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ワールドクラスの日本人FWはいた。本人に直撃!久保竜彦のルーツに迫る

2020.05.18

中野和也が描く、渾身の久保竜彦ルポルタージュ(前編)

「日本人ストライカー改造計画」――つまり、世界に通用する日本人ストライカーを誕生させる方法を探るわけだが、過去の日本人ストライカーの中にすでにその答えはあるのかもしれない。今も「W杯で見たかった」と夢見る人が続出する久保竜彦だ。彼をプロデビューから追い続けた中野和也氏に、ゴールデンウィーク後の5月7日にオンラインインタビューで2時間以上(夕方5時から晩酌してビール3本を呑んでインタビューに備えていたという)語り続けたという本人の言葉を、当時の事情を知る中野氏の解説とともにぜひ読んでほしい。前編では、「ストライカー」久保竜彦・誕生前夜の物語を振り返る。

プラハの衝撃。天才ジーコが夢を見た

 2006年ドイツW杯は、久保竜彦の大会になった可能性すらあった。

 前年のクリスマス、ブラジルメディアの質問に対して当時の日本代表監督だったジーコはこう語っている。

 「君たちはきっと驚くと思うよ。日本代表のエース・久保竜彦という存在に」

 当時、世界的にはほぼ無名のストライカーの名前を挙げざるを得ないほどに、日本のFWは人材難だったか。答えはイエスであり、ノーである。

 中盤には中田英寿・中村俊輔小野伸二ら欧州で実績を上げた黄金世代の選手たちがそろい、他にも小笠原満男や遠藤保仁ら実力者が牙を研いでいた。しかしFWには、高原直泰や柳沢敦といった万能型FWがいたとはいえ、圧倒的な存在感を示していたわけではない。W杯で勝利するには、ボールを持てなくなった時、相手に厳しく守られた時、それでも個人の能力でDFを圧倒し、打開できる存在が絶対に必要である。ただ、高原や柳沢は国際試合の経験もあり、黄金世代を牽引してきたストライカーたち。チームの重要なピースとして機能できる能力は十分に備えてはいた。

ドイツW杯をおよそ3カ月後に控えた2006年2月末、ボスニア・ヘルツェゴビナと親善試合を戦ったジーコジャパン。久保(後列左から2番目)は9番を背負い、中村俊輔(後列右から2番目)、高原直泰(前列左から1番目)、中田英寿(前列右から2番目)、小笠原満男(前列右から1番目)らと先発出場を果たしていた

 久保竜彦は、彼らとは紛れもなく、異質だった。組織ではなく個人で欧州DFと勝負できる能力を持ち、誰にも頼らずに勝負を挑める気概も備えていた。

 2004年4月28日、チェコ・プラハ。稲本潤一からのパスを右サイドで受けた久保竜彦は、ドリブルで一気に持ち上がる。中には日本の選手もいたが、パスやクロスは一切、考えない。ペナルティエリアの中に突入し、切り返しでチェコ代表DFのマークを外してシュートコースを作り、豪快に突き刺した。

 世界的GKとしての階段を登っていたベトル・ツェフがどうしようもない一撃。2001年11月の対ベルギー戦以来20戦不敗、ホームで10勝1分と圧倒的な強さを示していたチェコに日本が勝利する原動力はまぎれもなく久保竜彦の存在だった。しかもこの試合、チェコはバベル・ネドベドなどの主力をそろえていたのに対し、日本は中村俊輔・高原直泰・中田英寿といった主力が出場できなかった。その中での勝利は、その状況での得点は、大きな価値を持つ。

 その年の欧州遠征は、まさしく久保の活躍が目立ちに目立った。2-3で敗れたハンガリー戦。セットプレーで喫した2失点の後、久保は右サイドを突破して玉田圭司のゴールをお膳立て、本山雅志のスルーパスに鋭く反応してGKをかわし強烈な同点ゴールを突き刺している。アイスランド戦では小野伸二の縦パスをペナルティエリア内で受け、2人のDFをかわして柔らかいシュートを決めて同点、さらに小野のロングパスを受け、ループシュート。豪快なイメージが強いが柔らかさを合わせ持つ久保らしい2得点。

アイスランド戦では21分、ペナルティエリア内でボールを受けた久保は巧みな切り返しで守備網を突破。慌てて飛び出してきたGKをあざ笑うようなチップキックで同点弾を沈めた

 欧州選手権予選でドイツ・スコットランドと競い合っていたアイスランドは、決して弱いチームではない。彼らはチェコ戦をスカウティングし、久保の特長も把握していた。それでも、日本のストライカーを止めることはできなかった。

 「久保竜彦の忘れられない左足一閃。あのチェコ戦が今も心に残る理由」というNUMBER WEBに掲載された戸塚啓氏のコラムから、こんな文章を引用したい。

 2006年のドイツ・ワールドカップはグループリーグ敗退に終わり、ジーコは日本代表に別れを告げてフェネルバフチェの監督となる。トルコのイスタンブールへ彼を訪ねると、ジーコの方から久保に話題を向けてきた。

 「W杯のメンバーを23人に絞り込むのは、本当に大変な作業だった。連れていきたい選手は、もっとたくさんいたからね。ワールドカップで見てみたい選手もいた。たとえば久保だ。彼の左足は、大げさでなくワールドクラスだよ」

速く、高く、柔らかい。そして「クレバー」

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日本人ストライカー改造計画

Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。