
「絶対に変えない大原則が、このチームにはある」就任3年目でファジアーノ岡山をJ1昇格に導いた木山隆之監督の流儀(インタビュー前編)
【特集】ファジアーノ岡山、 市民クラブがJ1に見る夢#4
2025シーズン、クラブ創設以降初めてJ1を舞台に戦うファジアーノ岡山。1つの大きな夢を叶えた市民クラブは、その先に何を見るのか? 森井悠社長は「岡山のスポーツ業界の中では確かな成長を遂げつつある。(売上)100億円をいろんな形で目指すこと自体は不可能ではない」と壮大な青写真を描いている。悲願の実現に至る過程、そしてその未来にある景色に思いを巡らせてみたい。
そんなファジアーノを悲願のトップディビジョンへと導いたのは、今季で就任4年目を迎える木山隆之監督。昨年に続いて「最強のチャレンジャー」という立ち位置から、J1での躍進を期す指揮官に気鋭のライター・難波拓未が迫るインタビューを前後編に分けてお届け。前編は昨季の振り返りから、紡いできたサッカー哲学について大いに語ってもらった。
(取材日:1月27日)
「昨シーズンは全部を懸けるつもりで、総決算のつもりでやった1年でした」
──3年間を通して作り上げたチームでJ1に挑戦できる心境を教えてください。
「就任1年目にクラブ史上最高の3位になって、昇格プレーオフに行ったが勝てなかった。2年目はさらに上を目指したけれども、なかなか前年を超えるようなことができませんでした。そして3年目になった時に周りから『3年目』っていう言葉を言われて、今年なんだなと。日本人は3とか5で縛るのが好きじゃないですか(笑)。だから、それに自分も乗っかるというか。昨シーズンは全部を懸けるつもりで、総決算のつもりでやった1年でした。結果的に5位で挑んだプレーオフを制してJ1昇格を達成できました。
シーズンの最終順位は5位だったけど、3年間の中でシーズンを通して安定した試合を最も多くできたシーズンだったと思います。グレイソンや(鈴木)喜丈など怪我人が多くて勝点が伸び悩んだ時期もあったけど、3年間の中では積み上げてきたものも含め、最も自信を持って戦えた1年だったし、最もJ1昇格に近いと感じたチームでもあった。そういうシーズンに昇格できたことはすごく自信になりましたね」
──ベガルタ仙台を率いてJ1を戦った時は、J1に所属していたチームを前任の渡邉晋さんから引き継ぐ形でした。しかし、今回は自分のやりたいサッカーを積み上げたり、選手を成長させたりして、J1に挑みます。監督冥利に尽きる部分もあるのではないでしょうか?
「そうですね。もちろん、これから乗り越えていかないといけないことはたくさんあると思いますが、仙台の時はコロナ禍でものすごく厳しい状況だった。ベガルタはクラブとしてもしんどい時だったし、いろいろなしんどいことが重なった中での1年でした。正直どれだけフットボールやチーム作りに集中できたかと言われると、全力でやったけど本当に難しいことが多かった。だから、単純に比較するのは難しいと思います。
自分たちの現状を考えれば、当然20番目からのスタートになるのは間違いない。だから、どれだけそこから登っていけるかのチャレンジだと思う。そういう意味では、フレッシュな気持ちでやれるなという思いではあります」

やり続けることでチームの中に確実に残っていくもの
──これまでのファジアーノでの3年間を見ると、1年ごとに先発の選手が半分近く入れ代わっていますが、相手コートでプレーするというスタイルはピッチ上でどんどん色濃く表現されるようになってきました。原理原則の落とし込みが必要な選手が増えていくのに、スタイルを成熟させられる要因は何だと思いますか?……

Profile
難波 拓未
2000年4月14日生まれ。岡山県岡山市出身。8歳の時に当時JFLのファジアーノ岡山に憧れて応援するようになり、高校3年生からサッカーメディアの仕事を志すなか、大学在学中の2022年にファジアーノ岡山の取材と撮影を開始。2024年からは同クラブのマッチデープログラムを担当し、サッカーのこだわりを1mm単位で掘り下げるメディア「イチミリ」の運営と編集を務める。(株)ウニベルサーレ所属。