REGULAR

叫び続けた少年の声が象徴する熱狂。伊藤涼太郎がアルビレックス新潟にもたらしたもの

2023.07.03

大白鳥のロンド 第1回

それは1年半という短い時間とは比例しない、圧倒的に愛された男の旅立ちだった。6月11日。その日のビッグスワンのスタンドは、新たなチャレンジを祝福するために詰め掛けた3万人を超える観衆によって埋め尽くされた。新潟の地でとうとうそのポテンシャルを解き放ったファンタジスタは、この夏からベルギーへと活躍の場を移す。伊藤涼太郎。彼がアルビレックスにもたらしたものとは、一体何だったのか。ここは改めておなじみの野本桂子に、その実体を教えてもらおう。

それは「とても幸せな、旅立ちの日」だった

 「LET’S GO 伊藤涼太郎 俺たちの声を背に
  LET’S GO 伊藤涼太郎 魅せつけろ世界で」

 今季、最も密度高くオレンジ色に染まったデンカビッグスワンスタジアムに、サポーターの盛大な歌声が渦巻く。いつもは「決めろその足で」と歌われる歌詞は「魅せつけろ世界で」に替えて歌われ、新潟から世界へと羽ばたく伊藤へのエールとなっていた。

 2023年6月11日、明治安田生命J1リーグ第17節・京都サンガF.C.戦。この日は、5日にシント=トロイデンVV(ベルギー)への移籍が発表された伊藤涼太郎の、新潟ラストマッチとなった。数々の印象的なゴールやアシストでスタジアムをわかせたファンタジスタを送り出そうと、今季最多の30,136人が詰めかけた。

J1リーグ第17節・京都サンガF.C.戦後に行われたセレモニーの様子

 試合は1-3で敗れたものの、試合後の壮行セレモニーは伊藤とサポーターが互いに想い合い、感謝と愛情を惜しみなく伝え合う温かなものとなった。伊藤は時折、声を詰まらせながらも、どんなときも応援してくれたサポーターへの感謝と、日本代表を目指す決意を述べた。「1年半という短い間でしたが、こんなに好きになったクラブはありません」とストレートに思いを伝えると、最後に「アイシテルニイガタ!」と締め括った。

 その後、ゴール裏へ歩みを進めると、新潟最後のチャントが降り注ぐ。「LET’S GO 伊藤涼太郎 魅せつけろ世界で」。サポーターからの激励メッセージが寄せ書きされた、大きな日の丸の旗が贈呈された。

 とても幸せな、旅立ちの日だった。

アルビレックスへの完全移籍を導いた寺川能人との縁

 アルビレックス新潟から海外へ。昨年の本間至恩(クラブ・ブルージュ)に続き、2年連続で欧州移籍が実現した形だ。

 矢野貴章(2010年/フライブルク)に始まり、酒井高徳(2012年/シュツットガルト)、キム・ジンス(2014年/ホッフェンハイム)、田中亜土夢(2015年/HJKヘルシンキ)。そこから7年ぶりの22年に本間が旅立ち、伊藤が続いた。

 寺川能人強化部長は「ここに来る前から、海外へ行きたいという気持ちは知っていたので、クラブとしては、契約の部分がしっかりまとまれば、引き留めるというよりは『頑張れよ』という感じです」と送り出した。

 伊藤を新潟へ連れてきた寺川強化部長は、現職に就く前は、新卒選手のスカウトを担当。スカウトに就任した15年は伊藤が高校3年生の時期で、存在は認識していた。より興味を深めたのは18年。J1浦和レッズから、期限付き移籍先のJ2水戸ホーリーホックでプレーする姿は、新潟との対戦時にもチェック。その年9得点と活躍した伊藤に「やっぱりほかの選手とは違うものがある」と実感した。……

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Profile

野本 桂子

新潟生まれ新潟育ち。新潟の魅力を発信する仕事を志し、広告代理店の企画営業、地元情報誌の編集長などを経て、2011年からフリーランス編集者・ライターに。同年からアルビレックス新潟の取材を開始。16年から「エル・ゴラッソ」新潟担当記者、サポーターズマガジン「ラランジャ・アズール」編集を務める。

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