地方クラブが生き残るスカッド編成の肝はチームとともに成長できる選手の獲得。大分トリニータ・平井秀尚スカウトインタビュー
【特集】これからのJスカウトに求められる視点#3
今や「欧州組」「日本人対決」という言葉が陳腐化するほど、数多くの日本人選手が海を渡って活躍している。欧州各国からの評価も年々向上し、10代の選手たちのキャリアプランに夢ではなく、リアルな選択肢として「欧州クラブ」が加わるようになった。日本でも秋春制の導入、U-21 Jリーグの創設など大きな改革が進む中で、才能の原石を見つけるプロたちは何を考えているのか?――これからのJスカウトに求められる視点について様々な角度からフォーカスしてみたい。
第3回は大分トリニータの平井秀尚スカウト。強化担当としてのキャリアは今年で10年目。地道なネットワーク構築を後ろ盾に、ギラヴァンツ北九州で若き才能を次々にチームへ招き入れる手腕を存分に発揮。今季から活躍の場を大分に移した平井スカウトには、地方クラブが逞しく生き残るうえでの、選手獲得やスカッド編成の肝を語ってもらう。
強化担当10年目。ギラヴァンツ北九州で築いたキャリア
——平井さんは今季から大分トリニータの「強化担当兼スカウト担当」となられていますが、昨季まで務められていたギラヴァンツ北九州で卓抜した成果を挙げられた印象が強いです。今日はいろいろとその周辺のお話を伺いたいのですが、まずはそもそも、平井さんのサッカーとの出会いをお聞かせいただけますか。
「小学3年生のときでしたかね。学校のグラウンドを使っている街クラブがあって、友達も何人か入っていて。自分もやってみたいなと、休みの日に学校の外から眺めていたのが、ボールを蹴りはじめるきっかけでした。
ポジションはずっとディフェンダー。小中高とサッカーを続けて、地元神戸の地域リーグの社会人チームに入って。京都のアマチュアチームで3年プレーしたあと、また神戸に戻ってトップチームのコーチになって、2008年にA級ライセンスを取得。翌年から4年間はカターレ富山U-15で指導にあたりながら、アカデミーダイレクターも兼任しました。
2013年にギラヴァンツ北九州のU-18監督兼アカデミーダイレクターとなって、3年間それを務め、4年目の2016年に強化担当兼スカウトに。だから強化担当としてのキャリアは今年で10年になりますね」
——育成指導者から強化のほうに移られたきっかけは何だったのでしょうか。
「スクールから小・中・高とアカデミーの各カテゴリーで指導を続ける中で、一度はトップチームに関わる仕事をしたいなと思っていたんです。指導者でも、指導者以外でも。そう考えていたときに北九州で、そういうタイミングがあったということです」
——2015年なら、当時のトップチームは柱谷幸一監督体制でしたよね。
「そうです。柱谷監督の4年目、最後のシーズンでした。その前年はJ2で5位、天皇杯ベスト8と好成績を残したんですけど」
——2019年に小林伸二監督体制になってからは、監督がスポーツダイレクターと兼任でしたから、スカウト後も平井さんにかかるものも大きかったのではないですか。
「もちろん、契約するかどうかのジャッジは伸二さんです。その段階に至るまでの準備や、獲得を決めてからの契約手続きなどを僕がやっていました。スカウトとしての情報収集にはじまり、強化全般の仕事を経験したことで、僕も強化担当として力がついた時期だったと思っています」
ディサロ燦シルヴァーノ、町野修斗、椿直起。北九州に集った確かな才能
——当時から北九州って、カテゴリーがJ2でもJ3でも、いい選手を集めているなという印象があったんです。当時はまだ専用スタジアムもなくて、本城陸上競技場で試合をしていた。新門司の練習場のクラブハウスも簡素なものでしたよね。そんな環境なのに、ポテンシャルの高そうな選手を多く集めていました。
「チーム状況がいいときには、能力の高い若い選手のレンタルが出来ていたということがありますね。僕がスカウトになって3年目、伸二さんが監督兼スポーツダイレクターになった年に、高校生や大学生のスカウト活動をしている中で、マリノスやエスパルスに進んだ選手たちのその後の状況も把握していたので、伸二さんから『この選手はどう?』という話が出たときにすぐに対応できて。マリノスから町野修斗、生駒仁、椿直起。エスパルスからは髙橋大悟。大分からの國分伸太郎もいましたね」
——あの2019年夏から2020年にかけては、のちに大きく成長して活躍する若い選手たちがたくさんいましたね。
「僕も自分が強化に関わったチームを、毎試合、ワクワクしながら見ていました」
——高いポテンシャルを持つ選手たちを、何故あれだけ集めることが出来たんでしょうか。
