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佐々木翔、稲垣祥、伊東純也、三浦颯太はなぜ見つかったのか。「獲ってきた選手はみんな自分の子どもみたいな感覚」ヴァンフォーレ甲府・森淳スカウトインタビュー(中編)

2025.10.24

Jスカウトに求められる視点#11

今や「欧州組」「日本人対決」という言葉が陳腐化するほど、数多くの日本人選手が海を渡って活躍している。欧州各国からの評価も年々向上し、10代の選手たちのキャリアプランに夢ではなく、リアルな選択肢として「欧州クラブ」が加わるようになった。日本でも秋春制の導入、U-21 Jリーグの創設など大きな改革が進む中で、才能の原石を見つけるプロたちは何を考えているのか?――これからのJスカウトに求められる視点について様々な角度からフォーカスしてみたい。

第10~12回はヴァンフォーレ甲府の森淳スカウト。スカウト初年度に中田英寿を獲得してから、30年にわたるキャリアを積み上げ、佐々木翔、稲垣祥、伊東純也、三浦颯太など、のちの日本代表選手がまだ“原石”だった時代に彼らを発掘し、プロの世界に導いてきた“超目利き”の敏腕スカウトには、ご自身のたどってきた歴史を振り返っていただきながら、選手を見る時のポイントや選手獲得の流儀について、大いに語ってもらおう。

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ヴァンフォーレ甲府のスカウトに就任した経緯

――森さんがベガルタからヴァンフォーレ甲府に来たのは、どういう経緯からですか?

 「それなりにいくつかのチームからお話はあったんですけど、今の甲府のアカデミーダイレクターの内田一夫さんと仙台で一緒だったんですね。内田さんとはコーヒー1杯を飲みながら、3時間ぐらいサッカーの話を夢中でできるんですよ。その内田さんが先にここへ来ていたので、『ああ、内田さんがいるならいいな』と思ったのが1つです。

 あと、甲府だけは『普段は自宅にいて、会社には必要な時だけ来ればいい』と佐久間さんが言ってくれたんですね。『関東だけをメインでやってくれ』と。それがあって、家族のことも考えたうえで決断しました。

 実は僕はいろいろな意味で山梨と関わりがあったんですよ。旭高校の伊藤清春先生は甲府工業から山梨大学に行かれた方ですし、初めて県外で試合をしたのは2年生の時の関東大会だったんですけど、その時の会場が韮崎の市営グラウンドだったんです。

 スカウトになって最初に獲得した中田英寿も山梨の出身ですし、フジタで役員をされていた岩下さんも甲府工業の方で、そのままベルマーレとフジタの関係が続いていたら、ベルマーレの社長をやる予定だった人なんですけど、その岩下さんと一緒に組んでヒデを獲りに行っていましたし、何かと山梨県と関わって悪いことがなかったんですよ。

 それもあって、『甲府に行ったら良いことが起こるんじゃないかな』と勝手に思い込みながら、ましてや神奈川の家に住みながら仕事ができるということで、ヴァンフォーレのスカウトになりました。ただ、外から見ていたヴァンフォーレに対しては、『どうやって勝っていくのかな?』とはずっと思っていましたね」

――それはどういう理由からでしょうか?

 「まず年齢層が高いイメージがありました。それからあの時は大木(武)さんのサッカースタイルが確立されていて、そのサッカーは面白いのですが、大木さんがいなくなったらどうなっちゃうんだろうと。そのサッカーを進めていくために、そういう選手を集めるのは難しいかなとも思いました。

 昔は一番良い選手は真ん中にいた方がいいという時代だったところから、ロベルト・バッジョがサイドに行ったように、サッカーは縮まって広がるスポーツなので、一番ボールをキープできる選手がサイドに行くイメージが入り込んでいた時代に、大木さんのサッカーは同サイド、同サイドだったと。『そういうサッカーをやるためにはどういう選手を獲ればいいのかな?』というのが、最初に思ったことです。

 僕が行った時はもう大木さんはいなかったですけど、どこのチームもやっていないスタイルですし、言い方はちょっと悪いですけど、選手のトータル的な技量はちょっと落ちていて、なおかつ年齢層の高い選手が多かったので、その次のイメージがどうしてもできなかったですし、そのあたりが難しいなと感じていました。

 ただ、今のロアッソ熊本でも獲ってきた選手は上手くなっていますし、そこから他のクラブに行ってもそれなりにできるんですよ。でも、あの時はそこも理解できなかったのも事実です。実際の大木さんは1つのスタイルで生きている人ではなくて、その時々の選手次第でやり方を変えていっている人じゃないですか。今になって思うんですけど、ベテランの監督さんはそれができるんです。監督というのは、与えられたこの素材の中で何ができるかが大切なので、ベテランのみなさんは生きていけるんですよ。

