁にぶつかったのは、それまでほとんど感覚でやっていた自身のプレーを、より深く考えることだったという。
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Profile
土屋 雅史
1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!
