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ローカルとも、アジアとも。 ともに歩むJリーグの国際戦略

2019.09.30

「Jリーグアジア戦略」が本格的に動き出したのは2012年。以降、Jリーグはタイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、シンガポール、インドネシア、マレーシア、カタールとプロリーグ協定を締結し、またたく間にアジア諸国へ進出。そこで歩み始めたのは日本で培ってきたノウハウを各国に売りつける道ではなく、“無償提供”しながらアジアサッカー全体の発展に寄与する道だった。アジアとともに歩み進めることを選んだJリーグの真意に迫るため、発起人であるJリーグ国際部長・山下修作氏にインタビューを行った。

戦略の肝はサッカーを通じた地域創生・活性化


――まずはアジア戦略発案に至るまでの山下さんのキャリアについて教えてください。大学までサッカーを続けていましたが、そのままサッカー界で働くのではなく、いったん離れてからサッカー界に入られたそうですね。再びサッカーを人生の軸に据えたきっかけは何だったのでしょうか?


 「正直、社会人になる前は本当に趣味としてサッカーをしていたので、自分がサッカーの仕事に携わるとは思ってもいませんでした。高校3年生の頃にJリーグが誕生しましたが、それも単なるファンとして見ていたくらいです。

 転機となったのは2002年の日韓W杯でした。カメルーン代表が大分県にある中津江村(現・日田市中津江村)でキャンプをしていたんですが、そこで選手と地元のお年寄りの方々が交流している報道を見て、サッカーが日本全国で地域を活性化させている様子に心を動かされたんです。それがきっかけとなり、より直接的に人の感動や感情に寄り添う仕事がしたいと思っていたところ、たまたまサッカー界で働いている先輩からお誘いいただいたこともあって、数名でスポーツマーケティングの会社を始めたのがサッカー界に入った経緯です」


――日韓W杯での原体験はその後にスタートされたアジア戦略にも影響を与えているのでしょうか?


 「当初はリーグとして収入を得るためにアジア戦略を進めていたんですけど、日韓W杯で味わった『サッカーを通じた地域創生・活性化』が原点になっていたこともあって、Jクラブがある地域にお金が回るような仕組みを作ることにしました。大企業がスポンサーについてない場合、Jクラブの経営規模はその基盤となる地域の経済規模によってある程度決まってしまうことがあります。さらに日本は人口減少・高齢化が進んでいるため、今後の成長が見込みづらい。この問題を解決するためにJクラブを海外と結びつけることを思いつきました。

 『クール・ジャパン』のように日本そのものと海外を結びつける取り組みはあっても、地域と海外をダイレクトに結びつける取り組みは少ない。でも、Jクラブの場合はクラブ名に地域名が入っているので日本だけでなくその地域の知名度・好感度を上げることや、クール・ジャパンの先にある『クール・ローカル』――海外と地域を直接結びつけることができます」


――そこでアジアを選んだのはなぜでしょう?


 「アジア戦略がスタートする前の2010年頃は、リーマンショック直後でJクラブも成長の見通しが見えづらくなっていましたが、東南アジア諸国でサッカーが盛り上がっているという話を聞きました。そこで東南アジアのサッカーを対象とした新規ビジネスを発案したんですけど、私自身が東南アジアのプロリーグを見たことがなく、提案をしてもリアリティも説得力ない状況でした。そこで、自分自身で見に行って現地の状況を感じることにしたんです。ただ、プライベートで行っても遊んできただけと思われ説得力が出ないと思ったので、なんとか仕事を作り業務で行きたいと考えていましたが、当時は海外に関する業務をしていなかったので、簡単に海外出張が認められる状況ではありませんでした。

 当時、Jリーグのプロモーションにも携わっていたので、このプロモーション業務の延長として、SNSを活用してJクラブのサポーターから預かったユニフォームをカンボジアの子どもたちに届ける企画を考案しました。

サポーターにJクラブのユニフォームの寄付を募るプロジェクトが始まった2011年、最初に彼らの“宝物”を引き継いだカンボジアの子供たち。 サッカーファンの関心を想い出が詰まったユニフォームの行き先で起こっている社会問題へ集めることも目的の1つだ
現在も同プロジェクトは『サポユニ for smile』として継続中。2018年までに累計5000枚以上が寄付され、同年にはツバル、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セネガルの3カ国へ届けられている

 カンボジアは当時直行便がなく乗り継ぎでタイに立ち寄る必要があったので、そのついでにタイで試合を見て、勝手にファンにインタビューをしたり、試合周辺の状況を調べたりしました。それを報告書にまとめてポテンシャルや課題を明確にした上で再提案した結果、会社にも認めていただいて2011年の4月に新規事業開発プロジェクトを立ち上げることができ、アジア諸国へのヒアリングを始めました」


――そこから2012年に始動するアジア戦略に向けた動きがスタートしたということですね。タイではどんなアジアのポテンシャルを体感したのでしょうか?