 でも、今のトレンドのサッカーを海外に行って勉強してきたような若い監督は、あっちもこっちも真似事みたいに同じようなサッカーをやっているので、サッカースタイルが面白くも何ともなくなってきますよ。目の前の選手たちでどういうサッカーをするかが、監督の面白さであり、我々が期待するところでもあり、監督もその過程の中で勉強していくんです。

 バルサやバイエルンは凄いですけど、そういうお金を持っているチームは、監督が『こういうサッカーをやりたい』と言ったものに合わせるから、右のサイドバックに10億出して、左のサイドバックに20億出して、やりたいことができるわけですよ。でも、ほとんどのチームはそうじゃないのに、その真似をしていたら、ね」

2002年と05~07年の2期にわたって甲府を率いた大木武監督

「歳を取れば取るほど、情に流される」

 「僕にとってはクラブというものを除外したら、獲ってきた選手はみんな自分の子どもみたいな感覚でいるので、サッカー選手として、ここである程度成功させて、次へ、次へと行かせたいというか、移籍するのはクラブの立場としてはキツいんですけど、会って、話をして、ずっと見てきて、かわいがっている子がステップアップを考えている時に、『クラブは残れと言っているから、ここにいろよ』というのはちょっと嫌だなと思っているんです。

 そういう意味では、たとえば極端な話ですけど、センターフォワードの選手がセンターバックをやるというのは、僕にとっては歓迎できないです。何年もかけて選手を見ているのに、使う側に『この選手にセンターフォワードのイメージはない』とか言われると、『うーん……』とは思いますよね。この選手はこういうところがあるから、こういうふうに使おうと考えて獲ってくるわけで、今の若い監督さんにはそういうところがあるのかなと思いますね。

 やっぱり歳を取れば取るほど、情に流されるわけですよ。『あの選手、何で獲ったんだ?』『それは情だよ』と言っちゃうぐらいなんですけど、それでも『何とかなるな』という想いは自分の中に完全にあるのに、その路線とは違うことをやらされると、サッカーキャリアが短くなっちゃうんです。

 良いコンバートならともかく、それが本人に合っていなかったら、その子は世間から見られない選手になってしまうかもしれないんですよ。そこをやらせるんだったら、その時代にはそのポジションに他のいい子もいたんだよと。さらにこれから育っていく先輩や、これから良くなってくる後輩もいるのに、本人も『ここじゃないな……』と思っているヤツがそこをやったら、たぶん試合に出させてもらっていたとしても、2年ぐらいで消えちゃうんですよ。そういうのは嫌なんです。

 何回も言いますが、ここに来てもらった選手には、30歳までサッカーをやれるようにという、自分の中で1つのものさしがある中で、大学を卒業した選手は8年しかないので、1年1年が本当に大切なんです。だから、ディフェンス、中盤、フォワードの中での、右や左、中や外という位置はあると思うんですけど、極端なコンバートはどうしても納得がいかないんですよ」

――僕は複数ポジションができた方が、選手生活が伸びるんじゃないかと思ってしまいました……。

 「まったくその通りです。僕はその考えでやってきていますし、複数ポジションができない選手は獲っていないです。そこだけのポジションでは生きていけないので、複数ポジションをやってくれと。だけど、複数あるポジションの中で、僕の感覚では『左のアタッカーで獲ったのに、GKをやれ』というようなコンバートはしてほしくないわけです。

 ちなみにストライカーのルーキーは、佐久間さんと話して獲っていないです。そこは優先順位も外国籍選手が高いポジションで、獲ってもかわいそうなので、あまり手を出していないんです。基本的にボランチとセンターバックができたり、右のサイドバックと3バックの真ん中ができたりと、ポリバレントな選手ばかりを獲ってきました。

 でも、やっぱりセンターフォワードの感覚のある子が、センターバックをやるのはおかしいと思うんですよ。試合の流れの中で、ケガ人が出たり、人数の都合でそうなるのはしょうがないですけど、そもそもトレーニングからそういうことをされると、センターバックをメインで獲った子とのズレが生じてくるわけです。そこにモヤッとする時はありますね。

 試合に使ってくれるのは嬉しいけれど、果たしてそれでその子が長く生きていけるかと言うと別問題で、適切ではない形でポジションをいじられると、その子のサッカー人生が変わってきてしまうので、そこはクラブともちゃんと戦って言わなきゃいけないことじゃないのかなと思います」

佐久間悟代表取締役社長と伊東純也

敏腕スカウトは選手のどこを見ているのか

――試合を見に行った時に、森さんが選手を見るポイントはどういうところなんですか?

……

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Profile

土屋 雅史

1979年8月18日生まれ。群馬県出身。群馬県立高崎高校3年時には全国総体でベスト8に入り、大会優秀選手に選出。2003年に株式会社ジェイ・スカイ・スポーツ(現ジェイ・スポーツ)へ入社。学生時代からヘビーな視聴者だった「Foot!」ではAD、ディレクター、プロデューサーとすべてを経験。2021年からフリーランスとして活動中。昔は現場、TV中継含めて年間1000試合ぐらい見ていたこともありました。サッカー大好き!

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