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エスカローニを支えるアイマールの存在。“クレイジー”と“健全”な2人の、「2試合だけ」から始まったW杯優勝への旅

2023.01.09

去る12月18日、カタールの地で悲願の戴冠を果たしたアルゼンチン代表。暫定監督からW杯優勝監督へ、母国を9大会ぶり3度目の頂点に導いた若き指揮官、44歳のリオネル・エスカローニを就任から陰で支え続けたのが、1歳年下のアシスタントコーチ、パブロ・アイマールだった。

 アルゼンチン代表の主役となって2022年W杯カタール大会を制し、ついに完璧な国民的英雄として君臨したリオネル・メッシ。その影響力はもはや神々しい域に達しており、彼が一家でバカンスを過ごしたフネスという小さな街ではさっそく名誉市民の称号を与えられた。

 リオネル・エスカローニ監督の評価もアルゼンチン国内ではうなぎ登りで、W杯を制したセサル・ルイス・メノッティ(1978年アルゼンチン大会)とカルロス・ビラルド(1986年メキシコ大会)と並ぶアンタッチャブルな存在となっている。偉大な2人の名将と同じく、今後何があろうとも彼の頭から冠が落ちることはないだろう。

 だが、いまだ優勝の歓喜の余韻に浸るアルゼンチンの人々の間で「2人のリオネル」への崇敬の念が高まる中、私は別の人物にスポットを当てたい。エスカローニのアシスタントコーチとして恩師ホセ・ペケルマンからの学びをチームに伝授し、W杯制覇の陰の功労者となったパブロ・アイマールだ。

ペケルマンから受け継ぐ「代表チームの8つの心得」

 「サッカーが君を必要としているよ、パブロ」

 2017年2月24日、エスカローニは自身のTwitterに、スペインで久しぶりに会った旧友アイマールとのツーショット写真に添えてそんなメッセージを投稿した。当時エスカローニはホルヘ・サンパオリ率いるセビージャでスカウティングを担当しており、ともにまだアルゼンチン代表の指導とは無縁だった。

 その3カ月後、エスカローニはサンパオリのアルゼンチン代表監督就任に伴って指導スタッフに加わり、4カ月後にアイマールがU-17代表の監督に就任している。5年と10カ月後には、2人がアルゼンチン代表を率いてW杯優勝の喜びを分かち合うことになろうとは知る由もなかったが、今振り返ってみると、このメッセージはエスカローニの先見性を示していたように思う。「アルゼンチン代表に求められるサッカー」を取り戻すため、後々エスカローニ自身がアイマールを必要とすることになるからだ。

 アイマールとエスカローニは1997年U-20W杯マレーシア大会で優勝した時のチームメイトで、その後もアルゼンチン代表として一緒に2006年W杯出場を果たしているものの、特に近しい友人同士だったわけではない。

 すべての始まりとなったのは、2018年7月にスペインのマジョルカ島で開催されたアルクディア国際ユース大会(以下アルクディア大会)だった。直前に行われたW杯ロシア大会でアルゼンチン代表(ラウンド16敗退)が方向性を完全に見失い、責任を問われたサンパオリが退任。それに伴ってアシスタントコーチ兼U-20代表監督を務めていたセバスティアン・ベカセッセも辞任してしまい、アルクディア大会を直前に控えてU-20代表の監督が不在となってしまった。そこで、サンパオリが連れて来たスタッフのうち唯一残留していたエスカローニが急きょ後任に選ばれたのである。

 ユース代表でプレーしていた頃から戦術やトレーニングのメソッドに人一倍興味を抱き、ペケルマン監督を質問攻めにして困らせたエピソードを持つエスカローニの分析力はすでにお墨付きだったものの、非公式とはいえ由緒あるアルクディア大会で指導未経験者に監督を任せるのはリスクが高い。一つ間違えば、W杯期間中に選手からの信頼を失ってチームを崩壊させたサンパオリのようなケースが繰り返される恐れもある。

 その危険を回避するため、エスカローニをサポートする役として抜擢されたのがアイマールだった。当時アイマールはすでにU-17代表監督として1年間の経験を積んでおり、2017年11月にはディエゴ・プラセンテ監督の右腕としてU-15南米選手権で優勝。自身の経験を生かした育成の哲学を打ち出し、若い選手たちの心を惹きつける指導を実践していた。

 それが目に見える形で示されているのが、アイマールがU-17代表監督に就任してからアルゼンチン代表の合宿施設内に掲げた「代表チームの8つの心得」だ。……

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アルゼンチン代表カタールW杯パブロ・アイマールリオネル・エスカローニリオネル・メッシ

Profile

Chizuru de Garcia

1989年からブエノスアイレスに在住。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒。幼少期から洋画・洋楽を愛し、78年ワールドカップでサッカーに目覚める。大学在学中から南米サッカー関連の情報を寄稿し始めて現在に至る。家族はウルグアイ人の夫と2人の娘。

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