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戸田和幸監督はなぜSNSから離れたのか?SC相模原で貫く切磋琢磨の原点に迫る

2023.12.17

J3第22節まで最下位に沈んでいたものの、翌節から3連勝を含む6勝6分4敗で持ち直して、JFL降格圏外の18位で2023シーズンを終えたSC相模原。低迷した序盤戦から中盤戦にかけても就任初年度の戸田和幸監督が貫いていた、現役時代から変わらぬ姿勢を番記者の舞野隼大氏が伝える。

「どうやって生きてきたか覚えてない」2勝目までの4カ月間

 今年2月、株式会社ディー・エヌ・エーの連結子会社となったSC相模原。監督に戸田和幸氏を招へいし、スタートした長期的プロジェクト。その1年目が終了した。

 結果は9勝14分15敗で18位。積み上げた勝ち点は41だった。

 前回のコラムでも述べたとおり、今季の相模原はフレッシュな選手ばかりで編成されていた。しかし、シーズンの前半戦は経験値の乏しさもあり、わずか2勝のみと苦難の時期を過ごした。振り返ってみても、この時期がチームとしてもっともセンシティブで、忍耐力が必要な時期だった。

 シーズン後半戦だけの戦績を見れば、上位陣とも引けを取らないものを残せたが、まずは苦しかった時の話からしたい。

 「あの時は、監督の僕がどういう顔で、どういう姿勢で、なにを言うか。これで全部変わると思っていた。言葉も一言一句全部考えて発言していましたし、根拠がないことかもしれないけど、『絶対にできる』ということをどんな顔で、どのトーンで言うかが大事だと思っていた。試合後、バスに乗っている時、『僕の後ろ姿は弱々しくないか』とか、クラブハウスを後にするその瞬間まで気を張っていました」

 シーズン前半に喫した8敗中7敗が1点差。紙一重で結果に結びつかなかったことがほとんどとはいえ、「これで勝てるのか」と疑心暗鬼になっていた選手はいたかもしれない。そうした感情を少しでも払拭させ、自信を持たせるために戸田監督は神経を張り巡らせた。

 2勝目を挙げるまでに、約4カ月。「その間、どうやって生きてきたか覚えてない」と戸田監督は冗談半分で言う。

 現役時代も、解説者時代も、フットボールに誰よりも真摯に向き合っていた。監督になってもその姿勢は変わらないどころか、さらにストイックに目の前の試合へと向き合い、SNSからも距離を置いた。……

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Profile

舞野 隼大

1995年12月15日生まれ。愛知県名古屋市出身。大学卒業後に地元の名古屋でフリーライターとして活動。名古屋グランパスや名古屋オーシャンズを中心に取材活動をする。2021年からは神奈川県へ移り住み、サッカー専門誌『エル・ゴラッソ』で湘南ベルマーレやSC相模原を担当している。(株)ウニベルサーレ所属。

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