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【特別対談】早川史哉×塚本泰史「僕たちはサッカーに救われた」

2020.02.18

塚本泰史と早川史哉は凄まじい闘病生活とリハビリを経験した偉大なサッカー選手である。大宮アルディージャの塚本はプロ入り3年目の2010年2月に右大腿骨骨肉腫を発症。プロ選手としてピッチに復帰することはできなかったが、現在は大宮のクラブアンバサダーとして活動している。アルビレックス新潟の早川史哉はプロ入り1年目の2016年5月に白血病と診断され、2019年10月5日の鹿児島戦で約3年半ぶりにピッチに復帰した。

生きるか死ぬかの経験をしてきた2人が、今どのようにしてサッカーと向き合っているのか。2人とも対談中に何度も涙で言葉を詰まらせた。嗚咽をこらえながら振り絞るようにして語ってくれた一つひとつの重みある言葉は、サッカーの価値をあらためて証明するとともに、サッカーに関わる意味を教えてくれた。

病室での出会い


――2人が初めて会ったのはいつでしょうか?

塚本「2017年にお互いのクラブスタッフを通じて、僕が早川さんの病院へお見舞いに行かせていただきました」

早川「退院する直前の6月ですね。アルビ(アルビレックス新潟)がアルディージャ(大宮アルディージャ)と対戦する時にいらっしゃるとうかがっていました。会う前、塚本さんが僕が病気を発表した時、Twitterでエールをくださったんです。それを見てものすごく力になりました。自分は病気を公表する前に塚本さんのことや病気のことをいろいろ調べていたり、塚本さんのSNSを見ていたりしていたんです。塚本さんが本当に前向きに活動されているのを見て多くの勇気をもらい、それが僕も前向きに取り組める力になりました」


――Jリーグのプロサッカー選手として、重い病気をどう発表するのかというのは、塚本さんを参考にされることもあったのでしょうか?

早川「そうですね。まず塚本さんという存在がいて大きな力をもらっていたので、そこから今度は僕が何かを発信して何かを伝えることができたらと。そうしたら僕がサッカー選手として活動していた意味もあるだろうし、病気になったことも何かの理由付けというか、何か僕にもできるんじゃないかと。自分自身の在り方や、これからどうやっていくべきか、それを明確にしてくださったのが塚本さんの存在でした」


――最初に早川選手の病気のことを知った時にどう思われましたか?

塚本「最初は率直な感じで『まじか……』って思いました。やっと夢が叶ってプロサッカー選手としての第一歩を踏み出した選手が、どうしてそういう病気にかかるんだよ……。そう思いました」


――そこからTwitterでメッセージを出そうと思った理由は?

塚本「僕は、たくさんの方の声援、たくさんの方の励ましがあったからこそ乗り越えられました。だからとにかく早川さんには頑張ってほしいし、とにかくみんなで支えてほしい。そういうことを発信しようと思いました。ただ、人それぞれ病気は違いますし、思っていることも違うと思うので、すぐに会いに行って励ますとか、そういうことではないかもという気持ちもありました。僕自身病気をしたからこそ、関わり方の難しさも考えました。例えば同じ骨肉腫の患者でも、僕の場合膝でしたが、いろんな部位にできます。例えば股関節や腰にできてしまうと本当に運動が厳しくなってしまうんです。だから人それぞれどんな言葉をかけたらいいのか、凄く考えます」


――2017年の6月、直接2人がお会いした時のことは覚えていらっしゃいますか。どんな会話をされたとか。

早川「最初僕が凄く緊張していました。ものすごくパワーをもらったことも覚えているんですが、最初にぎこちなく挨拶したことも覚えています(笑)」

塚本「僕は緊張はありませんでしたが、かける言葉には悩んでいました。ただ、僕が想像していたよりは元気そうでした」

早川「塚本さんが僕が話すことを本当にすごく受け止めてくれて。僕が病気になって思ったこと、当たり前のことが当たり前じゃなくて本当にありがたいという話をしたんですね。そうしたらずっと、うなずいて聞いてくれて」


――塚本さんだからこそ受け止めてもらえるんじゃないかという気持ちはありましたか?

