20年前の君へ――リオネル・メッシとどこまでも
EL GRITO SAGRADO ~聖なる叫び~ #29
マラドーナに憧れ、ブエノスアイレスに住んで35年。現地でしか知り得ない情報を発信し続けてきたChizuru de Garciaが、ここでは極私的な視点で今伝えたい話題を深掘り。アルゼンチン、ウルグアイをはじめ南米サッカーの原始的な魅力、情熱の根源に迫る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第29回(通算188回)は、6度目の大舞台に立ったアルゼンチン代表のキャプテンが、38歳357日で初のハットトリックまでやってのけた今、ちょうど20年前の6月16日に初めてW杯のピッチを踏んだ、あの日の彼に伝えたい言葉。
2006年6月、君だけが“浮いて”いた
「これ以上望むものは何もない。神様は僕に十分すぎるほどのものを与えてくれた。このあとに来るものはすべてが“おまけ”。これから先は、ただ楽しむだけだ」
2026年6月16日、君は6度目となるW杯の初戦でハットトリックを決めたあと、ミックスゾーンで待ち構えていた興奮冷めやらないアルゼンチンのメディア関係者たちの前に現れて、落ち着いた口調でこう語った。もしも私が20年前の君――リオネル・メッシ――にそう伝えたとしても、おそらく信じてもらえないだろう。


2006年6月、ドイツで開催された大会で初めてW杯に出場した君は、アルゼンチン代表のキャンプ地ヘルツォーゲンアウラハのトレーニング場で、ひとりでいることが少なくなかった。当時のアルゼンチン代表はホセ・ペケルマン監督のもと、結束力の高いチームに仕上がっていて、グループはいつも和やかな雰囲気に包まれていたというのに、人一倍恥ずかしがり屋だった君だけが“浮いて”いた。
あの時のチームメイトの中には、12年後に代表監督を任されることになるリオネル・エスカローニの他、同じく代表でアシスタントコーチに就任するパブロ・アイマールやロベルト・アジャラもいた。面倒見のいい彼らが声をかけてくれなければ、君は自分から仲間の輪の中に入っていくことすらできなかった。そんな君を少しでも安心させようと、U-20代表で一緒にプレーして顔馴染みだったオスカル・ウスターリを招集したペケルマンの気配りがなければ、終始孤立していただろう。
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Profile
Chizuru de Garcia
1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。
