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「ポテンシャルの塊」熊田直紀がベルギーで直面したリアル。そして、いわきFCで紡ぐ成長

2025.03.07

【特集】元欧州組の影響力#2
熊田直紀(いわきFC)

J1連覇を成し遂げたヴィッセル神戸の成功でクローズアップされているのは、大迫勇也、武藤嘉紀、酒井高徳などの「元欧州組」の存在だ。日本代表の経験を持つエリートだけでなく、若手も含めた海外進出が加速している今だからこそ、今後は戻って来るケースもさらに増えていくだろう。世界を経験した選手たちがJクラブにどのような影響を及ぼし、何をもたらしているのか――それぞれのケーススタディについて掘り下げてみたい。

第2回は、19歳でベルギーリーグ、KRCヘンクのセカンドチームに移籍を果たし、その後帰国したいわきFCの熊田直紀を取り上げる。AFC U-20アジアカップウズベキスタン2023大会では得点王に輝いた熊田は高いポテンシャルを随所に発揮するストライカー。ベルギーに渡った半年間で何を感じ、その経験をどう活かそうとしているのか。また、Jの新興勢力といえるいわきFCは熊田の経験から何を享受しているのか。いわきFC番のライター柿崎優成がレポートする。

国内移籍の場所に選んだのはいわき

 J1チームで出場機会が少ない若手をピンポイントで獲得することが主流となっているいわきFCにとって、FW熊田直紀のように海外でプレーしていた選手を獲得するのはレアケースだ。

 その経緯について田村雄三監督はこう話す。

 「FC東京から問い合わせがあったのが発端です。熊田選手の状況を聞き、大倉智代表取締役と平松大志強化部担当に話を通しました。話を進める中でポテンシャルある選手だと思い、ぜひ来て欲しいと。あの身長で走れて、左利きというのは魅力的です。彼の年齢も踏まえれば、いつかは代表に行ってもらいたい」

 昨年のいわきは谷村海那と有馬幸太郎(現大分トリニータ)の2トップが鉄板だった。結果的に彼ら2人で総得点「53」のうち「28」得点を挙げた。一方で、彼らに追随するアタッカーの台頭が遅れており、90分間通して攻撃力を落とさずに戦う姿勢を貫くためにも主力選手に割って入る攻撃的な選手が必要だった。

 夏の移籍市場にて、いわきは当時KRCヘンクのセカンドチームを退団して移籍先を国内に絞っていた熊田直紀を保有元のFC東京から期限付き移籍の形で獲得した。熊田は「FWなので得点や数字に残る活躍をしてレベルアップしていきたい」と誓い、生まれ故郷の福島県郡山市から山を一つ越えた先の浜通りにホームタウンを持ついわきFCに移籍を決めた。

誰の目にも明らかなストライカーの資質

 ストライカーとしての片鱗は合流早々から見せていた。紅白戦で背後のスペースに抜けてボレーシュートを叩き込んで強烈なインパクトを残す。一緒にプレーした山口大輝も「ポテンシャルの塊」と評した。

 熊田は過去に2度、秋本真吾スプリントコーチから走りの個別指導を受けていた。ただ、個別練習と異なり、チームの練習では「アップの段階でかなりキツい」と感じるほど、加入当初はいわきの強度に慣れることが精一杯だった。

 筋肉痛のまま第27節ジェフユナイテッド千葉戦で移籍後初出場を果たすと、翌節のロアッソ熊本戦で途中出場から点差を縮めるヘディングシュートから移籍後初得点を挙げる。続くベガルタ仙台戦で初先発のチャンスを得るものの、以降は途中出場が続いた。

 まだ弱冠二十歳。去年1月にベルギーに渡って半年後には帰国。そこからJ2の新天地に舞台を移してプレーするなど激動の1年だった。慣れない環境が続き、自分の思い描くプレーもできず、納得いくことが少なかった。ただ、サッカー選手として大成したい思いは強く、早い段階で今季もいわきでプレーする決意を固めていた。シーズンオフの間も年末のギリギリまでクラブハウスに残って自主トレーニングに励み、努力を惜しまなかった。……

Profile

柿崎 優成

1996年11月29日生まれ。サッカーの出会いは2005年ドイツW杯最終予選ホーム北朝鮮戦。試合終了間際に得点した大黒将志に目を奪われて当時大阪在住だったことからガンバ大阪のサポーターになる。2022年からサッカー専門新聞エル・ゴラッソいわきFCの番記者になって未来の名プレーヤーの成長を見届けている。