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浅野拓磨の勝負強さの原点。森保一が19歳に放った怒り「お前たちと代わったのはウチのエースと10番だ」

2022.11.29

W杯ドイツ戦の決勝ゴール、コスタリカ戦でも途中出場から攻撃を活性化された浅野拓磨。直前の大ケガで代表入りが危ぶまれたものの、ぶっつけ本番で選出した恩師・森保一の期待に見事に応えた。2人の間にはどんな絆があるのだろうか? スペイン戦でもキーマンとなる男の原点を、サンフレッチェ広島を追い続ける中野和也が描く。

「2014年1月1日天皇杯決勝」の記憶

 森保一監督はその日、ルーキー・浅野拓磨を叱責した。正確には、浅野の同期である野津田岳人と2人に向けての厳しい言葉だった。2014年1月1日天皇杯決勝、場所はまだ新しくなる前の国立競技場のロッカールームだった。

 この日、リーグ戦連覇を達成していた広島は2冠を目指し、リーグ戦準優勝の横浜F・マリノスと対戦した。結果は0-2。スコア以上の完敗で、横浜FMの「リベンジ」を許してしまった。

 準決勝のFC東京戦では120分の激闘の末、PK戦で勝利。だが、東京での連戦、中2日での決勝という日程では回復が難しい状況だったことは確かだ。ただ、森保監督の怒りは、負けたことに対してではない。

 この日、浅野と野津田は、0-2という劣勢の中、78分からピッチに立った。交代したのは佐藤寿人と髙萩洋次郎(現栃木)。リーグ連覇に大きく貢献した大立者だった。

 当然、フレッシュな2人には躍動とゴールが期待された。だが、2人ともうまくゲームに入ることはできず、なかなか難しいプレーが続いた。アディショナルタイム、野津田のCKが起点となり、浅野がバックヘッドでゴールを狙ったが、GK榎本哲也のスーパープレーに阻まれ、得点はできない。チームはそのまま、準優勝の栄誉だけを手にした。

 「お前たちはいったい、誰と代わってピッチに入ったと思っているんだ」

 刺すような口調で、指揮官は2人の19歳を責めた。

 「お前たちと代わってベンチに戻ってきたのは、(佐藤)寿人と(髙萩)洋次郎。ウチのエースと10番だ。俺は、0-2とリードされている状況で2人を交代させ、若いお前たちをピッチに入れた。こういう時は、普通なら2人は監督と握手なんてしない。そんなことは、思わない。でも2人は、お前たちを励ましてピッチに送り出し、俺と握手をしてベンチに戻った。お前たちは、そういうエースと10番がいるチームで、プレーしている。その意味の重さが、わかるか」

 野津田はもちろん、浅野もまた、涙を堪えることはできなかった。

 実際、浅野は「何もできなかった。まったくダメだった」と試合後、悔しさを語っている。

 「Jリーグでも、そして天皇杯でも、自分の力の半分も発揮できない。でも、力を出せないことが、自分の実力なんです。本当に悔しい。自然と涙が出てきました。今年はチャンスを与えてもらいましたが、強い気持ちをもって自分のプレーを発揮しないと、チャンスももらえなくなる」

 以降、浅野は毎日、ほぼ24時間、サッカーについて考えた。キャンプでは降り注ぐ雨の中をトレーニングに打ち込み、ランニングや体幹トレーニングなどで肉体を鍛えに鍛えた。トレーニングマッチでは5試合2得点と自身としては物足りない成績だったが、圧倒的なスピードとプレー強度の高さで、チャンスメイカーぶりを披露。シュートの精度に課題は残していたとはいえ、浅野は抜群の存在感を示していた。

 「元日の天皇杯決勝で負けた時、本当にどん底まで落ちた。何もできなかったから。でも、どん底に1度落ちてしまったら、怖いものがなくなった。次のシーズンに対する気持ちがフツフツと湧いてきて、吹っ切れたんです。絶対にやったる。そんな気持ちが前に出ました。できる気持ちになっていたんです」

ゼロックスでの雪辱、しかし夏場にケガで長期離脱

 2014年2月22日、旧国立競技場では最後となるゼロックス・スーパーカップに広島は出場。相手は因縁の横浜FMである。

 野津田のゴールでリードしていた状況で森保監督は、佐藤に代えて浅野を投入した。そしてその7分後、野津田のスルーパスに反応した浅野は、破壊力満点のスプリントで横浜FMの最終ラインをブレイク。トップスピードのままに打ったダイレクトシュートが、ゴールネットを揺らした。浅野拓磨の公式戦初ゴールは、スーパーカップのトロフィー獲得を確実なものとする、まさに値千金だった。

 「天皇杯での経験を踏まえ、今日の試合では素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。あの時の悔しさをバネに成長してくれて、僕としてもうれしい」

 森保監督はこんな言葉で、若者の快挙をねぎらった。一方、浅野は笑顔を見せつつも、自分に厳しい言葉を向けた。

 「(佐藤)寿人さんや(石原)直樹くんがいるわけだし、ポジション奪取は難しい状況かもしれない。でも、そういう気持ちだったら、試合途中で出たとしても、結果は残せない。今季、絶対にレギュラーを取るという気持ちで、キャンプからやってきました」

……

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サンフレッチェ広島森保一浅野拓磨

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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