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トレーニングに“忍術”!?クロアチアの“黒帯コーチ”のメソッド

2019.04.29

母国の名門ディナモ・ザグレブのスタッフからキャリアをスタートし、世代別代表チームを指導するなどクロアチアを代表するストレングス&コンディショニングコーチの一人であるクレシミール・ショシュ。

そんな彼のトレーニングメソッドに、なんと日本の忍術が「非常に大きい」影響を与えているのだという。 果たして、どんな関連性があるというのか。意外な関係性の背景、そして、日本への想いを聞いた。


――クロアチアが準優勝したロシアW杯の記憶はまだ新しいところです。決勝トーナメントに入ってからのクロアチアは延長戦が重なり、そのたびに驚異的な粘りを見せたわけですが、ストレングス&コンディショニングの専門家として要因をどのように見ていますか?

 「クロアチア代表のコンディショニングを担当したルカ・ミラノビッチのことは昔からよく知っているよ。ザグレブ大学体育学部のOB同士だからね。人間性も高く、とても優秀な専門家だと思っている。今でも彼は同大学で教官を務めていて、専門分野の知識が広く、何をすべきか把握している人物だよ。

 私の視点で言及すると、まず何よりW杯の準備で最重要なのが、シーズン終了直後にどれだけ質の高い一時休暇を選手たちが取得できるかどうかだ。レアル・マドリーのルカ・モドリッチ、バルセロナのイバン・ラキティッチをはじめ、どの選手もシーズン中に多くの試合をこなしている。心身ともに疲弊しているのは間違いないし、中にはケガがちな選手もいるんだ。それだけに、キャンプに入る前にしっかりと休むことが第一なのさ。2番目に重要なのが、大会期間中は試合と試合の間でどれだけ早く回復できるかどうか。ロシアW杯の最中はケガ予防もしっかりやったものと私は信じているよ」


――代表スタッフには優秀なフィジオセラピストが何人もいますよね。

 「もちろん。彼らフィジオセラピストの仕事量は半端なかったと思う。マッサージに加えて、リジェネレーション(再生)のプロセスとしてクライオサウナ(超低温全身冷却装置)やアイスバス(氷のプール)を活用するんだ」


――2003年に私がバスケットボール日本代表の通訳を務めた時、ザクレブ大学のドラガン・ミラノビッチ教授と息子のルカがヨーロッパ合宿におけるフィジカル強化を担当しました。彼らはピークコントロールを重視する指導者だったと記憶していますが、ロシアW杯でのクロアチアは大会期間中のどこにコンディションのピークを持ってきたと思いますか?

 「W杯はピークをどこに持ってくるかがとりわけ難しい大会だと思う。どのチームにとっても最重要なのがグループステージであることは間違いないからね。もしグループステージを通過しなければ、準決勝にピークを持ってきたところでも意味はないんだ。すなわち、グループステージの時点ですでに最適なコンディションにして迎える必要がある。

 ピークコントロールが難しい第2の理由として、W杯という大会が各国リーグと比べれば極めて短い期間であることが挙げられる。クラブ活動は10カ月近くある一方で、W杯期間は最大1カ月しかないからね。

 第3の理由は、W杯は精神面や感情面といった要素が深く絡んでくることだ。私たちクロアチア人は、祖国を代表することへの渇望感、国を懸けて戦う意識がとりわけ強い民族でね。多くの選手たちにとっては、代表でのプレーがキャリアにおける頂点となる。ロシアW杯では自分たちの100%を出し切ったと信じているよ。コンディションがどうこうとかは関係なく、延長に入っても最大限の力を出して頑張ったんだ。W杯後に多くの選手がケガしたことを振り返れば、その事実は一目瞭然だろう。すなわち、W杯は己の限界を超えて挑んだ戦いでもあった。そうやって選手たちは自分が何たるかを定義づけ、一生のキャリアに刻むような偉業を成し遂げたんだ」


――「国を懸けて戦う意識」というのはクロアチアでも忘れかかっていたものでもありましたが、ようやくロシアW杯で取り戻し、選手たちは限界を超えた気が私はします。

 「確かに。クロアチアは450万人に満たない小国だけど、とても誇り高き国民だ。とりわけW杯やオリンピックみたいな大会になると、国を懸けて戦う意識、祖国を代表することへの矜持や願望といったものがどんどんと表へと出てくるんだよ」


――クロアチア人は他の民族と比べると、フィジカル面で何かしら際立った特徴というものはあるのでしょうか?