「いま振り返ると、当時はまだ周囲のクラブでスカウト体制があまり固まっていなかったんですよね。J1クラブはしっかりしていましたけど、J2ではチーム専属で動いていたスカウトというのは少なかった印象があります」
——J2クラブが狙うレベルの選手たちをチェックしやすかったということですか。
「ほかのクラブと競争することになったら絶対に敵わないので、早い時期に情報収集に動いていました。ただ獲得時期は、大学生だったら4年生の10月、11月とか。たとえば、いま山形で活躍している、当時は法政大のディサロ燦シルヴァーノ。大分にも練習参加していたと思いますけど、獲らないっていう話になったみたいで」
——来てました、来てました。いまとなってみればどうして獲得しなかったのかと(笑)。
「僕は彼が大学2年生のときに初めてプレーを見たんですけど、そのときは『この選手は競争になるから絶対に獲れないな』と思っていて。でも、3年生、4年生になると大学での出番が少なくなって、大分も獲らないっていうじゃないですか。これはしめしめと思いました(笑)」
——地方の小さなJ2クラブで町野選手とディサロ選手がピッチに並び立っていたって、すごいことですよね。履正社高校と法政大学。
「関東や関西の高校や大学リーグのフォローを、僕は1人でやっていたんですけど、DENSOカップなどにもこまめに足を運んで、1年生のときから情報をチェックしたりして、取り貯めていたリストの中で選んでいけたのが奏功したんです」
——北九州でプレーしたあと、移籍先で活躍しています。まだブレイクしていない彼らを同時期に集めることが出来たのはミラクルですよね。平井さんの嗅覚でしょうか。
「どうですかね、彼らの頑張りですよ。でも本当にあのシーズンは多分、川崎か北九州かと言われるくらい、いいサッカーをしていると評価してもらいました」
——彼らのポテンシャルを見極めるポイントは何かあったんですか。
「あったのかどうかわかりませんけど……自分が小学校時代からずっとサッカーを続けてきた中で、スーパーな選手はどの年代でもスーパーなんですよ。小学生のときにすごいなと思った選手は中学生になってもやっぱりスーパー。その成長曲線は多分、高校時代の町野とかにもあったし、大悟も椿もそうですね。
椿のレンタルを考えてマリノスの小机のグラウンドに見に行ったときには、まだなかなか全体練習に入れてもらえずにピッチの外で何かやってる、走ってるくらいの状況だったんですけど、彼には可能性がありそうだというのは、やっぱり感じましたよね」
——どこを見てそう感じたんですか。
「そのときは、全体練習が終わっての居残り練習だったかで、2対2とか、そういうちょっとしたことしかやってなかったんですけど。その中でも光るものがあったというか、一生懸命やっているし、時折見せるプレーに違うものがあったというふうに記憶しています」
——それは何だったんでしょう。技術なのかセンスなのか。
「いろいろじゃないですか。技術もあり、センスもあり。フィジカル的な強さでもあり。その中でどこか長けていたり、平均的に水準が高かったり」
髙橋大悟は高校2年の新人戦で輝いていた!
——アカデミーで指導していたときにも、選手が予想外の成長をしたといったことはあったんですか。
「それは本当に、たくさんありました。富山のジュニアユースの監督をやっていたときに、今年の6月から奈良の監督に就任した小田切道治や、いま八戸で石﨑信弘監督の下でやっている高橋勇菊と一緒に中学3年生を教えていたんですけど、いろいろなコーチングや指導方法を学んでいる中で、あまりああしようこうしようといった細かい指導をせずにいたんですよ。
そのうちに3人で顔を見合わせて『あいつらすげえな、あんなに出来るようになったぞ』みたいな、キュッと伸びた瞬間があって。そのときの選手の中からは1人、富山でプロになって、その1人しかなれなかったんですけどね」
——清水からレンタルした髙橋大悟選手は、いつ頃から見ていたんですか。
……
Profile
ひぐらしひなつ
大分県中津市生まれの大分を拠点とするサッカーライター。大分トリニータ公式コンテンツ「トリテン」などに執筆、エルゴラッソ大分担当。著書『大分から世界へ 大分トリニータユースの挑戦』『サッカーで一番大切な「あたりまえ」のこと』『監督の異常な愛情-または私は如何にしてこの稼業を・愛する・ようになったか』『救世主監督 片野坂知宏』『カタノサッカー・クロニクル』。最新刊は2023年3月『サッカー監督の決断と采配-傷だらけの名将たち-』。 note:https://note.com/windegg
