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革命は1人の審判員から始まった。五輪初出場をつかんだウズベキスタンの終わらない夢

2024.05.21

U23アジアカップ決勝で日本代表と死闘を演じたのが記憶に新しいウズベキスタン。パリ五輪出場が決まったU-23代表を支える国を挙げてのサッカー改革を、中央アジア事情に明るい吉田蘇東氏が解説する。

 2024年4月29日。この日はウズベキスタンサッカー史に残る日になった。パリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU23アジアカップ・カタール大会の準決勝でウズベキスタンはインドネシアに2-0で勝利。五輪サッカー競技初出場を決めたからだ。

 ウズベキスタンは初戦から危なげのない戦いぶりでマレーシア、クウェート、ベトナムに3連勝しグループステージを突破。準々決勝では前回2022年大会決勝で敗れたサウジアラビアとの我慢比べを制した。勢いそのままに迎えた準決勝インドネシア戦も、オフサイドで命拾いするシーンこそあれ終始相手を攻め立てて勝利。3大会ぶり2度目の優勝を賭けた決勝戦は日本に敗れ準優勝に終わったが、最後まで互角に戦った。6試合で総得点14総失点1、数字からもその強さが見て取れる。

 チームを率いるのは2020年からこの世代を指導してきたテムル・カパゼ。シンプルな攻撃サッカーを志向し、この国では非常にポピュラーな[4-3-3]のシステムで前線から中盤にかけて激しいプレスでボールを奪うと、2、3本のパスで素早く相手ゴールに殺到する。フィジカルと個人技に優れた選手が多く、各ポジション間の距離が遠くなりがちなこのシステムにおいて、個々の局面に勝利することで優位性を確保しつつ戦う。どのポジションにも能力の高いフル代表経験者をそろえる上「キープレーヤーはいません。重要なのは選手がチームに利益をもたらすことです」とカパゼ監督が語るように、誰が出てもクオリティが落ちない選手層も兼ね備える。

現役時代にはウズベキスタン代表として119キャップを刻んだカパゼ監督

 今回のウズベキスタンはなぜ好成績を残せたのか。結果論にはなるが、2019年にサッカー改革が始まり、その一環で2021年から4年計画でU-23代表の強化に成功したことが理由だ。もう少し詳しく説明する前に、近年のウズベキスタンサッカー界の状況を簡単に振り返り、理解の一助とさせていただきたい。

「魚は頭から腐る」

 1991年の独立以来、ウズベキスタンはアジアの第2集団に位置してきた。U-17代表とU-20代表は一足先に同大陸の強豪国の仲間入りを果たしている。近年は日本と対戦する機会も増え、2009年の南アフリカW杯アジア最終予選や2019年のアジアカップグループステージなどをご記憶の方も多いのではないだろうか。今回取り上げるU-23代表も少しずつ結果を残し始めているが、代表チームのカテゴリーが上がるほど苦戦続きで、フル代表もU-23代表も世界大会にあと1歩に迫りながら何度も涙を呑んできた。疑惑の判定でバーレーンに敗れたドイツW杯アジア最終予選、得失点差1でアジア地区プレーオフに回り、PK戦でヨルダンに敗れたブラジルW杯アジア最終予選、勝てば突破の最終戦で韓国に引き分けた2018年のロシアW杯アジア最終予選、3位決定戦でオーストラリアに屈した2021年の東京五輪アジア予選……。

 2010年代後半、ウズベキスタンサッカー界は岐路に立たされていた。

ロシアW杯アジア最終予選・第5節の韓国戦(●2-1)でゴールを守るウズベキスタン代表。首都タシュケントでのリターンマッチでは勝ち点2を上回る2位相手にスコアレスドローで終わり、逆転での本大会出場はならなかった

 「汚職、税金の無駄遣い、質の高い教育を受け自らの才能を発揮する機会を与えられず失われていく世代。その結果、成果が失われる。このようなどしがたい政策が10年余りもウズベキスタンに君臨してきた」