早川「なかなかサッカー選手でこういった病気になった選手もいないので、言える人ってものすごく限られていました。サッカーができること、日常の当たり前のこと、それらに感じる思いが僕と同じなんじゃないかと思い、僕からいろいろ話しました。当たり前が当たり前じゃないって感覚は家族にも理解してもらえないと思うんですよ。生きることがどれだけありがたいことなのか、それを塚本さんに聞いてほしくて」


――他にはどんな話をされましたか?

早川「あの時はいろんな話をしたとかではなく、僕がずっと当たり前は当たり前じゃないという話をしていた感じです。あとあの時、塚本さんの日焼けした姿に圧倒されたというか、写真で見返しても自分は青白くて。だから早く外に出たいと強く思いました。その時は治療もほぼ終わっていて、あとは自分の血を作る細胞元が思ったより向上していかなくてちょっと足踏みしている時期でした。だから悔しい時期ではあったんですが、塚本さんの日焼けした姿を見て早くああなりたいなと感じましたね」

塚本「早川さんの話を聞いてがんという病気を経験した人はやっぱりみんな同じような感情を持つんだなと、あらためて思いました」

「頑張れ」は正しい?間違い?


――会って『頑張れ』っていう言葉をかけるのって病気になった人に対してはなかなか言いにくい言葉かと思うのですが、その辺はどうでしたか?

塚本「いや、僕は頑張れという言葉が一番頑張れた言葉でしたね」

早川「自分は頑張れという言葉を聞くとちょっと歩むペースを早めてしまうというか、背中を押してくれる言葉だからこそ、ペースが上がっちゃう。自分自身の受け止め方次第なんですが、余計に頑張ってしまいペースが乱れてしまったということはありました」

塚本「僕はとにかく早くサッカーがしたくてかなりハイペースな治療だったんですよね。早川さんは時間をかけてゆっくりと治さなきゃいけないというのはあったと思うんです。僕の場合は悪いところを切り取って抗がん剤を流してという感じでした。だからとにかく早く終わらせてサッカーがしたいというそれだけの気持ちでした」


――長距離走と短距離走の違いというか、その状況によりこんなに『頑張れ』って言葉の感じ方が違うんですね。その塚本さんがお見舞いに行った後はどんなコミュニケーションを取られていたんでしょうか?

早川「それからも節目節目で塚本さんが連絡をくれました。実際にお会いできたのは2019年のNACK5で行われたアルディージャとアルビの試合の時でした。試合前にスタジアムで塚本さんを見つけたんですが、試合に向けての準備中だったので後で話しかけようと思ったんですよね。そうしたら入場の時に塚本さんから声をかけてくださったんです」

塚本「私もホームゲームの時は時間を作るのが難しいんですよね。相手チームに知り合いや先輩がいてもなかなか挨拶に行けないんです。でもその試合ではピッチ上での運営業務があり、話しかけられるタイミングがありました」

復帰への困難なプロセス

――昨シーズン早川選手が実戦に復帰しましたが、早川選手の復帰を聞いた時に塚本さんはどんな心境でしたか?

塚本「本当に自分のことのようにうれしかったです。相当な努力とトレーニングを積んできたのは間違いないことなので本当に尊敬しました。僕もまだまだ頑張らないといけないなと。特に白血病は心肺機能にものすごく影響を及ぼすと思うので、それを取り戻すのは相当な努力が必要なことは想像できます」


――早川選手は年代別代表にもずっと選ばれていて、その頃の心肺機能に戻そうというのは、相当な覚悟が必要ですよね。

早川「復帰に向けてユースの高校生と一緒に練習しましたが、最初は高校生相手にも話にならないレベルでした。さらに中学年代のジュニアユースでも相手にならなくて……。周りが何本も走っている中、自分のできるペースで最善のところまでやり続けるしかなかった。中・高生相手に周回遅れになったりしてずっと悔しい思いや、苦しい思いもありました。でもそこばかりに気を取られて自分自身の歩みを止めたらそれで終わりです。自分はどこを目指しているのかというのを持ち続けて、やり続けるしかなかったです」

