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超モダンでセクシーなファンタジスタ。モハメド・クドゥスはなぜアヤックスで完成しなかったのか?

2023.09.16

8月27日、モハメド・クドゥスのウェストハム移籍が発表された。19歳でアヤックスに引き抜かれたガーナの至宝はその片鱗をのぞかせながらも、なぜオランダの名門における3年間で大成できなかったのか?現地で目の当たりにしてきた中田徹氏と理由を探ってみよう。

多機能性が魅力であり不安材料でもある元『ドリブルの王様』

 2020年夏、リバプール、マンチェスター・ユナイテッド、トッテナム、エバートン、ボルシア・ドルトムント、ボルシア・メンヘングラッドバッハ……といった欧州の名門が追う中、19歳のガーナの至宝が選んだのはアヤックスだった。

 ノアシェラン所属のモハメド・クドゥスはデンマークリーグで『ドリブルの王様』として名を馳せた。当時の彼は1試合平均5.31回ドリブルで相手を抜いていた。2位トシン・ケヒンデ(当時ラナース。現フェレンツバーロシュ)の3.82回と比べると、その驚異的な突破力がよりはっきりする。

 オールボーのFWとしてクドゥスと試合したことのあるトム・ファン・ウェールトは『フットボール・インターナショナル』誌にコメントした。

 「クドゥスにとってすべては簡単なこと。ボールコントロールが良く、パワーがあり、運動能力がとても高い。アヤックスに行くには何か特別なものが必要だが、彼は本当に特別な存在だ。彼はボールの芸術家です。クドゥスはアヤックスでプレーするすべての資質を備えてます」

 3年前、私も動画サイトでクドゥスのプレー集を漁り、感嘆のため息を吐いていた。「こんなすごい10番、アヤックスでは育成できないな」と。

 リシャルト・ビチュヘ、ラファエル・ファン・デル・ファールト、ウェズリー・スナイダーなど、小技の効く創造的な攻撃的MFを輩出してきたアヤックスだが、シーム・デ・ヨング辺りからセクシーなMFが消えた。それからデイビー・クラーセン、ドニー・ファン・デ・ベーク、AZに活躍の場を移したダニ・デ・ウィットのように、攻守オールラウンドの戦術派MFがトップチームに昇格した。彼らはみな、一流のMFだ。チャンスメイクに絡み、ゴール前での嗅覚があり、身を粉にして走ることもできるし、ファーストディフェンダーとしても素晴らしい。しかし、ファンタジスタではない。

 一方、クドゥスは走力あり、デュエルの強度あり、テクニックあり、パワーあり、意外性あり、しかもレフティ。得点力もある。敵に囲まれても動じず、小技を効かして独力で突破する個の力に秀でていた。いわゆる『一目でわかる才能』というやつだ。

ノアシェラン時代のクドゥス。写真は2018-19EL予選3回戦、パルチザンとの2ndレグ

 ケース・ライクス(当時ソナユスク)はクドゥスについてこんな言葉を残している。

 「私の目にはクドゥスはデンマークリーグのベストプレーヤーの一人です。しかし、彼のポテンシャルは完全には発揮されていません。彼はMF、ウイング、CFと基本的には何でもできます。アヤックスでは本当に集中できるポジションを獲得する必要があります。私の意見は、彼は攻撃的なMFですね」 
 
 後にアヤックスの指揮官、エリック・テン・ハフはクドゥスのことを「MF、ウイング、CF、左サイドバックもできる」と語っている多機能性はクドゥスの魅力であり不安材料でもあった。

ストリートからアヤックス入りも…ケガに泣いた2年間

 ここでクドゥスの生い立ちをおさらいしておこう。ガーナの首都アクラ郊外にあるニマで生まれ育ったクドゥスは9歳の時、ストリートフットボール中にダイナミック・ヒーローズにスカウトされ3年間プレー。その後、ライト・トゥ・ドリームに移籍した。

 1999年にイギリス人トム・バーノンが立ち上げたライト・トゥ・ドリームはトップチームを持たない育成専門クラブで、選手たちへの教育にも力を入れている。また定期的にヨーロッパ遠征を行い、選手たちに欧州のサッカーや生活を経験させている。2015年にはノアシェランと提携を結び、バーノンはオーナー兼会長を務めている。こうしてライト・トゥ・ドリームはガーナのタレントとヨーロッパを繋ぐ橋渡し役を果たしている。

 2018年北アイルランドで開かれたトーナメントで活躍したクドゥスはノアシェラン移籍をつかみ取り、2年間でスター選手の座に上り詰めた。

 「ライト・トゥ・ドリームは私に住居、食事、教育、ガーナで最高のサッカートレーニングを与えてくれました。そして私はアフリカのストリートサッカーからヨーロッパのクラブにたどり着くことができたのです」

 ノアシェランからアヤックスへ、意気揚々と降り立ったクドゥスは1年目をケガで棒に振る。悲劇は2020年10月21日のCLリバプール戦で起こった。偽9番として先発したクドゥスは開始わずか6分、ファビーニョとのデュエルで着地を誤り、膝を痛めて退場したのだ。

 「CLのヒムネが魔法のような感覚を与え、自分の幸運が信じられませんでした。私はこのために努力をし続けてきたのです。しかし、それはすぐに終わりました」

 翌年2月に戦列復帰したクドゥスだったが、当時のアヤックスのMFはクラーセン、ライアン・フラーフェンベルフ、エドソン・アルバレスで機能しており、レギュラー競争参戦は叶わなかった。

 2021年夏、気持ちを新たにプレシーズンに挑んだクドゥスは「膝の調子は好調です。これまで私はあまりケガをしたことがありませんでした。アヤックスでの1年目は私にとって精神的なテストになりました。2年目はもっとプレーしてチームに貢献したいです」と語っていた。しかしアンデルレヒトとの練習試合で今度は足首を負傷し、出遅れてしまう。9月下旬に実戦に復帰しても、11月には肋骨を折りまたしても翌年2月まで長期離脱。結局、テン・ハフの下でクドゥスは輝くことができなかった。

2021-22シーズンにはアヤックスの一員としてエールディビジ連覇を経験したクドゥスだが、自身は16試合1ゴール1アシストの個人成績に留まっていた

 それでもクドゥスは『一目で分かる才能の持ち主』なのだ。2022年の夏の移籍市場ではアヤックスで伸び悩むクドゥスの獲得にエバートンが名乗り出た。しかし、アヤックスもその至宝を簡単には手放したくない。

 シーズン開幕直後のクドゥスはアヤックスで控えの選手だった。環境を変えてやり直しを図りたいクドゥスは8月の終わり、2回練習をボイコットした。だが、CLに向けて秘策を練っていたアルフレッド・スフローダー監督にとって、クドゥスはキーマンだった。アヤックス残留の決まったクドゥスに、スフローダー監督は罰則を課すことなく、9月3日のカンブール戦で後半開始からピッチに入れた。するとクドゥスは64分にシーズン初ゴールを記録。それは4日後のセンセーションの序章だった。

カンブ―ル戦のハイライト動画。クドゥスのゴールは8:07から

練習試合で生まれた秘策“偽9番”。『本当のクドゥス』を見た夜

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Profile

中田 徹

メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。

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