 「まずタイリーグを見に行った時、最初に感じたのは『Jリーグ元年の1993年と似ているな』ということでした。若い人たちがみんなユニフォーム姿で街中を歩いて、スタジアムに行くと一つひとつのプレーにワーワーと盛り上がっていて、すごく活気があって。みんなが新しいものに寄り添って勢いが出ている感じがして、自分が高校3年生の時に味わった感覚に近いと思いました。だからこそ、『Jリーグが1993年から培ってきたノウハウが、いろんな形で役に立つのではないか』と思いましたね」


――山下さんがかつて日本で目にした光景に通じるものがあったと。どういったところで日本のノウハウが役立っていますか?


 「ASEAN各国のサッカー界に携わる人たちへヒアリングをしていて一番驚いたのは財閥のトップであったり、経済界の偉い方々が直々に出てきたことです。ASEAN各国でそういう人たちがたくさん、リーグやクラブの経営に関わっていたんです。“ホワイトハウス”のような自宅に連れていかれたこともありました(笑)。ASEANは経済が伸びていますしサッカーへの熱意も日本以上にありますが、立ち上がったばかりのプロリーグはチケット・放映権・スポンサーセールス、グッズ販売等の収入で安定した利益を出すことはできず彼ら富豪がクラブ運営を支えている状況がほとんどでした。投資に見合う成果が得られていないのです。

 一方で日本は昔こそ東南アジア諸国よりも弱かったですが、今ではW杯常連国にまで成長しました。その成功の鍵が育成と健全なリーグ・クラブ運営への注力であることに彼らは気づいていますし、Jリーグには彼らの参考となる事例が多々あります。 例えばアジア戦略の一環としてアジア各国のクラブから関係者を日本に呼んでJクラブの事例を見せる時、J1トップクラブの話よりもJ2の中規模クラブの話をするとすごく反応がいいんです。経営的に行き詰まっていたチームが復活した事例や地域リーグにいたクラブが売り上げを億単位にまで持っていった事例を真似てクラブ経営をしていこうとしています」

「アジア=パートナー」 がヨーロッパとの差別化に


――逆に日本がアジアから学べる点もあるのではないでしょうか?


  「スピード感やクリエイティビティですね。例えば、彼らはロゴを変えたり、SNSで発信する時にパッとカッコいい素材を用意できます。しかも決断から実行までのスピードが非常に速い。そこは僕たちが学ぶべきところですし、全部が全部Jリーグが優れているとは思ってないです。僕らが意識していたのは『彼らも欧州サッカーを見ている』ということ。Jリーグは欧州サッカーよりもブランド力がないので、ヨーロッパとは違った切り口で彼らと向き合う必要がありました。そこでJリーグはアジア各国と『ともに成長すること』を掲げたのです。アジア各国の人々が一生懸命やっていてもうまくいかない時に自分たちのやり方を押しつけるのではなく、『こういうやり方もあるよ』と日本のやり方を提案しつつ、現地の人々がやりやすいやり方をサポートしていくことを意識しています。

 今はアジア各国のプロリーグと提携しているんですが、この理由もヨーロッパとの差別化にあります。ヨーロッパはアジアを“マーケット”として見ているため、今のアジアからいくら稼げるかしか見ていません、僕たちはともに成長していく“パートナー”であることを認識してもらうために、まずはリーグ間で提携を結んで、その提携のもと、日本のノウハウを無償で提供しその国のサッカーの成長をサポートすることを大きく強調しました」


――アジア戦略と聞くと、アジア諸国を従属させるようなイメージをしてしまいがちですが、Jリーグは“パートナー”として協力している。ノウハウの無償提供にもそのスタンスの違いが表れています。


  「アジア各国の経営者・政治家は現地のいろいろな業界に精通しているのでノウハウを売りつけるのではなく、より協力的にノウハウを無償提供してネットワークを築いた方が長期的なビジネスパートナーとして関係を構築することに繋がります。アジア戦略がスタートした2011年時点でもアジアマーケットでこそJリーグが占めるシェアは大きかったのですが、世界的に見たらまだまだ小さい。『このまま狭いアジアの中でシェアを伸ばすのではなく、ノウハウを無償で提供していくことによってアジア全体のマーケットを大きくして、Jリーグもともに大きくなっていきたい』。そう説明すると、代わりに彼らは喜んでスポンサー企業のアジア進出をサポートしてくれる。そうやってJリーグが地域企業の橋渡しをしてきた実績はいくつもあり、経団連が政府に提出している『国家ブランドの構築に向けた提言』でも企業のアジア進出の際にJリーグを活用することが推奨されています」

“パートナー”にアジア戦略の概要を説明する山下氏(左)。アジアではJリーグのノウハウを求めて現地の有力者が直々に出迎えてくれることも珍しくないという


――具体的にJリーグやJクラブが企業のアジア展開に役立った事例はあるのでしょうか?


