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20年ぶりのUEFAユーロ開催地に。熱気が6月のオランダを包む

2020.01.18

 2000年6月のことだった。オランダの高速道路、A2号線をユトレヒト方面からアムステルダムに向かう途中のフィンカーフェーンあたりに慢性的な渋滞ができていた。高速道路沿いの牧場の牛が、オランダ代表のユニフォームを着ながら巨大なサッカーボールを蹴る姿にドライバーが釘付けになっていたのだ。ベルギーとUEFAユーロ2000を共催したオランダは、国中がサッカーに夢中になっていた。

 オランダ代表の試合がある日、オランダ人は早々にオフィスを後にした。日本人駐在員が日本料理屋で「オランダ人がサッカーで仕事をサボる尻拭いを俺たちがして、夜遅くまで残業しないといけないんだ」と愚痴をこぼしているのが私の耳に入ってきた。一方、私は「お前、今日の試合のチケットがあるんだろ? お前の仕事は俺たちがカバーするから、15時になったらさっさと帰れ」と言われるほど、オランダ人の同僚に恵まれていた。

好天から一転、敗戦の涙雨に

 私はオランダ代表の初戦となるチェコ戦を同僚とアムステルダム・アレナへ見に行った。当時のチェコが強かったこともあったが、それ以上にオランダが緊張してしまって力を出せず、危ういシーンが続いていた。漫画などで恐怖や緊張から歯をカチカチ鳴らす人物の描写がよく出てくるが、私の同僚はチェコの攻撃に苦しむオランダを見ながら本当に歯をカチカチ鳴らしていた。それでもオランダは1-0で辛勝し、幸先良いスタートを切った。

 尻上がりに調子を上げていったオランダは、スタディオン・フェイエノールトで行われた準々決勝でユーゴスラビアを相手に超攻撃サッカーを披露し、6-1で撃破した。この歴史的大勝利でオランダの優勝へのビクトリーロードが開けたかに思われたが、準決勝のイタリア戦はのちに「オランダvsトルド」と言われるほど相手GKフランチェスコ・トルドがオランダ攻撃陣の前に立ちふさがり、相手の退場による11人対10人の数的優位も、2度のPK獲得も生かせず、0-0からのPK戦(1-3)で涙をのんだ。

 素晴らしい天気に恵まれたユーロ2000だったが、準決勝を境にオランダの天気は一気に崩れていった。あれはきっとオランダ人の涙雨だったのだろう。代表チームとともに国民がともに笑いともに泣く「血と汗と涙」(オランダの演歌歌手アンドレ・ハゼスのこの名曲はサッカー場で頻繁に歌われている)の1カ月だった。

この20年間で環境は大きく変化

 20年前のあの興奮が再びオランダに戻ってくる。ユーロ2020の開催地の一つにアムステルダム(旧アムステルダム・アレナ。現ヨハン・クライフ・アレナ)が選ばれ、オランダ代表はグループリーグ3試合をすべてホームで戦うことになったのだ。

 この20年間、オランダのサッカー界は本当にいろいろなことがあった。今はちょうど暗黒期から抜け出してオランダ代表とアヤックスが欧州を驚かせ、フィルジル・ファン・ダイク(リバプール)がバロンドールに手の届きそうなところまで来たほど、タレントにも恵まれている。また、オランダ女子代表のステータスアップもこの20年間で劇的に変わったことで、スーパーマーケットのおまけのサッカー選手のカードにも、女子代表のスターたちが混じるようになった。

 明るいニュースの一方、エースのメンフィス・デパイ(リヨン)が靭帯を切ってしまい、ロナルド・クーマン監督は開幕戦までに人材発掘と新たなチーム戦略に腐心しなければならない。ピンチはチャンス。きっと新たなタレントがこの半年で出てくるだろう。

 『ファイフティーン・ミルユン・メンセン(「1500万人」という意味。リリースは1996年)』という歌が流行ったほど、20年前のオランダは1500万人の国民が一つになってオランダ代表を応援していた。今年は1700万人の国民がチームを後押しするだろう。オレンジ色に染まったこの国を6月のまばゆい太陽の光が照らし出し、それが鮮やかなエフェクトとなって代表チームの力となるはずだ。

 20年前の記憶は色褪せない。オランダにとってセミ自国開催となった今年のユーロもまた、そんな一大イベントになるだろう。


Photo: Getty Images

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アムステルダムアヤックスオランダユーロ

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中田 徹

メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。