JFL→J3→J1→欧州挑戦。湘南からデンマークへ羽ばたく福田翔生が描いてきた2つの夢
【特集】旅立ちの時。夏の海外移籍#2
福田翔生(湘南ベルマーレ→ブレンビー)
欧州サッカーがシーズンオフとなる夏は、Jリーグからの海外移籍が佳境となる季節だ。ベルギー、オランダ、ポルトガル、デンマーク、チャンピオンシップ(英国2部)に渡った逸材たちが高確率で活躍することで、近年日本人選手への評価がさらに高まっている。この夏、Jリーグ経由で新たに羽ばたく挑戦者たちにフォーカスする。
第2回は、JFLスタートから欧州移籍を果たすことになった湘南ベルマーレの福田翔生。24歳のユニークなキャリアを振り返りつつ、彼が思い描いてきた2つの夢について綴る。
欧州移籍を目前に控えた7月6日、レモンガススタジアム平塚には3,000人を超える湘南ベルマーレのファン・サポーターが集まった。その際、福田翔生は子どもたちに向けてこんな言葉を残している。
「好きなサッカーですけど、苦しいことや挫折することは何回もあると思う。それでも、どれだけしんどくても自分を信じてやるしかないと思うし、頼った人がいい人生に導いてくれることもある。だから人との縁を大切にして、自分にしかない武器を磨き続けて、とにかく楽しんで頑張ってほしい」
言葉が重みをもって響くのは、自らの経験をもとに語られているからに他ならない。福田自身、ほんの2年前まではJ3でプレーする選手だった。だが、またたく間にJ1へとステップアップし、さらには今夏デンマーク1部ブレンビーIFへの切符を掴み取った。短くない苦節の時間を過ごし、日の丸を背負った経験もない。そんなこれまでの道のりを思えば、著しい進境を感じずにはいられない。
転機はY.S.C.C.横浜での星川監督との出会い
「幼い頃から欧州チャンピオンズリーグを目指していた」と語るように、海外でプレーする夢をずっと抱いていた。しかし、2019年に当時JFLの今治でキャリアをスタートさせ、その後クラブがJ3に上がっても日の目を見る時はなかなか訪れなかった。「死ぬほど苦しい4年間でした」。夢はずっと夢のままだった。
だが、「でもその4年間があって強くなった」と続けたように、雌伏の時を経て転機は訪れた。当時J3のY.S.C.C.横浜(現在はJFL)に移籍した2023年に11得点を挙げ、一躍注目を集める存在となったのである。
当時の自身の変化を振り返る。
「以前は連続したプレーが少なく、スピードもあまり自覚していなかった。でも自分の特徴をどう活かすか、YSの監督の星川(敬)さん(当時)が考えてくれて、プレースタイルが変わり、ゴールに対する欲も増して爆発できた。松井大輔さんにも『自分が一番上手いと思ってやれ』とか、たくさん声をかけてもらい、すごく救われました」
その目覚ましい活躍をもってJ1の湘南ベルマーレに移籍したのは、同年8月のことだ。湘南ではこの年10試合の途中出場にとどまり、無得点に終わったが、翌2024年はシーズンを通してコンスタントに先発し、J1初ゴールを含む10得点をマークした。遠かった夢が現実的な目標へとその距離を一気に縮めたのだった。
「周りを使う」を意識した先にあった10得点
昨季記した10得点にも福田の進化は潜んでいる。
中でも第32節鹿島戦で挙げた決勝ゴールが象徴的だ。67分、味方のパスを受け、さらに根本凌とのワンツーからシュートを右隅に流し込んだ。
「ネモくん(根本)に出し、ネモくんからもらって決めた。去年1年を通して試合を経験した上で、ゴールは1人で決めることではないと、周りを使いながらプレーできるようになった。仲間と取れたことが自分にとって大きかったです」
背景には山口智監督の教えがある。
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Profile
隈元 大吾
湘南ベルマーレを中心に取材、執筆。サッカー専門誌や一般誌、Web媒体等に寄稿するほか、クラブのオフィシャルハンドブックやマッチデイプログラム、企画等に携わる。著書に『監督・曺貴裁の指導論~選手を伸ばす30のエピソード』(産業能率大学出版部)など。
