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「トランジション=切り替え」ではない理由。戦術用語の「日本化」のすゝめ

2025.05.28

知ればさらにサッカーが面白くなる!
新戦術用語のすゝめ
#1

「疑似カウンター」「ジャンプ」「ピン留め」……サッカー中継や分析記事内で登場する戦術用語、実はよくわからないと感じたことはないだろうか? 戦術的概念を言語化したサッカー用語は、試合をより深く味わうことができるツールにもなる。今特集では、最近よく使われるようになった新戦術用語の意味をわかりやすく解説したい。

第1回は、特集の前提条件として「戦術用語の『日本化』のすゝめ」について考えてみたい。直輸入で使用されるカタカナ用語と日本のサッカー用語の違いから、ローカライゼーションの必要性、そしてサッカー用語の3つのレイヤーについて、サッカージャーナリストであり翻訳家でもある片野道郎氏に深堀してもらった。

「直輸入」と「日本のサッカー用語」の違い

 「ポジショナルプレー」や「ゲーゲンプレッシング」から、「ハーフスペース」や「偽9番」まで、この15~20年間に新たに生まれ広まった戦術用語は少なくない。それは、2000年代に入って、サッカーの戦術やトレーニングメソッドが本格的な学術的研究の対象になると同時に、ビデオ分析やデータ分析など新たなテクノロジーの導入によって、ピッチ上の現象をこれまでとは違ったより俯瞰的な視点から観察し、分析し、理解することができるようになったことと無縁ではない。

 こうして、ピッチ上に革新をもたらすような新しい戦術的概念が次々と生み出され、それを定義し表現する新しい用語とセットになって広まってきた。これまでになかった概念が、それを定義する新しい言葉を必要とするのは必然である。こうした「新語の発明」は、現場での指導に携わる監督・コーチの世界でも、それを報じるジャーナリズムの世界でも、継続的に行われてきている。中にはすぐに定着したものもあれば、定着せずに消えていったものもある。

 『footballista』でも以前から、様々な形で「戦術用語」が取り上げられてきた。イタリアの独立系WEBマガジン『ウルティモ・ウオモ』と提携してfootballista×l’Ultimo Uomo 戦術用語辞典』という別冊が発行されたことすらある。これらの企画はいずれも、サッカー戦術最先端の地であるヨーロッパで起こっている戦術の進化と発展をフォローし理解することを目的としてきた。そのため、ヨーロッパで使われている戦術用語をカタカナ表記でそのまま、あるいは日本語に直訳した形で、その由来、定義から、それに対応するピッチ上での現象、それがもたらす効果までを解説するという内容になっていた。

 それと比べると、今回の「新戦術用語のすすめ」企画は少々趣が異なっている。というのも従来同様ヨーロッパで使われている戦術用語を直接取り上げるだけでなく、「疑似カウンター」「大外アタック」「ピン留め」など、日本語化されたサッカー用語も含まれているからだ。前者が欧州サッカー用語の「直輸入」だとすると、後者はそれが指し示すピッチ上の現象は欧州にも日本にも存在するが、言葉としては日本サッカーの文脈の中で消化されて生まれてきた「日本のサッカー用語」だと言うことができる(あとで触れるが「ジャンプ」はその中間に位置している)。

 ここで立ち上がってくるのが「サッカー用語の日本語化」という問題である。この問題については、すでに今から7年前、現浦和レッズコーチ兼分析担当の林舞輝さんが『「日本サッカーの日本語化」はなぜ重要?“ポリバレント論争”が秘める闇』で非常に重要な論点を挙げている。

 それは、海外で使われている用語を「輸入」し、それを助けにしてサッカーへの共通の認識と理解を深めていく上では、その用語を日本サッカーの文脈の中に位置づけた上で「しっかり客観的で普遍的な定義や意味を決める」こと、そして「その定義・一般化された考え方が全土で共有され統一されている」ことが大切だという点だ。もちろんこれは、日本で生まれた「日本のサッカー用語」についてもまったく同じように当てはまる話だろう。

 海外で使われている用語の「輸入」においては、林さんが指摘しているように、言語の意味をそのまま日本語に移し替えるというよりもむしろ、その言葉がどのように使われているのかを理解した上で、日本語という言語環境や日本サッカーの文脈の中で意味を持ち機能するような形に置き換えていく作業も必要になってくるはずだ。

翻訳家として感じてきた「悩ましい問題」

 そこで1つ問題になってくるのは、英語やスペイン語、イタリア語、ドイツ語などのサッカー用語をそのままカタカナ表記して「直輸入」するのと、漢字仮名交じりの日本語に「翻訳」して、あるいは日本ですでに使われている言葉と置き換えて使うのと、どちらがいいのかという点。

 つい1週間ほど前にも、Xのタイムライン上で結城康平さんがこの話題に巻き込まれているのを目にした。「切り替え」という日本語があるのになぜ「トランジション」という英語を使う必要があるのか、というのが議論の焦点だったのだが、ここには「サッカー用語の日本語化」をめぐる複数の大きな論点が集約されている。

……

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Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。

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