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モウリーニョはなぜマンチェスター・ユナイテッドを去らねばならなかったのか?

2020.03.23

モウリーニョは、またも“3年目のジンクス”を破ることができなかった。しかし、奈良クラブの林舞輝氏は、監督だけの問題ではなく、はるかに根深い問題がクラブにあると言う。この解任劇から何が見えてくるのか?「総力戦」をテーマに紐解いてもらった。

 なぜジョゼ・モウリーニョはマンチェスター・ユナイテッドの監督の座を降りなければならなかったのか……。この謎は、深い。この難問を解く上で大きな障壁は、「モウリーニョという監督の問題」と、それよりもさらに根深い「マンチェスター・ユナイテッドというクラブの問題」を分けて論じなければ、謎の本質に迫れないことだ。

モウリーニョという監督の問題

 またしても、モウリーニョが同じクラブを3シーズン以上率いることはなかった。補強を含め上層部のサポートがほとんどなかったこと、何より私自身がモウリーニョに講義をしてもらった身でありその人間的な魅力にたらし込まれた一人であることを差し置いても、今季のユナイテッドのゲームは、本当に酷かった。ピッチ上での魅力的なものは何もなかった。改善点は良くなるどころか日に日に増えていった。そして、フェライーニという最終兵器がそういったピッチ上のネガティブな問題すべてをうやむやに葬り結果オーライにしてしまっていたのも、長期的に見れば弊害だった。今シーズンのあの絶望的な試合内容を見れば、モウリーニョが退くのは時間の問題だったとすぐにわかるはずだ。

 ピッチ上の問題で結局解決しないまま終わったのは、中盤の構成、特にポグバの最適なポジションだ。ポグバの最も得意とするポジションは間違いなくトップ下である。だが、モウリーニョのサッカーをする上でのユナイテッドのトップ下のベストプレーヤーはリンガードだった。結果、ポグバの主戦場はボランチになったが、守備の意識は低くポジションも守れないため、マティッチの負担が大きくなった。マティッチも広いスペースをカバーできるタイプの選手ではないので、中央のスペースを使われる場面が多々あり、CBの選手の質の低さをさらに露呈させてしまう形になっていた。結局ポグバの最適な起用方法は最後までわからずじまいだった。

 もう一つは、「カウンター型ビッグクラブのジレンマ」に陥ったことだ。ユナイテッドの選手を見ると、ポゼッションで崩せるメンバーではない。長い時間をかけて小さいスペースの中で崩すよりも、短い時間の中で広いスペースを使って仕留めるカウンター型の選手が多い。最前線のルカクも、その恵まれたフィジカルから勘違いされやすいが、イブラヒモビッチやドログバのようにクロスからフィジカルでズカンと押し込んだり、ゴリゴリと強引にシュートまで持ち込むタイプではない。むしろ、一瞬の駆け引きや動き出しの秀逸さで相手を出し抜くタイプであり、クロスからのゴールは得意ではなくフットサルのようにクレバーな動き出しとスピードを生かすカウンター型の選手だ。

 したがって、ユナイテッドが最も危険なのはカウンターなのだが、リーグ戦ではほとんどのチームがユナイテッドを格上だと見なしており、相手はリスクをかけず撤退することが多いために、そもそもカウンターをさせてもらえるチャンスがなかった。これはカウンター型のビッグクラブが頻繁に陥る罠である。昨シーズンのリバプールが国内よりもCLの方が得意だった理由であり、レスターが優勝後のシーズンで他チームから「強豪」と見なされ相手側が引いて守るケースが多くなりカウンターの機会が激減、途端に勝てなくなった原因でもある。リバプールが「互角もしくはそれ以上の相手にはカウンターを炸裂させるが、格下に引いて守られるとスワンジーにすら負ける」という欠点を克服すべく、シャキリやナビ・ケイタなどポゼッション型の選手を補強した一方、ユナイテッドはフェライーニに任せて問題をうやむやにし先延ばしにしていったツケが回ったと言っていいだろう。

ユナイテッドというクラブの問題

 だが、モウリーニョうんぬんよりもはるかに根深い問題が、マンチェスター・ユナイテッドというクラブそのものだ。転落の原因はモウリーニョではない。最大のターニングポイントは、モイーズでもファン・ハールでもモウリーニョでもなく、グレイザー家による所有と彼らの買収に一役買ったエド・ウッドワード(Executive Vice-Chairman)によるクラブ運営のスタートである(そしてまた、ユナイテッドの影に隠れ続けていたもう一つのマンチェスターのクラブがオーナー変更によりこちらはポジティブな大きなターニングポイントを迎えたのは、なんという皮肉であろうか)。

マルコム・グレイザー(右)