塚本「実際復帰して、プレーしている感覚は今と昔では何か違う感覚ってあったりするんでしょうか?」

早川「あの頃と同じようなパワーがまったく出ないんですよね。当たりの強さが出せないというか、一瞬のドンっと体をぶつける感じが出せないですね。当たりに行っても当たってよろけてしまうような。そこが今の課題で、一番戻ってきてないところですね。そうなると試合の中でも騙し騙しというか、1対1でも距離を置いたりしていました。そこは長い時間をかけて作り上げていかなきゃいけないし、そこが戻ってくればもっとやれると思います。一個一個積み上げていく感じですね。もっと追い込みたいんですが、試合が始まったらその時点のベストなパフォーマンスでいきたいから、そこまで追い込めないというジレンマもあります。試合がある中でどう積み上げていけるか。そこのギリギリを攻められるように2020シーズンはやっていきたいですね」


――塚本さんはリハビリの時にはどんなことを考えていましたか?

塚本「僕の場合は心肺機能も戻さなきゃいけなかったんですが、足が自分のものじゃない感覚でした。初めは膝も曲がりませんでした。歩くのもままならず。じゃあどうしようとなって、室内でのウエイトトレーニングしかないという話をトレーナーとしました。最初はエアロバイク(自転車)でサドルを一番高くして膝を曲げない状態でも漕げるようにして、心肺機能を高めました。ウエイトトレーニングは、重りをゼロにしても右足がピクリとも動きませんでした。その時はかなり衝撃を受けてしまいました」


――リハビリというのは治療が終わって体を動かせるようになるのでポジティブな面もあると思うのですが、一方で以前と同じように体が動かないことでネガティブなこともありますよね。塚本さんはどう感じられましたか。

塚本「2010の1年間をまるまる治療にあてて2011年1月から本格的なリハビリを始めました。外に出て走れるようになったのは夏前ぐらいでしたね。その時20秒ゆっくり走って、40秒休んでまた走るというのをやったんですね。たったの2、3本で息が上がってしまって全然走れなかったんです。でも今までは室内に閉じこもってずっとトレーニングしていたので、ただちょっと走れるというだけでめちゃくちゃうれしかったですね」

早川「それはすごくわかりますね。自分は全然まだまだダメなんだと思うんですが、でもそれを感じられたことが喜びでしたね。外に出て前に進めているというのが本当にうれしくて。だから苦しくても、そこばっかりを見るんじゃなくて、喜びの方にもうまく気持ちを向けていくというか」


――それでも辛いリハビリの中、復帰を諦めてしまいそうな瞬間ってあったりましたか?

塚本「僕の場合足も曲がらないところからのスタートだったので、ピッチに立つのは本当に長い道のりになるというのはわかっていました。だからピッチに立つ夢に向けて、間に目標を設けて、例えば東京マラソンに出ることを決めたり。それを達成することで少しずつ近づいていこうと。途中で『俺、何をやっているんだろう……』と思うこともありました。いろんなことにチャレンジしていると、いろんな人から『まだやってるの?』とか『もう諦めたら?』みたいなことを言われることがあったりもしました。でもそういう言葉を言われても気にしないようにしていましたね。初めの頃は自分のために復帰しようという思いだったのが、今は自分と同じ病気の人や子供たちに何か届けられるかなという思いでやっています。早川選手も『塚本さんのおかげで』と言ってくれたりしたことが、諦めずに自分がやってきてよかったなと思う瞬間ですね」

病気になって気づいたサッカーの価値

――命に関わる病気と比べたら、サッカーなんて所詮サッカーじゃないですか。それでもサッカーに戻ってきたいと思えた、サッカーの魅力とはどういうところに感じますか?

