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「あの時間帯に、どれだけの人間が歌えるか、試されていた」 サポーターが想う北関東ダービー~栃木SC側の視点~

2023.09.07

8月26日。カンセキスタジアムとちぎ。栃木SCと水戸ホーリーホックが対峙した『北関東ダービー』は激闘に。アウェイチームが1点をリードしたまま迎えた後半アディショナルタイム。ホームチームが執念で追い付き、両者に勝ち点1ずつが振り分けられる結果となった。では、この“ダービー”という特別なゲームを戦うに当たり、それぞれのサポーターはどういう形で試合に向かい、試合後にはどういう感慨を抱いたのか。今回は両クラブに寄り添い続ける名物番記者、栃木サイドは鈴木康浩が、水戸サイドは佐藤拓也が、その歴史的経緯やサポーターが紡いできた想いを丁寧に綴る。

“彼ら”が矢印を向けているのは、あくまで自分たちだった

 水戸戦の当日、”彼ら”は普段どおりだった。

 小学生の頃から栃木SCを応援し、学生時代を経て、社会人になって数年が経った”彼ら”が現在の栃木SCのゴール裏の応援をリードしている。

 「今日ですか?特別に準備していることはないですよ」

 ”彼ら”に口を揃えて言われたときは肩透かしを食らう感覚だったが、栃木SCの番記者を長年続けている僕は彼らの言い分もよくわかった。目の前の”彼ら”よりも二十も三十も上の世代のサポーターと付き合うなかで、ダービーに対する考え方を知っているからだ。

 栃木SCにとってダービーの起源は、まだJFL(日本フットボールリーグ)に所属していた2004年6月6日、栃木県足利市で開催された「ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)」との一戦まで遡る。

 元Jリーガーを多数擁し、ジャパニーズドリームとして持てはやされ、JFLに飛び級で参戦が認められた”草津”とのホーム決戦。先に長年JFLを戦っていた栃木SCには意地があった。この試合で栃木SCは0対3の状況から試合終盤に猛攻を仕掛けて3ゴールを奪い取り、「草津」に勝たせなかった。

 これが栃木SCにとってのダービーの起源であり、その後語り継がれ、今なお大事にしている”彼ら”にとっての熱源だ。今回の水戸戦の数試合前に開催された「草津戦」の前には、なぜ草津に負けてはいけないのか?を改めてSNS上に掲示し、仲間たちを煽って臨んでいた。

 ならば、ダービー水戸戦の位置づけはどうなるのだろうか。

 「負けてはいけない相手」

 ”彼ら”も水戸のここ数年の変化を見てきた。クラブのフロントが入れ替わり、やがてアウェイに乗り込むサポーターの数が年々増えてきたこと。そしてゴール裏をリードする世代が入れ替わり、欧州クラブのチャントを取り入れながら、組織化されてきていること。

 しかしながら、“彼ら”にとって、それはそれ、だった。

 水戸は栃木よりもうんと長い間、J2に君臨し、資金がないなかでも一生懸命にやってきた先輩クラブ。“彼ら”には、水戸に対抗心を燃やすという感覚はそれほどない。

 ”彼ら”が矢印を向けているのは、あくまで自分たちだった。この1年間、積み上げてきたものに手応えを感じている。それを水戸にもぶつける。ただそれだけ。

“声出し解禁”で抱いた大きな危機感

 「栃木のゴール裏の雰囲気、変わってきてない?」

 今季になって、周りからそんなふうに囁かれることが増えていた。”彼ら”の最年長、井上誠也がいう。

 「声出しができるようになった最初のころと比べれば、ゴール裏の雰囲気が全然違うんです」

Photo: TOCHIGI SC

……

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北関東ダービー栃木SC水戸ホーリーホック

Profile

鈴木 康浩

1978年、栃木県生まれ。ライター・編集者。サッカー書籍の構成・編集は30作以上。松田浩氏との共著に『サッカー守備戦術の教科書 超ゾーンディフェンス論』がある。普段は『EL GOLAZO』やWEBマガジン『栃木フットボールマガジン』で栃木SCの日々の記録に明け暮れる。YouTubeのJ論ライブ『J2バスターズ』にも出演中。

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