 ユナイテッドの本当の問題とはクラブの構造と体制そのものであり、端的に言えば上層部が、非常に控えめな表現をさせてもらうが、世界でも有数の無能集団ということだ。ここがまともにサッカーを知らずまともな意思決定ができないと、天下のユナイテッドでも凋落してしまうというのは、選手vs選手でも監督vs監督でもなく、クラブそのものvsクラブそのものという大総力戦になっている現代サッカーの象徴とも言える出来事だ。

○ すべてが契約通りに進んでいれば現在も監督はモイーズである
○ モウリーニョと2018年1月に契約を延長し、2018年12月に契約を解除した

 たったこの2つの事実だけで、ユナイテッドの上層部の迷走が目に見えてくる。そもそも、モウリーニョにどういうつもりで契約延長を提示しただろうか? ファーガソンのような長期政権のつもりだったのか。だとしたら、このたった半年の試合内容と結果で解任に踏み切るのはおかしい。逆に、目先の結果を求めているならば、モウリーニョにとって鬼門である3年目がすぐそこに迫っているのに契約を延長するのも理にかなっていない。

 ユナイテッド転落の謎を解き明かすのは、商業主義への傾倒である。ファーガソンの勇退以降、クラブの意思決定の基準は勝利やタイトルではなく、利益、株価、資産価値に変わってしまった。だが、この問題の解説は「商業主義」の一言で片づけられるほど簡単なものではない。何しろ実際に商業面で成功していることが物事を複雑にしてしまっているのだ。

サッカークラブの「成功」とは何か

 グレイザー家とウッドワードはピッチ内のパフォーマンスを判断する能力がなく(そもそもピッチ内のことなど興味がないのだろう)、商業的な意思決定基準しか持っていない。そして、事実として、借金の管理を担当した元銀行家であるウッドワードがクラブ運営を開始してから、ユナイテッドは確かにビジネス面では成功を収めてしまっている。サッカークラブとして資産価値は世界1位となり、先日のアカウントの公開によると、ユナイテッドには5億9000万ポンド(約826億円)の収入があり、これはマンチェスター・シティなどよりも多い。つまり、彼らにとってクラブ運営は見事に「成功」しているのだ。

エド・ウッドワード

 これはサッカークラブに対する価値観が違うというだけで、彼らが間違えていると断言することは難しい。私は先ほどから「転落」とか「凋落」という言葉を使っているが、それはユナイテッドのピッチ上でのパフォーマンスの話だ。違う指標、つまりピッチ外での数字を見ると彼らは確かに「成功」しているのだ。現地メディアでは、ウッドワードは今回の解任でユナイテッドの株価が上昇したため、この判断は大成功だったと喜んでいるという、まことしやかな報道まである。

 よって、虚しいことに、ファンやOBの声は彼らには届かない。意思決定の基準がそもそも異なるからであり、「順位が~、結果が~、パフォーマンスが~」と言ったところで、「そんなことは重要じゃない、私たちはビジネス的には成功しているのだから、それはつまりサッカークラブとして成功している」と返されれば、もうどうしようもない。勝利を基準としているファンやOBと、利益や資産価値を基準としている上層部で、何しろ「クラブの成功」という言葉の意味が違うために、永遠に議論が噛み合わないのだ。

 「俺たちには、金なんかじゃ買えない栄光と歴史がある」

 ユナイテッドファンが同都市の金満クラブを揶揄し自分たちのプライドを守るために頻繁に使うセリフだ。だが、ユナイテッド自身の商業主義への傾倒が、たった10年弱で起きたマンチェスターという工業都市におけるサッカー界の大逆転劇への引き金となった。何という皮肉であろう。一方は良いプレーのために金を利用し、一方は金のためにサッカーを利用したのだ。マンチェスター・ユナイテッドが誇ってきた「栄光」は日に日に色褪せ、地道に積み上げ守り続けてきた「歴史」はどんどん思い出すのが難しくなってきてしまっている。今後ユナイテッドが「強いユナイテッド」に変わるとしたら、グレイザー家とウッドワードが、「もうこれ以上ビジネス面と商業面での成長は見込めない」と判断し、ユナイテッドを売りに出した時だろう。

Photos: Getty Images

Profile

林 舞輝

1994年12月11日生まれ。イギリスの大学でスポーツ科学を専攻し、首席で卒業。在学中、チャールトンのアカデミー(U-10)とスクールでコーチ。2017年よりポルト大学スポーツ学部の大学院に進学。同時にポルトガル1部リーグに所属するボアビスタのBチームのアシスタントコーチを務める。モウリーニョが責任者・講師を務める指導者養成コースで学び、わずか23歳でJFLに所属する奈良クラブのGMに就任。2020年より同クラブの監督を務める。