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「選手に負けないよう、ビジネスサイドの若手も世界に」。単身海を渡った三笘世代の“欧州組” 堀口創平の海外挑戦記

2025.07.31

ここ数年で日本人選手の海外挑戦が活発になり、この夏も多くのチャレンジャーたちが海を渡った。そんな選手たちに負けまいと、ビジネスの世界で欧州の最前線を体験しようと挑戦をしている若者がいる。2024年に欧州に飛び、現在World Football Summit(以下WFS)で活動している堀口創平氏はその1人。欧州挑戦を決めた経緯や所属するWFSの活動について、そして今後のビジョンについて話を聞いた。

W杯での同世代の活躍に触発され“欧州挑戦”

――本日はお時間をいただきありがとうございます。WFSについて伺う前に、サッカービジネスを志すまでの堀口さんの歩みについて聞かせてください。サッカーに興味を持ったのはいつ頃でしょうか? また、ご自身でプレーはされていたのでしょうか?

 「サッカーに出会ったのは幼少期の頃で、高校までサッカーひと筋でした。最初に所属したのはバディSCで、中学生の時は三菱養和、そして高校時代は桐蔭学園でプレーしました。三菱養和時代には、相馬勇紀選手(FC町田ゼルビア)やディサロ燦シルヴァーノ選手(モンテディオ山形)が1学年上に在籍し、チャンピオンシップ(イングランド2部)のストークで活躍する瀬古樹選手とは同級生です。また、同じリーグで三笘薫選手(ブライトン)らがプレーしていて、試合で対戦したこともあります。私自身、高校2年生まではプロを目指していました。ただ、選手として芽が出ることはなく、高校のインターハイを最後に競技からは引退。その後に進学した慶應義塾大学では、体育会ではなくサークル(慶應キッカーズ)でプレーをしていました」

同級生の瀬古樹(左)と写真に納まる堀口氏

――大学を卒業した後、サッカーに関わる仕事をされていたのでしょうか?

 「いいえ。2020年に大学を卒業した後、入社したのはサッカーとは関係のない経営コンサルティング会社でした。そこで約5年間、人事戦略やM&A関連のプロジェクトに携わりましたが、当時はサッカーを仕事にすることは考えていませんでした」

――サッカービジネスの世界に進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

 「私にとってキャリアの大きな転換点となったのが、2022年のカタールW杯です。試合をしたこともある三笘選手をはじめ同世代の選手が、ドイツやスペインを破って世界の舞台で輝く姿に心を打たれた一方で、自分は何も成し遂げられていないという強い悔しさも感じました。選手として彼らと同じ舞台に立つことは叶いませんが、別の形で『日本のW杯優勝』に貢献したい——その想いが明確になった瞬間でした」

――2024年に会社を退職して欧州へ渡られたと伺っていますが、日本ではなく海外での挑戦を選んだ理由は?

……

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World Football Summitビジネス堀口創平

Profile

久保 佑一郎

1986年生まれ。愛媛県出身。友人の勧めで手に取った週刊footballistaに魅せられ、2010年南アフリカW杯後にアルバイトとして編集部の門を叩く。エディタースクールやライター歴はなく、footballistaで一から編集のイロハを学んだ。現在はweb副編集長を担当。

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