早川「もちろんサッカーをプレーするのは単純に楽しいんですが、今は目標をどこに設定しているというのは特にありません。でもサッカーを通じていろんな人と出会えたり、試合に勝ったり負けたりする中でのチームメイトとの何気ないやりとり、スタッフやサポーターとのやりとり、そういった人間と人間のやりとりをサッカーを通じてさせてもらっているんですよね。本当にいろんな思いを感じさせてくれるのがサッカーで、それがサッカーをやめられない理由なんです。だから僕の人生はずっとサッカーを通じていろんなことを繋げていきたいと思っています。サッカーがうまくいくとか、いかないとか、もしかしたらプロでやるとか、やらないとかも別の問題かもしれません。人生の中心には常にサッカーがあって、すべてはサッカーを介して人とつながったり、いろんな学びを得たり。だからサッカーはやめられないんです」


――それは引退後もということでしょうか?

早川「海外だとサッカーは生活の一部になっているじゃないですか。どんなお年寄りの方でもサッカーを知っていて関わっている。それがやっぱり文化というか生活の根源になっているような。僕もそうなるようにサッカーに浸かりたい。僕自身がサッカーにこれだけ力をもらって助けられたから、それをより広めていきたいですね。そうやって日本でサッカーが生活に根付いていくようにできたらいいなって思います」

塚本「僕は何も考えずにただサッカーが好きでやってきたタイプなんですよ。小さい頃から『サッカー選手になりたい!』って夢を抱いていたわけじゃないんですよね。大学に入った頃に初めてプロに行きたいなって思ったぐらいです。それでプロから声をかけてもらってプロサッカー選手になりましたが、振り返ってみると僕の人生は何事もいつもサッカーとともにあったんですよね。仲間と喜び合うこともサッカーから学んだことです。あと僕はサッカーをやっていなかったらこの病気に気づくこともなかったと思うんですよね。気づけていたとしても発見は遅くなっていたはずです。骨肉腫は小さい頃に発症する方が多い病気です。サッカー選手じゃなかったらちょっと膝が痛いぐらいでは病院には行かないじゃないですか。たとえ病院に行ったとしても整形外科に行って原因がわからないねってことで終わってしまうこともあるかもしれない病気なんですよ。子供の場合、進行も早いのでそれで手遅れになってしまうことが多いんです。僕の場合はメディカルチェックで早く発見できたんです。だからサッカーが僕を救ってくれたんです」


――サッカーをやっていなければ発見が遅れていたかもしれないんですね。

塚本「実は入団前のレントゲンでも見る人が見たら腫瘍がわかったかもしれなかったらしいんです。すでに骨の部分が少し膨らんでいたようで。病気とわかった時はサッカーの神様なんていないと思ったこともありました。でもプロサッカー選手としては2、3年プレーしたので、サッカーの神様が2、3年僕をプロサッカー選手にしてくれたのかなと思うこともあります」

いろいろな人の思いを背負って…

――病気になる前となった後でサッカーの位置づけは変わりましたか?

塚本「サッカーって負けたり、悔しい思いをしたり、つらいこともたくさんありますが、でもそれも幸せなことなんだなって。今は思いっきり走ることも、思いっきりボールを蹴ることもできないし……。過去を振り返ってももう戻ってこないんですが、あの時こうしていれば良かったなと思うことはものすごくたくさんあります。病気してからのリハビリでも、もっと頑張れたら、もっと早くボール蹴れたんじゃないかなって思うこともあります。早川選手がさっき言ってくれたように、今の自分にできることを最大限やって、頑張りたいという気持ちです。正直、選手を見ていてもだるそうにグラウンド出てきて、なんとなく練習をこなして、ベンチ外の選手が試合に負けたのにヘラヘラ笑ったりしているのを見た時、『もっと走れよ!』『もっと戦えるだろう』って思うこともあります」

早川「いろんな人の思いを受け止めて、今プレーしているのを感じます。同じ病気にかかった人で亡くなってしまった方もいますし、病室から外に出られない人もたくさん見てきて、そういう方たちを見てきたからこそ、今やっている選手たちがこんなに恵まれた環境でやっているのに『え、そんなことで不満を言うの?』と思うこともあります。こうやって今ピッチに立たせてもらっていますけど、塚本さんが今言った通り、全力でボールを蹴れないとか、全力で走れないとか、ピッチ上で真剣勝負ができないということを、選手はみんな塚本さんから感じ取らなければいけない。僕も塚本さんにいろんなものを見せてもらって、いろんな話を聞かせてくれたので、僕が表現しないといけないと思います。ピッチに立ちたくても立てない人がいることを感じた人が、それを表現すること、それを伝えていくことに責任があると思っています。

