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J1残留を託す涙の裏側。新潟から羽ばたいた稲村隼翔はセルティックでもビッグスマイルを見せられるか

2025.07.23

【特集】旅立ちの時。夏の海外移籍#4
稲村隼翔(アルビレックス新潟→セルティック)

欧州サッカーがシーズンオフとなる夏は、Jリーグからの海外移籍が佳境となる季節だ。ベルギー、オランダ、ポルトガル、デンマーク、チャンピオンシップ(英国2部)に渡った逸材たちが高確率で活躍することで、近年日本人選手への評価がさらに高まっている。この夏、Jリーグ経由で新たに羽ばたく挑戦者たちにフォーカスする。

第4回は、アルビレックス新潟からセルティックへと完全移籍した稲村隼翔。プロ1年目の今季に背負った責任と、周囲に与えた刺激を振り返る。

 6月29日、デンカビッグスワンスタジアムで行われたJ1第22節・FC町田ゼルビア戦が、稲村隼翔のアルビレックス新潟でのラストゲームとなった。

 海外移籍が決定的であることはスポーツ紙で報じられていたが、公式発表はされていない状態でのホーム戦。報道陣もサポーターも、心の準備をして町田戦を見守ることになった。試合は、今季ワーストの4失点で完敗。今季最多の3連敗となり、順位は18位から19位に下がった。

 試合後のミックスゾーンに現れた稲村は、呆然としたような表情だった。目は潤んでいる。移籍に向けた思いについてのコメントを引き出そうと、取り囲む各社が角度を変えて質問を投げかけたものの、迂闊に明かすことはなく、誠実に、ぼかした返答に徹する。

 最後に、この先どんな選手になりたいか尋ねられると「W杯に出て、世界で自分のことを知らない人がいないようなプレーヤーになりたいと思います」。そのために、海外移籍します、とは、もちろん言わなかった。

 思いやりの均衡で成り立っているような、なんとも歯がゆく緊張感漂う質疑応答が終わる。たまらず最後に一言「(海外で)頑張れ」と声をかけると、「まだわかんないっすよ」と絶妙にはぐらかし、やっと笑顔らしきものを見せて去っていった。

 翌朝、クラブから「稲村隼翔選手が海外クラブへの移籍を前提とした手続きと準備のため、6月29日をもってチームを離脱しました」との案内が届いた。「稲村隼翔、世界を翔けろ」というビジュアルとともに。そして7月5日、SNSのタイムラインには「セルティックへようこそ、ハヤト!」の文字が。白と緑のユニフォームを身に着けた稲村の写真が、どんどん流れてきた。背番号は、中村俊輔氏(現・横浜FCコーチ)がつけた25。「輝いて見えたから」という理由で選んだことも、セルティック公式のインタビュー動画で知ることができた。

 稲村が特別指定選手としてチームに帯同していた昨季から、親交を深めていた奥村仁は「キャンプが始まる前から話はあったことは聞いていて。遅かれ早かれ、今年行くんやろうなとは思っていました」と明かす。ただ稲村自身、正式加入が内定していた新潟でプレーしたいという思いもあり、その時点では保留に。再びオファーが届いた5月までに、海外移籍経験がある先輩選手や、近しい選手たちには相談していたようだ。奥村は互いに気心の知れた橋本健人、森昂大とともに、最後は食事をして稲村を送り出した。

 奥村には、スコットランドへたどり着いた稲村からさっそく、LINEでメッセージが届いた。「『俺、どう?』ってユニフォーム姿の写真が送られてきて、なんか、大学生のコスプレかなって(笑)。『めっちゃ似合ってるやん。大学生やん』って返したんですけど。でも、契約書にサインしている動画を見て、ほんまに海外、行ったんやなぁと思いました」と、大阪人らしくツッコミを入れつつ、喜ぶ。その思いは、いつも近くで、彼が苦しむ姿を見てきたからこそ、ひとしおだ。

 「アイツは1つ後輩ですけど、今年はチームを引っ張っていこう、勝たせようっていう気持ちが、本当に強かった。責任を1人で背負いすぎじゃないかっていうくらい。新潟が今、残留争いをしている状況で、移籍することに迷っていたし。だから、自分たちがしっかり勝って、アイツが『海外に行ってよかった』と思えるようにできたら、一番いいですね」(奥村)