 こう著名な専門家アリシェル・アミノフ氏が2018年のインタビューで語る通り、ウズベキスタンサッカー協会の深刻な腐敗があらゆるサッカーシーンに暗い影を落としていた。また、偶然にもこの時期にマクシム・シャツキフやセルベル・ジェパロフなど長年ウズベキスタンサッカーを牽引してきた1970年代後半〜1980年代前半生まれのスター選手の引退ラッシュが起き、新たな世代がこの穴を埋めることができずにいた。国内サッカーの失策は結果に如実に表れた。代表チームは振るわず、国内リーグ戦の人気は落ち、若手選手は伸び悩み、これまでウズベキスタンの一人勝ちだった中央アジア域内でも隣国タジキスタンの突き上げに遭った。2015年から毎回出場を続けていたU-17W杯とU-20W杯は予選落ちが続き、フル代表は2018年に近年では最低のFIFAランク98位を記録。2022年カタールW杯アジア2次予選では格下と目されたパレスチナにショッキングな敗戦。この取りこぼしが後に響き、独立後初めて最終予選にも進めず敗退という屈辱にまみれた。ウズベキスタンは「アジアの第2集団」から脱落しかけていた。

協会トップに審判員を抜擢!サッカー改革が大統領令に

 国内外のサッカー関係者から痛罵を浴びる中、さすがの協会もこの危機的状況を重く見たか。2019年6月に審判員のラフシャン・エルマトフが第一副会長に就任した。事実上の協会トップに現場経験者が就くのはこの国で初めてのことだった。

 「正直に言って、ここよりもグラウンドにいるほうが楽です。しかし、我われのサッカーが直面している深刻で重大な課題を知りながら傍観者でいることは、良心が許しませんでした。私は祖国を愛し、サッカーを愛しているからです」

主審としてレッドカードを提示するエルマトフ。写真は2017シーズンのACL決勝第2レグ、浦和レッズ対アル・ヒラル

 現役審判員のキャリアに終止符を打ってまで重責を引き受けたエルマトフが就任会見で発したのは、希望に満ちた声ではなかった。同年7月に協会会長に就任したアブドゥサロム・アズィゾフ国家保安庁長官と新第一副会長は、まず協会の綱紀粛正に取り掛かった。次にエルマトフは精力的に公開討論会を行い、様々な現場関係者や記者と意見を交換。自ら批判の矢面に立ち、ウズベキスタンサッカー界が直面する課題に正面から向き合い始めた。

 そして2019年の12月、政府は「ウズベキスタンサッカーの発展をまったく新しいレベルに引き上げるための措置について」と題する大統領令(憲法と法律に次ぐ拘束力を持つ法令)を発布し、「2030年までに国内サッカーを新たなレベルに引き上げる」ことを目標に大規模な改革を指示した。サッカーの森羅万象ともいえる広範な事象にメスを入れ、各項目に具体的な数値目標を定めるその内容からは政府の強い熱意がうかがえる。これを受けて、協会でも2022年までの国内サッカー成長戦略が定められた。その中で力点を置いたのは「ユース年代の育成」「代表チームの強化」「指導者の育成」「草の根での普及」「国内リーグ戦の競技・経済面の改善」「サッカー場の改修」の6要素。アジア年間最優秀審判員を5度受賞し、史上最多のW杯11試合で主審を務めた抜群の実績、知名度、現場の経験を持つ当時41歳のエルマトフは、協会にとって大きな権限と強いリーダーシップでもって改革を長期的に推し進めるための理想的な人材だったというわけだ。

 さだめし、前述の協会のトップ人事も政府の肝いりだったのだろう。サッカーを顧みず、権力を盾に私腹を肥やす腐った組織に、とても自浄作用があったとは思えないからだ。FIFAは国内競技団体への政府の不当な介入を禁じているが、あくまでそれは「原則」である。スポーツと政治(政府)が密接に結びついているのは奇妙に思えるが、ウズベキスタンというのはそういう国である……。

五輪代表候補に経験を積ませる「オリンピク」の発足

 2年後の2021年、首都タシケントに本拠地を置く「オリンピク」というクラブチームが設立、国内2部リーグに参加した。このチームこそ、今回ウズベキスタンがU23アジアカップで好成績を収めた最も直接的な要因と言える。……

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ウズベキスタン代表テムル・カパゼパリ五輪

Profile

吉田 蘇東

ウズベキスタンサッカーの観察者。高校生で中央アジアに目覚め、大学は不承不承ロシア語を修める。卒業後はCIS諸国にもサッカーにも関係のない進路をとり現在に至る。普段は中央アジアサッカーを気ままに追いながら、仕入れた情報をX(@boziimillionho)で問わず語りに発信している。ひいきチームは特にないが、好きな選手はウルグベク・バコエフとリカルド・フラー。

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