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W杯とサッカースタジアムの論点(後編)。日本の「現代化」のヒントは、W杯を”切り離した”MLSモデル

2024.02.29

なぜ、新プロジェクトが続々発表?サッカースタジアムの未来#15

Jリーグ30周年の次のフェーズとして、「スタジアム」は最重要課題の1つ。進捗中の国内の個別プロジェクトを掘り下げると同時に海外事例も紹介し、建設の背景から活用法まで幅広く考察する。

第15回は、2026年の北米大会、2030年のスペイン・ポルトガル・モロッコ大会のW杯開催のモデルケースを参考に、日本のサッカースタジアム未来構想について提言する。

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 前編では、W杯という巨大イベントの開催要件が1国による単独開催から複数国による共催へと変化しており、したがって1つの開催国に求められる会場数はむしろ減少していること、一方スタジアムそのものに関しては、陸上トラックを持たない「専スタ」がスタンダードであり、その観点から見ると日本のスタジアム環境は整っているとはいえないことについて考察した。

 W杯の開催は、その国にとってサッカー振興の大きな起爆剤となるものだ。それは2002年当時には辺境アジアのいち中堅国でしかなかった日本のサッカーが、その後の20年間でどれだけ成長してきたかを見ればわかる。またその4年後にW杯を開催したドイツのようなサッカー先進国ですらも、その機会を通して一気に進められたスタジアムの近代化からコーチングメソッド改革までハード、ソフトの両面に及ぶ変革を通じて、ブンデスリーガ(クラブ)と代表の双方がさらなる発展を見た。

 ただ、そのドイツと比較した時に1つ残念なのは、同じようにW杯というスタジアム整備にとっては千載一遇のチャンスを一度は手にしながら、日本はドイツと違ってそこで開催各地に「専スタ」を整備できなかったことだろう。

2002年の日本と2006年のドイツの大きな差

 前編で触れたUEFAのスタジアムガイドにも記されているように、サッカーが「競技スポーツ」から「エンターテインメント産業」へと変貌を遂げた今、「満員の専スタ」だけがもたらすことができる濃密な観戦/応援体験は、サポーター/ファン/顧客にクラブ/チームが提供すべき不可欠な要素と考えられるようになってきている。しかしW杯開催から20年あまりが過ぎた今も日本では、そうした体験は仙台、鹿島、浦和、千葉、長野、京都、G大阪、神戸、北九州、鳥栖など限られたサポーターの特権に留まっている。

サガン鳥栖のホーム、駅前不動産スタジアム

 今振り返れば、2002年のW杯開催を通してそれをより多くのサポーター、そしてそれ以上に、潜在的なサッカーファンやその予備軍としての次世代に「W杯レガシー」として残し、それをJリーグの大きな飛躍につなげられなかったことは、日本サッカーの歴史的な痛恨事と言うことすらできるかもしれない。

 ――とまで言うのは、ドイツではまさに2006年のW杯開催を契機として、従来の陸上トラックつきスタジアムの多くが「専スタ」に大改築(あるいは解体&新築)され、それがW杯そのもの以上にブンデスリーガの観戦環境向上、そして観客動員数増加(1試合平均3万人台前半から4万人台前半へ)やビジネス規模の拡大につながるなど、大きな波及効果をもたらしたからだ。

 たった4年の「時差」にもかかわらず、W杯に向けたスタジアム整備が日本で計画された90年代半ばの日本と90年代末のドイツの間には、どのようなスタジアムを作るべきかという認識、それを実現する意思、それを支える社会的合意の強さに大きな違いがあったことは間違いない。このドイツの事例には、「W杯レガシー」としてのスタジアムのあるべき姿が示されていると言っていいだろう。

 しかし日本では、そのような「レガシー」としてW杯スタジアムを残すところまではいかなかった。もちろん新潟のようにW杯開催が地元のサッカー熱に火をつけ、W杯スタジアムが持続的なサッカー振興に大きく寄与した事例はある。しかしそれが限られたケースに留まったこともまた事実だ。あえて「痛恨事」という表現を使うのもそれゆえであり、またそれはおそらく筆者だけが感じていることではない。

 例えば、Jリーグが公式WEBサイトの中で「事業者向けサービス」として開示しているインベスターリレーション的な情報セクションの「スタジアム」の項にも、そうした感情ははっきりとにじみ出ている。Jリーグはこの15年間、繰り返し欧州のスタジアム事情を視察しており、その総括という形で昨年4月にまとめられた「スタジアムの未来」という資料には、日本サッカーとJリーグが十分に実現できなかった理想の世界線とでもいうべきスタジアムのあり方が示されている。ここで触れられているように、近年になってようやく、「本来あるべき姿」を持った専用スタジアムが長野や吹田をはじめ全国各地に新設されてきているのは、その意味でとても素晴らしいことだ。

「国体」という特殊事情と「専スタ」ブームの端境期

 日本がW杯開催時に「専スタ」整備の機会を逃した理由についても、この機会に考察しておきたい。その理由は大きく、外的要因と内的要因に分けることができるであろう。

 外的要因というのは、当時W杯開催、さらにはサッカースタジアム全般に求められていた基準が、現在と比べて一時代古いものだったこと。内的要因というのは、当時の日本で大規模なスタジアム整備を行うためには、多くの場合陸上トラックを併設せざるを得ないという政治・行政的な事情があったことだ。

 2002年のW杯開催に日本が立候補し、開催都市のスタジアムを中心とする会場の環境整備を進めたのは、Jリーグがスタートして間もない1990年代半ばから後半にかけてのこと。当時Jリーグは「ブーム」として大きな盛り上がりを見せており、そこにW杯開催というさらなる追い風に乗る形でスタジアム整備が一気に進めば、サッカーは野球と肩を並べるナショナルスポーツに発展するのではないかという期待は大きかった。……

Profile

片野 道郎

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。主な著書に『チャンピオンズリーグ・クロニクル』、『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』『モウリーニョの流儀』。共著に『モダンサッカーの教科書』などがある。