SPECIAL

パンデフ代表引退を乗り越えイタリア撃破!北マケドニア主将がW杯予選で見た夢

2022.04.01

惜しくもカタールW杯欧州予選プレーオフ決勝でポルトガルに敗れたものの、準決勝では欧州王者のイタリア相手に大金星を上げ、世界中にその名を轟かせた北マケドニア。EURO2020予選プレーオフでも脚光を浴びたが、本大会でのグループステージ敗退後に歴代最多出場&得点記録(122試合39得点)保持者で主将のゴラン・パンデフが代表引退、母国を初の主要国際大会出場に導いたイゴール・アンゲロフスキが監督退任と、功労者2人が去る転換期を迎えていた。「太陽」をシンボルとする小国が再び輝きを放ち、悲願のW杯初出場まであと一歩に迫った軌跡を、新たにキャプテンを務めるステファン・リストフスキの証言からたどってみよう。

「英雄」の素顔を知る元ルームメイトが新主将に

 北マケドニアにとってビッグトーナメント初登場となった昨年のEURO2020。ニューカマーならではの清々しい風を大会に吹き込んだものの、開幕2連敗で早くもグループリーグ敗退が確定してしまう。第3戦の前日に「ヨハン・クライフ・アレナ」に乗り込んだ北マケドニアの面々の中で、最も感傷的になっていたのは右SBのステファン・リストフスキだった。理由はただ一つ。明日のオランダ戦を最後にFWゴラン・パンデフが代表引退する。ジョージアとのプレーオフ前夜は極度の緊張で眠れず、隣のベッドで汗ばんでいたパンデフの姿をルームメイトの彼は知っている。その試合で決勝ゴールを挙げて祖国をEUROに導いたのは、やはり頼れるキャプテンだった。別れを惜しんでスタジアム脇で涙ぐむリストフスキをパンデフが笑顔で慰め、熱く抱擁した。

 首都スコピエの名門クラブ「FKバルダル」で育ったリストフスキが国外に飛び出したのは18歳の頃。テスト合格のパルマに入団するも収入はほとんどなく、異国で右も左も分からなかった彼に救いの手を差し伸べたのが、その年(2010年)にインテルでチャンピオンズリーグを制した「祖国の英雄」だった。翌年から北マケドニア代表で一緒になると、相手に見下されようと心血をチームに注ぐパンデフの背を追い続けた。リストフスキの闘争心あふれるプレースタイルも北マケドニアに欠かせぬピースとなり、パンデフ去りしチームの新キャプテンに指名。新しい船出となる9月のW杯予選、アルメニア戦の前日会見で彼は抱負をこう述べた。

 「まずはキャプテンだったパンデフにお礼を言いたい。彼はロールモデルとして『代表チームの歩みはどう続けていくべきか』を教えてくれた。代表キャプテンは僕にとって大きな名誉。信用してくれた監督には感謝している。祖国のユニフォームをどのようにまとうか、祖国のためにどのように全力を出すか、選手全員が模範とならねばならない。ピッチ上では先輩・後輩の区別がない。一致団結して挑戦に立ち向かうべきだ」

パンデフの代表100試合目に履いたスパイクをプレゼントされたリストフスキ。「模範であり、アイドルであり、プロフェッショナル。巨大な魂を持った人物」とパンデフを評している

 EURO2020を花道として、6年間代表チームを指揮してきたイゴール・アンゲロフスキ監督が退任。マケドニアサッカー連盟会長を務めるムアメド・セイディーニとは不和状態にあり、かねてより会長が監督解任を企んでいたことをパンデフが暴露している。北マケドニアは少数派のアルバニア人(国の人口の25%)と多数派のマケドニア人(同64%)の間で民族対立が根深く、アルバニア人のセイディーニ会長はマケドニア人の前会長が連れてきた指揮官が目障りだった。一方のアンゲロフスキ監督は、民族間のしこりを一切取り除き、北マケドニアのために共闘するチームを作り上げた。チーム内で民族問題が表面的になるのは、MFエニス・バルディや左SBエズジャン・アリオスキ、CBビサル・ムスリウといったアルバニア人選手たちが、マケドニア人によるマケドニア人のための国歌『今日、マケドニアの上に』を歌わない場面だけだ。

マケドニア国民を結びつける代表チーム

 EURO後の代表チームを任せるべく、セイディーニ会長はU-21代表監督のブラゴヤ・ミレフスキを昇格させ、2024年までの契約を結んだ。ミレフスキはバルダルの監督を皮切りにU-21代表監督を2期6年間務め、2017年にはU-21欧州選手権本大会に導いたことで現有戦力の大半のメンバーに通じている。よく知る20代前半の若手も積極的にA代表へと組み入れた。アンゲロフスキ前監督は強敵相手の5バックと同格相手の4バックを併用した一方、ミレフスキ新監督は[4-2-3-1]にシステムを固定。9月の3連戦(アルメニア、アイスランド、ルーマニア)はいずれもドローで足踏みすると、パンデフは連盟と新監督に矛先を向けた。

 「ミレフスキは『EURO2024予選に向けたチーム作りをしている』と言っていて、グループ2位を信じているのはミレフスキよりも周囲の人々のほうだ。また、サッカー連盟にはサッカーを何も理解していない人々が存在する。持続可能なプロジェクトが欠けており、我が国のサッカー界ではあらゆる変革が必要だ。このままでは次のビッグトーナメント出場まで30年待つ羽目になる。だからこそマケドニアは目の前のチャンスを生かすべきなんだ」

セイディーニ会長(右)にA代表を託されたミレフスキ新監督(左)。現役時代は元ドイツ代表マティアス・ザマーに憧れたDFだった

 10月に入ってリヒテンシュタイン相手に新体制での初勝利を飾るも(4-0)、続くドイツ戦は半年前の大金星の仕返しとばかりに返り討ちに遭う(0-4)。しかし、11月に敵地でアルメニアを一蹴(5-0)してグループ2位に立つと、続く最終節のアイスランド戦では「北マケドニアのダイヤモンド」ことMFエリフ・エルマスの後半2得点で3-1の勝利。ルーマニアを勝ち点差1で交わしてプレーオフ進出を果たした。試合後にリストフスキは喜びをこう語る。

 「マケドニアはEUROの大舞台やW杯進出が懸かるような試合に慣れていなかったが、ようやく僕たちは世界に目を見開いたと思う。現在のマケドニアはあらゆる事象に苦しむ国だ。それだけに代表チームの頑張りで国民が幸せになることが嬉しいんだ。ロッカールームでは白黒の区別もなければ、アルバニア人とマケドニア人の区別もない。あるのは一緒になって戦うユニフォームのみ。その事実を僕たちは証明したと思う」

本拠地トシェ・プロエスキ・アレナでプレーオフ進出を決め、円陣の中央で勝どきの音頭をとるリストフスキ

 現在、クロアチアの強豪ディナモ・ザグレブでプレーするリストフスキは、同国のスポーツ紙『スポルツケ・ノボスティ』のインタビューで北マケドニアの躍進をこう説明している。……

残り:3,452文字/全文:6,539文字 この記事の続きは
footballista MEMBERSHIP
に会員登録すると
お読みいただけます

TAG

アリヤン・アデミアレクサンダル・トライコフスキゴラン・パンデフステファン・リストフスキブラゴヤ・ミレフスキ北マケドニア文化

Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。近著に『もえるバトレニ モドリッチと仲間たちの夢のカタール大冒険譚』(小社刊)。

RANKING