 メディアの取材に応じていると、病気で関わった時に亡くなった子の話が出ると、それがかわいそうという話だけで終わってしまうことがあるんですが、そうじゃなくて、僕と関わってくれたこと、関わらせてくれたことで、僕がその子の思いを引き継いで表現していかないといけない。そういう意味では僕もまだまだ、そしてもっともっとやり続けないといけない。本当に中途半端なことはできない。覚悟をもって今自分にできる最大の準備とパフォーマンスをやり続けていく “義務”があります。それを多くの人に伝えられるような自分でいたいと強く思いました。それが関わった人間の責任だなと」


――塚本さんから見て今の早川さんは輝いて見えたり、羨ましく見えたりすることがありますか?

塚本「おっしゃる通りです」

早川「塚本さんからそう聞く前に、もしかしたら羨ましいと思われてるかもしれないと思っていました。だからこそ絶対に変なプレーは見せられない。塚本さんに限らず病気で頑張っている人たちのためにも。僕と似た境遇の方に『早川さんに元気をもらっています』と言ってもらうこともありますが、心のどこかでは『いいなぁ』って思われている気持ちは絶対あるはずなんです。だからこそ僕もピッチに立ててうれしいですけど、そういう人たちの気持ちや思いを考えると一生懸命というか、自分のできることをやり続けなきゃいけないという責任を感じます。その姿を同じような病気をした方々に見てほしいし、『この人はそういう覚悟を持ってプレーしている』と見ている人が思えるようなプレーをしたい。こういう思いを知ることができたのも病気になったからです。本当にいろんな方のいろんな思いを共有させてもらいました」


――それは反対にプレッシャーになってしまうことはありませんか?

早川「もちろんプレッシャーです。でもプレッシャーで責任が生まれて、それを今はポジティブなものに変えることができています」

「サポーター」ではなく「パートナー」

――サッカーのファンって時に熱くなり過ぎて問題を起こしてしまう時があります。でも人が困っている時、本当に力が必要な時、その時の“ガチの後押し”というのがあると思います。今回闘病中にそういったことを感じたことはありましたか?

塚本「会見で病気を発表する前は、本当に周りの人にもほとんど伝えていませんでした。伝えていたのはクラブの社長と一部の役員のみ。チームメイトもサポーターも何も知らない状況で、シーズンが始まり、キャンプも始まりました。いろんなところから『なんで泰史いないの?』っていう声が出ていましたが、自分の言葉でみんなに伝えたかったので、会見を開かせてもらいました。会見から10日後ぐらいに開幕戦があったのですが、まさかあんなふうになっているとは思わなくて……。開幕戦の3日後が手術でした。手術に向かう勇気は、あの日がなければそこまで持てなかったと思います。NACK5スタジアム全体から『塚本泰史のために!』という思いが伝わってきたんです。選手やアルディージャのサポーターもそうですが、対戦相手のセレッソ大阪のサポーターさんも、そして大宮とは関係ない他会場でも塚本コールをしてくれたこと、横断幕を掲げてくれたこと、募金を募ってくれたこと、本当に感謝してもしきれない。どうやって恩返しすればいいのだろうといまだに考え続けています。僕が元気に過ごすことが一番の恩返しなのかな……。やっぱりサッカー最高です(笑)」

早川「僕は自分の口から公表できなかったことは今でも心残りがあります。スタッフがチームメイトに公表したのが大宮戦だったんですが、その試合みんなが僕のために魂で戦ってくれて、本当に泥臭い得点で勝利をもぎ取った姿を見て、チームメイトから本当に力をもらいました。その後病気を公表してから迎えた試合では、サポーターが背番号28番の旗を作って振ってくれたり、コレオグラフィをやってくれたのを見て、本当にうれし涙というか、温かい涙を流せることができました。1つのチーム、アルビレックスというクラブだけじゃなく、サッカー全体が1つのチームなんだと思いました。だからこそ本当にサッカーって素晴らしい。どんなに苦しくてもあの興奮やあの応援をイメージするだけで、本当に頑張れた。あの風景を見させてくれたからこそなんですよね。サッカーの熱はもの凄い力になるというのを今も感じています。だから僕はサッカーを通じていろんなものを発信していきたい」


