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朝4時、電話の向こうにいた指導者──湘南・下口稚葉が語る、長澤徹という「見守る監督」

2026.02.19

【特集】愛弟子が語る監督論#1

複数のクラブで同じ監督の下でプレーする選手がいる。俗に「愛弟子」と呼ばれる存在だ。なぜ彼らは、指導者が変わってもその背中を追い続けるのか。そして、なぜ監督は彼らを再び必要とするのか。本特集では、愛弟子だからこそ見えた別角度から、指導者という仕事の本質に迫る。

第1回は、湘南ベルマーレの下口稚葉が登場。「あの言葉がなかったら、たぶん今の自分はいない」――岡山で迎えたプロ1年目、ほとんど会話を交わすことのなかった監督の一言が、彼のキャリアを静かに支え続けてきた。なぜ“直接教えない”指導者は、ここまで選手の心を動かせたのか。再び同じピッチに立つ今、愛弟子が語るのは「見守ることで人を育てる」長澤徹という監督の本質である。

「叱られ続けた18歳」が感じた、確かな“愛”

――下口選手はプロ1年目の2017年、岡山に加入し、長澤徹監督の指導を仰いでいます。当時の自身はどんな選手でしたか?

 「いきなりレベルの高いプロの世界に入って、本当に必死にやらんとやばいというレベルでした。徹さんや若さん(若宮直道コーチ)に聞いたらわかると思いますけど、ほんとにひどかった。1日でも練習を休んだら果てまで落ちるんじゃないかって思うぐらい怖くて、だから高校の卒業式も行かずに練習に出たし、身体に痛いところがあっても休まなかったですね」

――長澤監督はどんな印象でしたか?

 「自分が若かったせいか、怖く感じたのが僕の第一印象ですよね。今でも覚えていますが、試合の前日練習で2回パスミスした時に笛を鳴らされて、『稚葉ァ!!』って地鳴りがするぐらい吠えられました(笑)。練習中たぶん僕は誰よりも叱られていましたよ。でも徹さんは厳しかったけど、アフターフォローもあって、めっちゃ愛があるなって、18歳の僕でも思えたんですよね。

 当時はとにかく周りのレベルが高かったので、同じように試合に出られなかった(武田)将平とかと一緒に死ぬほど練習しました。若さんをはじめ、コーチが付き合ってくれて、それを最後までずっと見てくれているのが徹さんだった。特に何かを言われるわけではないですけど、陰で見守ってくれていた。真夏に僕らが1、2時間残って練習していても徹さんはずっと立って見てくれていました。それは今も変わらないですね」

武田将平と下口稚葉

――文字通り自主的に練習していた。

 「はい。やらんとやばいという感じでした。今思えば、いくら自主練してもいいよという雰囲気を徹さんが作ってくれていた。岡山には当時、加地亮さんもいて、あの人にも僕はプロとして大事なものを教わりました。プロ1年目に徹さんと加地さんに出会っていなかったら、僕はもうこの世界にいないやろうなってほんとに思います」

――プロ1年目はリーグ戦に一度も出場していませんが、長澤監督から何か言われたことはありましたか?

 「僕は当時ミーティングにノートを持って行って、徹さんの言うことを高校生みたいにめっちゃ書いていたんですよ。もちろんサッカーのこともたくさん教わりましたけど、それよりも人として大切な立ち居振る舞いとか苦しい時の姿勢とか、そういうものが身に沁みていましたね。

 あの頃は全然力が足りていなかったので、試合に出られるなんて思っていなかったけど、なんか俺だんだんやれてきているなとか、今週は強気にできたなって手応えを掴んだ時にメンバーに入れてくれることがあったんです。当時は3人交代だったので、なかなか出られなかったけど、そこにはあまりフォーカスしていなかった。自分でわかるぐらい実力的には厳しかったし、ひたすら吸収するしかありませんでした。徹さんが直接教えてくれることはあまりなかったけど、見守られているだけで頑張ろうという気持ちでしたね」

――ノートにはどんなことを書き留めていたのですか?

……

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Profile

隈元 大吾

湘南ベルマーレを中心に取材、執筆。サッカー専門誌や一般誌、Web媒体等に寄稿するほか、クラブのオフィシャルハンドブックやマッチデイプログラム、企画等に携わる。著書に『監督・曺貴裁の指導論~選手を伸ばす30のエピソード』(産業能率大学出版部)など。

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