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“コミュニケーション・モンスター”若狭大志、現役生活12年間の幸せな巡り合わせ

2024.02.13

ベガルタ・ピッチサイドリポート第10回

その明るい人柄はどのチームに行っても愛された。ルーキーで加入した大分トリニータを皮切りにJリーグの4クラブでプレーし、昨シーズンで現役を引退した若狭大志は、最後のクラブとなったベガルタ仙台のアカデミースクールコーチとして、この冬からはサッカーの大好きな子どもたちとともにセカンドキャリアを歩み出している。今回はおなじみの村林いづみが、そんな若狭の今までとこれからをじっくりと聞いてくれた。

 彼のいるところには、自然と笑顔が広がります。2023年シーズンで現役引退を発表した若狭大志さんです。大分トリニータ、ジェフユナイテッド千葉、そして東京ヴェルディで活躍し、ベガルタ仙台でプロサッカー選手としてのキャリアにピリオドを打ちました。

 寂しさが募る引退発表にも「昨年、退団コメントで『離れることになりました。また会いましょう』とお伝えしましたが、もう帰ってきました!」とたっぷりのユーモアを添えてくれました。人懐っこく、どんな時も一緒にいる人を楽しい気持ちにさせてくれる若狭さん。彼の第二の人生は、ベガルタ仙台アカデミーのスクールコーチとしてすでに始まっています。12年のプロとしての歩みや決断に至った思いを伺うべく、新しい日々を歩み始めた若狭さんに会いに行ってきました。

「若コーチ!」 新しい道はベガルタ仙台アカデミーのスクールコーチ

――1月24日に現役引退を発表されました。現役生活、本当にお疲れ様でした。今はどのような日々ですか?

 「もう、忙しいですよ。新しい仕事の内容を覚え、パソコンで作業し、今朝はピッチの雪かきです。指導のことなども、考えることが多いですね」

――改めまして、現在の若狭さんの肩書を教えてください。

 「ベガルタ仙台のスクールコーチの若狭。『若コーチ』です(笑)。2月1日から始動したので、まだ5日目です」(取材は2月6日に実施)

――現役引退の知らせは多くのサポーターを驚かせました。まだまだ、という声も多かったですが、どのように決断したのでしょうか?

 「22年にベガルタに来た頃には『もしかしたら最後のクラブになるかもしれないな』とは思っていました。東京ヴェルディの時もそうでしたが、30歳を超えてからは“一年、一年”という気持ちは持っていて、ベガルタに来た頃にはそういう思いは強くなっていました。33歳になる年に仙台へ来たので。今、サッカー業界は年齢に厳しい。だから、出続けなければすぐに契約は切られるだろうなと思っていました。けがはしましたが、一年間フルで頑張っての契約満了だったので、それはしょうがないという気持ちでした」

――契約満了が伝えられた後はどのように過ごしていたのでしょうか?

 「年が明けてからいろいろと動いて、一般企業という選択肢もありました。髭を剃って、髪を黒くして、履歴書を書いて面談に行ったりもしました。大学時代も就活をしていましたし、抵抗はなくて、ビジネスの世界に飛び込んでみたいという気持ちもありました。大変だとは思いますが、そういうお話もありました。その中で、ベガルタ仙台からもスクールコーチとしての役職を打診してもらいました。2年しかいなかったのにお話を頂けたことは嬉しかったです。僕も妻もすごく仙台が好きになったんです。このまま仙台でお世話になるのもいいなと。感謝しています」

――一般企業も視野に入れていたということですが、若狭さんはサッカー業界以外でも活躍できそうですね。

 「そうですね(笑)。引退を発表してから、各方面、いろんな方に報告をしたら、『指導者は一番やらなそう』『一番ビジネスの方に行きそう』と言われました。いずれそういう道もあるかなと思いましたが、気持ちはスクールコーチの方に行っちゃいましたね」

――子どもたちに「若コーチ」と親しまれている様子を見ると、指導者は向いているように感じますよ?

 「子どもたちと一緒に楽しむ分にはいいんですよ。でも、練習メニューを考えたりするのはまだまだ難しいです」

Photo: Idumi Murabayashi

仲良しの若狭家。「長く続けて欲しい」父と「早く辞めて欲しい」母の想い

――現役を引退するということは、ご家族にはどのように伝えられたのでしょうか?かなり相談したのでしょうか?

 「辞めることは相談しなかったです。次のキャリアについて、妻は『ビジネスの世界に行くのもいいけど、全く違う環境で、生活も変わるというよりは、仙台でのコーチの方がすっと入っていけるんじゃない?その方がストレスも少ないかもしれない』ということは言ってくれました。そういうものかなぁと思いました」

――奥様が仙台で働くことを後押ししてくれたんですね。若狭選手が仙台に来たばかりの頃は、奥様が新しい仙台の環境に慣れることができるか心配していましたね。

 「だからびっくりしたんですよ。いつでも関東に帰ることができるようにと、駅前に住んだりしたのに全然地元に帰らないし。むしろ仙台が好きになったというのはすごいですよね」

――引退発表のコメントではご両親や弟さん、奥様へ「どんな時も笑わせてくれてありがとう」という言葉がありました。とても印象的でした。

 「うちの家族、本当に仲が良いんですよ。定期的に関東に帰ると、弟一家も集まって、みんなで一緒にご飯を食べたりします。特別、笑わせようとか、面白いことをするわけでもないんですが、両親の会話や誰かの言動に、みんながわーっと笑うというか……。仲がいいんですよね」

――若狭さんは選手時代もご両親やご家族が見に来る日に、ゴールを決めていました。

 「そうなんですよ。何でなんでしょう……。いまだにわからないですけどね。仙台では1点しか決めていないです(22年J2第19節・栃木SC戦)。それも、親が見に来ていた試合でした。ルーキーの時にお世話になった大分時代もそうでした。関東から大分へはなかなか来られない。でも、埼スタで浦和レッズと試合をした時にも見に来てくれて、そこで決めることができました。大宮のNACK5でも決めました。持っているということなんでしょうか」

――そのご両親は引退についてどういう反応でしたか?

 「正直言うと、母ちゃんは毎年のように『もう辞めろ』と言っていました(笑)。安定していない、いつ首を切られるかわからない職業ですからね。プロに入る時も『本当にそれでいいの?』と聞かれました。逆に父ちゃんは、『一年でも長くプロをやって欲しい』と思っているんです。口には出さないですが、毎試合ちゃんとチェックしているみたいです。連絡も来ないですけどね。母ちゃんは帰省すると、毎回『あんた、来年はやめるんでしょうね?』って言います」

――それぞれの思いを感じますよ。

 「仙台の契約満了が発表されて、年末に埼玉に帰省した時に、まだ何も決まっていないのに、母ちゃんは地元で『もう辞めるんだって』と言って回っていました。スポーツ少年団や高校でも『若狭はもうプロを辞めるって』とうわさが広がっていて……。まだ何も決まっていないのに!あれはびっくりしましたね」

Photo: Vegalta Sendai

……

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Profile

村林 いづみ

フリーアナウンサー、ライター。2007年よりスカパー!やDAZNでベガルタ仙台を中心に試合中継のピッチリポーターを務める。ベガルタ仙台の節目にはだいたいピッチサイドで涙ぐみ、祝杯と勝利のヒーローインタビューを何よりも楽しみに生きる。かつてスカパー!で好評を博した「ベガッ太さんとの夫婦漫才」をどこかで復活させたいと画策している。

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