  「事例はたくさん出てきています。アジア戦略が始まった当初の頃の事例ですと、東急がサポートして、ベトナムのビンズン省へ川崎フロンターレが試合に行ったんです。 J1クラブが初めてビンズン省に来たということで大歓迎される中、現地のビンズンFCと対戦しました。その試合前にレセプションパーティーを開催したところ、ベトナム側も日本側もVIPが続々と出席されて交流し良好な関係を築くことができていました。現在も東急が現地の会社と合弁企業を設立し、ベトナム最大級のまちづくりを行っています。 フロンターレはその後も毎年U-13チームの遠征先としてビンズン省で大会に出たり、指導者を派遣してサッカー教室を開催したりして長く良好な関係を続けられています。

 これ以外にもタイへ進出を目指す赤城乳業が、ガリガリ君のプロモーションに北海道コンサドーレ札幌に所属しているタイ代表のチャナティップ選手を活用して現地進出を推進したり、横浜F・マリノスがパートナー企業のタイやミャンマー進出を現地提携クラブのオーナーにサポートしてもらいながら実現させたりと、様々な事例があります」


――すでにビジネス面で成果を上げているんですね。競技面などその他には、どのような狙いがあるのでしょうか?


  「Jリーグがいろんな角度からサポートすることによって、『東南アジア諸国から初のW杯出場国を出す』ことも掲げています。彼らにも“ジョホールバルの歓喜”を味わってほしいんです。その時に主力選手がJリーグで活躍していれば、Jリーグへの関心度も上がって、視聴者が増えたり、スポンサー企業が増える効果を見込めます。ノウハウを無償提供し始めた時には『敵に塩を送っているだけじゃないの?』『周りが強くなったら日本がW杯に出場できなくなるんじゃないの?』と言われることもありましたが、日本はW杯に行くまでのアジア予選とW杯に行った後の本大会で戦い方が異なる“ダブルスタンダード”に苦しんでいると思っています。ボールがより多く支配できるW杯アジア予選と自分たちよりも強い相手が多いW杯本戦で戦い方を変えなければならない現状では、4年間を通した継続したコンセプトを持ったチームづくりが難しい。将来W杯で優勝したいのであれば、まずはアジア全体のレベルを上げていって、高いレベルの予選を苦労しながら勝ち抜いていくようにしないと、W杯本戦で上位に進出することが難しいんじゃないかと思うんです。なので、自分たちがW杯で良い成績をあげるためにもアジアのレベルアップが必要だと思っています。

 あと、サッカー界はヨーロッパを中心に回っています。国際マッチデーのカレンダーなどを含め、色々なことがヨーロッパの意見が通りやすくなっていると思っています。それをフェアに変えていくにはアジアとしても強力な発言権を持ちたいんですけど、現状ではなかなか持てない。だから、将来的に南米・北中米・アジアと組んで一体となり、経済規模的にヨーロッパと対抗できる軸ができればより発言権を得られるようになるかもしれません。そうやって世界でフェアにサッカーが回っていけばいいですね」


――今後、この国際戦略がアジアだけでなく世界へ広がっていけばいいですね。お忙しいところ、ありがとうございました。

Shusaku YAMASHITA
山下修作

(公益社団法人日本プロサッカーリーグ国際部長・パートナー事業部長)
1975.12.19(43歳) JAPAN

埼玉県生まれ。北海道大学大学院農学研究科卒業後、2001年にリクルートに入社。営業、編集、企画、新規事業立ち上げ、WEBマーケティング等に携わる。2004年、株式会社SEA Global取締役就任。2012年にはJリーグアジア戦略室室長としてアジアを中心に国際戦略を展開。その戦略のひとつとしてJクラブを通じ地域へのインバウンドや地域企業の海外展開に取り組む。2017年4月株式会社Jリーグマーケティング専務執行役員就任。2019年1月より現職。

Photos: J league

Profile

足立 真俊

1996年、岐阜県出身。生まれもっての“人見知り”を克服するためにアメリカにあるウィスコンシン州立大学でコミュニケーション学を専攻。学業の傍らで趣味として始めた翻訳活動がきっかけとなり、翻訳を通じたサッカーに関する情報発信を模索中。2019年5月、結局“人見知り”のままfootballista編集部の一員に。