――サッカーの力がはっきりと闘病する力になっていたんですね。

早川「その後も、病室で試合を見ている時にスタジアムで28番を掲げてくれている人を見ると本当に力が湧いてきました。闘病中本当に苦しくて涙を流すこともあるんですが、でもその時も『もう一度あの場所に立ちたい。あそこを目指したい』と思えるんですよね。だから本当に感謝しかありません」

塚本「あのセレッソ大阪戦のことは本当に鮮明に脳裏に焼きついていて、辛くなった時、苦しくなった時に何度思い返したことか……。一時退院した時に時間がある時はいつもスタジアムに足を運んでいたのですが、サポーターが僕を見かけるとスタジアム全体で塚本コールをしてくれたんですよ。そのたびに『よし!また治療頑張ろう』と思えました。そのたびにサッカーの力を感じていました」

早川「先日、知り合いを通じて聞いた話なのですが、事故で半身麻痺になってしまった方が『リハビリを頑張って、絶対選手を応援しに行くんだ』って言ってくれていると。僕たち選手はピッチで応援を受けてパワーになっているんですが、でもスタンドで応援している方もパワーをもらっているんですよね。応援が僕らを奮い立たせ、僕らのプレーがまた応援の熱を巻き起こしていく。だから選手としての役割は本当に大きいものがあります。サッカーを通じて関わるいろんな人がいろんなことで生きる糧にしていっている。最近『サポーター』という言葉も使うんですが、僕の中ではもう『パートナー』という存在になっています。いろんなものを共有できて、ともに歩んで行ける存在。本当にフラットな関係なんです」

塚本「その感覚は凄くわかりますね。僕もいまだにたくさんの方に声をかけていただきます。もう10年経っているんですが、僕のユニフォームを着てくれている方、当時発売したリストバンドをつけてくれている方がいます。10年経っていますからその間にアルディージャのサポーターになってくれた方もたくさんいますが、そういう方々も僕に『塚本さんの現役時代のことはまったく知らないんですが本当に頑張ってください』とか、『プレーを見たことないのでプレー見せてください』とか、声をかけてくれたりします。やっぱりサッカーが、あのスタジアムという場所が、僕の生きる原動力になっています」


――今、早川さんは新潟市のがんの啓発アンバサダーをされていると伺いました。

早川「僕の存在を知ってもらったり、僕が講演したり、そういうことで家族でがんの話をするきっかけになればいいなと思っています。僕が塚本さんからもらったいろんなものを、今は僕がまた他の方に伝えさせてもらっています。そこでできた繋がりを大切にしながら、その関係性がどんどん枝分かれしていけば僕らが覚悟を持って取り組んでいる意味があると思う。僕らだけが何かを成し遂げるというより、僕らから感じたものをその人それぞれで行動に移してもらうことが意味のあることかなと。僕はその責任と覚悟を持つことが大事なのかなと思っています」

塚本「2020年で病気になって10年になります。今はこれから何をやっていくべきかということは常に考えています。フロントの仕事や、スクールコーチの仕事、そういったオファーをいただくのは本当にありがたいのですが、僕自身が経験したことを最大限に生かしていくには何が正解なのか。例えば、がん病棟を回ったりだとか、障害者施設を回ったりだとか、方法は他にもいろいろあるのかもしれませんが、自分にしかできないことをやっていきたいと思っています」

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塚本泰史早川史哉

Profile

池田 タツ

1980年、ニューヨーク生まれ。株式会社スクワッド、株式会社フロムワンを経て2016年に独立する。スポーツの文字コンテンツの編集、ライティング、生放送番組のプロデュース、制作、司会もする。湘南ベルマーレの水谷尚人社長との共著に『たのしめてるか。2016フロントの戦い』がある。

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