サイドチェンジよりも無失点。世界的に貴重な左利きCB

 稲村は2002年5月6日、東京都生まれ。FC東京U-15深川、前橋育英高を経て東洋大へ進み、大学3年時の2023年に、新潟への加入内定と、JFA・Jリーグ特別指定選手登録を決めた。4年生となった昨季は、公式戦にたびたび出場。CBや左SBとして、J1リーグ12試合、ルヴァンカップ7試合に出場した。コミュニケーション能力も高く、大学と新潟を行き来する生活の中で、リスペクトする千葉和彦、舞行龍ジェームズの振る舞いや技を間近で観察して吸収し、積極的に質問を投げかけて、自らを成長させた。

よく話していた舞行龍と、今年の宮崎キャンプでランニングする稲村(Photo: Keiko Nomoto)

 ピッチ内では年長者にも遠慮なく指示や意見をすることができる。徐々に主力として定着し、リーグではJ1残留、ルヴァンカップでは決勝戦進出に貢献した。並行して、東洋大学体育会サッカー部では副将を務め、全日本大学サッカー選手権(インカレ)で優勝を成し遂げている。大活躍のスーパー大学生として、注目度は抜群だった(詳しくは過去記事『ビッグスワンに舞い降りた「進撃の現役大学生」。アルビレックス新潟・稲村隼翔が描く驚異的な成長曲線』を参照)。

 プロ1年目の今季は、開幕戦から5試合連続でスタメン出場。第1節・横浜F・マリノス戦では稲村の個人チャントが披露されたことからも、サポーターから、すでに認められ、愛されていることがわかった。

 左利きのCBは、世界でも貴重な存在。利き足から繰り出される多彩なパスは魅力的だ。相手と駆け引きしながら攻撃の組み立てに関わり、守備網のスキを突く縦パスでチャンスを生み出す。

例:2024シーズンのJ1第30節・湘南ベルマーレ戦の75分、谷口海斗のチーム3点目をアシスト

 自らボールを運び出してファーストラインを突破し、攻撃に厚みをもたらすこともできる。

例:2025シーズンのJ1第4節・セレッソ大阪戦。17分、自陣で奪ったボールを味方に預け、ペナルティエリアで受け取ってシュート。こぼれ球から矢村健の先制弾が生まれた

 そして稲村の代名詞とも言えるのが、鋭いサイドチェンジのパス。相手にかからない絶妙な高さと、相手の帰陣より速く味方に届く絶妙なライナー。今季のJ1第20節・横浜F・マリノス戦では、73分に大きく対角へ展開し、これがダニーロ・ゴメスの決勝点へとつながった。これまでも、サイドチェンジでチャンスを生み出す機会はあったが、ゴールに結びついたのは初めて。「やっとダニーロが決めてくれた」と喜んだが、DFとしては「それよりも失点0で抑えられたことがうれしい」と、6試合ぶりの完封勝利を喜んだ。

 続く第21節・アビスパ福岡戦では、4分にCKの流れから、初ゴールも決めている。ただ、勝ちきれず、この試合を最後に、樹森大介前監督が解任となった。

「考えることが増えていた」今季に番記者が感じた変化

 今季、新潟の指揮官となった樹森前監督は、ハイプレス・ハイラインでの戦いをチームに落とし込んだ。稲村はDFラインをコントロールし、「間に刺すパスが通れば、一気にチャンスになる。ミスをしても、チャレンジをなくすな」(樹森前監督)と縦パスを期待され、それに応えようと持ち味を発揮した。その反面、パスを奪われ、背後を取られてカウンターを受ける回数が増えたことも事実。DFとして苦しむこととなった。

 「去年は、自分のためだけに、ひたすらやっていたんです。でも今年は、チームを勝たせたいということだったり、自分が立てた目標だったり、『俺ならやれる』と、自分に対する期待値が高かったり、それを仲間にも求めたりして、去年よりも考えることが増えていた気がします」(稲村)

……

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Profile

野本 桂子

新潟生まれ新潟育ち。新潟の魅力を発信する仕事を志し、広告代理店の企画営業、地元情報誌の編集長などを経て、2011年からフリーランス編集者・ライターに。同年からアルビレックス新潟の取材を開始。16年から「エル・ゴラッソ」新潟担当記者を務める。新潟を舞台にしたサッカー小説『サムシングオレンジ』(藤田雅史著/新潟日報社刊/サッカー本大賞2022読者賞受賞)編集担当。現在はアルビレックス新潟のオフィシャルライターとして、クラブ公式有料サイト「モバイルアルビレックスZ」にて、週イチコラム「アイノモト」連載中。

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