47年ぶりのパリダービーは1勝1敗!パリSGとパリFC、生き別れた兄弟の“これからの関係”
おいしいフランスフット #24
1992年に渡欧し、パリを拠点にして25年余り。現地で取材を続けてきた小川由紀子が、多民族・多文化が融合するフランスらしい、その味わい豊かなサッカーの風景を綴る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第24回(通算182回)は、約半世紀ぶりの再会で、新年早々いきなりリーグ1第17節、フランスカップ32強で2連戦が組まれたパリ対決の模様をレポート。
君たちは俺らのライバルではないよ
2026年のリーグ1は、パリ・サンジェルマン対パリFCの“パリダービー”という象徴的な試合で幕を開けた。
パリFCが最後にトップリーグに在籍していたのは1978-79シーズンだから、両者の対戦は実に47年ぶりに実現したことになる。
“パリダービー”で言うなら、今は5部リーグにあたるナシオナル3部に在籍しているラシン・クラブとパリSGが1990年に対戦したのが直近では最後。欧州5大リーグの一角をなす国で、首都ダービーが35年間も存在していなかったというのは非常にレアなケースだ。ちなみにこの最後のダービーでは、ラシン・クラブで元フランス代表のイケオジことダビド・ジノラが出場していた。
その首都ダービーがいよいよ実現することになると、「父はパリSGファン、息子はパリFCファン!」という親子が紹介されたり、メディアでもそれなりに盛り上がった。
パリSGの本拠地パルク・デ・プランスと、パリFCが間借りしているスタッド・ジャン・ブーアンはお隣同士(おまけにスタッド・ジャン・ブーアン内にパリSGのオフィシャルショップがある!)というのも珍しい。そんな両者による対戦は、いったいどんなふうに盛り上がるのだろうかと、胸を躍らせつつパルク・デ・プランスに向かった。
敵対するサポーターグループのスタジアムへの動線はきっちり分けられているから、会場周辺がざわつくようなこともなく、雰囲気はいたっていつも通りだったが、試合前にはスタンドいっぱいに『PARIS C’EST NOUS』(パリは俺らだ)というどでかい横断幕が掲げられ、パリSGはパリのクラブ感をアピール。パリFCのサポーターはというと、コーナーに設けられたいつものアウェイ席にちんまりと収まっていた。2部にいた頃にも感じていたが、パリFCのサポーターには暴れん坊はあまりいない印象だ。
試合は、ほとんどの時間ボールを保持したパリSGに対し、パリFCが5バックでガッツリ守るという展開。スタッド・ランスのファンにはお馴染みの、中村敬斗らの元同僚ノア・サンギとティボ・デ・スメトも両サイドで奮闘していた。そんなパリFCの集中した守備にパリSGは攻めあぐねる。しかし前半終了間際にデジレ・ドゥエが突破口を開いて先制。
後半早々、パリFCがPKを決めて同点に並ぶと、劇的なドローもあるか?という期待も一瞬よぎったが、直後にウスマン・デンベレに取り返されて、その幻想は2分で終了。フランスリーグのディフェンディングチャンピオンが2-1で勝ちをさらったのだった。
試合中には気づかなかったのだけれど、あとで聞いたらパルクのスタンドでは、その4日後に予定されていたスーパーカップの対マルセイユ戦を意識したマルセイユチャントが巻き起こっていたらしい。
つまり、彼らにとってのライバルはマルセイユであり、“リーグ2から上がってきたばかりの君たちパリFCは、俺らのライバルではないよ”というメッセージを、パリSGファンは送っていたということだ。
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Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。
