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ブンデス各クラブのファンが抗議行動。標的であるはずのホップ氏は無関係?

2020.03.06

 2月29日のブンデスリーガ第24節、ホッフェンハイムvsバイエルンの試合は奇妙な展開となった。78分に2度目の中断となった後、両チームの選手たちはプレーを止めてしまったのだ。選手やクラブ側からの“抗議”の意を示すために、90分に笛が鳴るまで両チームの選手たちがボールを回し、時間を潰したのである。

同時多発した“億万長者”への侮辱

 スタジアム内の通路では、バイエルンのハンジ・フリック監督(4部、3部時代のホッフェンハイムで5年も監督を務めた)や交友関係のあるカール・ハインツ・ルンメニゲCEOらに抱擁される、ホッフェンハイムの“パトロン“ディトマール・ホップ氏の姿がカメラに映し出された。

 ただ、関連する事件は他の試合でも発生した。ドルトムントやボルシアMG、ウニオン・ベルリンなど、ブンデスリーガ各クラブのファンたちが“連帯”しながらホップ氏にライフルの照準を当てたバナーを掲げ、侮辱的な歌を歌ったのだ。

 ホップ氏を同時に侮辱するファンたちの行為の背景には、ドイツサッカー連盟(DFB)との争いがある。ドイツの報道テレビ局『NTV』が3月3日にまとめている。

ホッフェンハイムとドルトムントの因縁

 元々、ホッフェンハイムが豊潤な資金力を元手にブンデスリーガに昇格したことを好ましく思っているファンは少なかった。もちろん嫉妬混じりでもあるが、いわゆる成金クラブが他クラブのファンたちに疎まれていたことは確かだった。2008年、真っ先にホップ氏にライフルの照準を当てたバナーを掲げたのがドルトムントのファンたちだ。ドルトムントファンとホッフェンハイムの因縁は、ここから始まることになる。

 とはいえこの10年間、ドルトムントのような特定のクラブを除くと、毎試合でホップ氏に対する侮辱的なバナーが掲げられたり、歌が歌われたりしていたわけではない。RBライプツィヒの台頭とともに攻撃の対象からも外れ、話題に上らない時期も長かった。

 事態が変わったのは、ホップ氏が2018年にケルン、そしてドルトムントのファンたちを刑事罰の対象となるように訴えたことにある。ホッフェンハイムのスタジアム内でホップ氏や他の人々を侮辱するような行為は、犯人が特定され次第、全て刑事罰の対象となるようになったのだ。

DFBとファンクラブ間の“抗争”

 さらに、2017年にDFBの会長だったラインハルト・グリンデル氏が「集団的処罰はしない」とファンたちに公言したにもかかわらず、2019年12月、DFBスポーツ裁判所がドルトムントファンのホッフェンハイムのスタジアムへの入場禁止を決定した。とはいえ、この決定は“執行猶予付き”という名目の下であり、それが施行されるとは誰も信じていなかった。

 ところが2020年2月、誰もが予想していなかった事が起こった。3年間の入場禁止が、本当に正式決定されたのだ。これまでの“暗黙の了解”を覆すこの決定は、ブンデスリーガの各ファンクラブ間に衝撃を与えた。ここは抗議の意を一致団結して示さなければならない――。そうして第24節の各スタジアムでのアクションが計画された。

 ホッフェンハイムと因縁もない他クラブのファンがアンチ・ホップ氏のバナーを掲げることは、「集団的処罰」を受けたドルトムントファンへの連帯を示し、DFBへの抗議を示すシンボルとして使われていたにすぎないのだ。

最高の雰囲気は危うい均衡の上に成り立つ

 DFBの会長に新しく就任したばかりのフリッツ・ケラー氏はこの処罰の決定後、『ビルト』のインタビューで「ライフル銃の照準が描かれたバナー」について言及。その後、各ファンクラブにハーナウで起こったテロ事件被害者への黙祷に感謝しつつ、「少人数のグループが一人ひとりの人間への尊敬を忘れてしまっている」、「ファンの“聖域”である立ち見席の撤去を要請せざるを得ないリスクをはらんでいる」と『ビルト』に掲載された発言の意図を説明。これが火に油を注ぐ結果となってしまった。

 ドルトムントのファンたちから「ファンを黙らせるためにハーナウのテロの犠牲者を濫用するのは、ライフル銃の照準バナーよりもたちが悪い」と書かれる事態にまで発展。侮辱の対象となるホップ氏は、その裏にあるDFBとファンの間の抗争のシンボルになってしまった。ブンデスリーガの各クラブはこの動きを見て、ファンに対する処遇を見極めている状況だ。

 今回の件は、DFB/DFL(ドイツリーグ機構)、クラブ、そしてファンの力関係が危うい均衡を保ち、その上にブンデスリーガの満員のスタジアムが成り立っていることを外に示すこととなった。


Photo: Getty Images

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バイエルンブンデスリーガ中断成金抗議

Profile

鈴木 達朗

宮城県出身、2006年よりドイツ在住。2008年、ベルリンでドイツ文学修士過程中に当時プレーしていたクラブから頼まれてサッカーコーチに。卒業後は縁あってスポーツ取材、記事執筆の世界へ進出。運と周囲の人々のおかげで現在まで活動を続ける。ベルリンを拠点に、ピッチ内外の現場で活動する人間として先行事例になりそうな情報を共有することを心がけている。footballista読者の発想のヒントになれば幸いです。

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