 「スタミナやパワーといったようなコンテクストでフィジカル面の特徴を挙げるのは難しい。スキルというコンテクストでならば、器用なコーディネーション(調整力)や新たなテクニックを容易に取得する能力が挙げられる。もしかしたら、これらはクロアチアの生活スタイルと関連性があるのかもしれない。どの子供もかつては野外で遊んでいて、ボールを使ったスポーツを楽しんだり、走り回ったり、木に登ったり、ジャンプしたりしながら基本的な身体の動きを学んだものさ。クロアチアはそこまで裕福ではなく、もしや世界から少し隔絶された国だったのかもしれない。そこまでのリソース(資本)やベネフィット(便益)というものがなく、あらゆる玩具を手にすることもなかったんだ。携帯電話もなければ、プレイステーションもなければ……(苦笑)。選択肢が少ない中で、子供たちの遊びといえばもっぱら運動だったんだよ。そういう点では、現代のクロアチアの子供たちは新たな問題を抱えているかもしれない。とはいえ、これからもタレントは湧いてくるだろう。

2012年、エストニアで開催されたU-19欧州選手権で選手たちと勝利を喜ぶショシュ(上段右から2番目)

 あと、『クロアチア人の間で物事はどのように機能するか』という環境面についても言及したい。相変わらず国内は秩序だってはおらず、しっかりとしたシステムも存在しない。私たちは即興性と創造性をベースにして生きるような国民だと思うんだ。子供たちも問題解決を探っているうちに、クロアチアの社会においては即興性や創造性を活かすことで簡単に切り抜けられることを学んでしまうのだろう」


――あなたがディナモ・ザグレブで働いていた頃に指導した選手は現代表の中にいますか?

 「今となっては名誉とも満足とも言えるんだけど、モドリッチを指導したことがある。2003年、ディナモのセカンドチームで私は個人練習と追加練習を任され、将来性豊かなユース選手としてモドリッチと一緒に仕事をしたんだ。彼以外にも指導した選手はたくさんいる。ロシアW杯のメンバーで数えると15人。ベドラン・チョルルカ、マテオ・コバチッチ、ミラン・バデリ、デヤン・ロブレン、ドマゴイ・ビダ、アンドレイ・クラマリッチ、マルセロ・ブロゾビッチ、シーメ・ブルサリコ、マルコ・ピヤツァ……。ディナモだけに限らず、クロアチアのユース代表コーチとして指導した選手もいる。アンテ・レビッチはその中の一人だね」

ディナモ・ザグレブでトップチームを担当していた頃のショシュ


――モドリッチを指導した時、何かしらのフィジカル能力に気づきましたか?

 「気づいていたよ。ただ、当時のモドリッチは確かなレベルの才能を見せつけるような『最高級のタレント』であったとは言えないんだ。同じような年頃にはすでに別格だったコバチッチのようではなくね。とはいえ、当時のモドリッチは、小柄ながらもコンタクトプレーやデュエルにおいてしっかりとした耐久力を備えていたんだ。ソリッドな選手だったし、優れたアジリティ、すなわち簡単に方向を変えられる能力を備えていたのでデュエルを避けることができた。そうすることで質の高いボールを繰り出すための時間が稼げたんだ。しかし、対戦相手がある程度の激しさでぶつかれば、身長が低く体重も軽い彼を潰すことも簡単だった。16歳の頃から知っているけど、彼のクオリティは年を追うごとに進歩し、キャリアを通して少しずつ少しずつ成長して今の地位までたどり着いたんだよ」


――18歳でレンタルに出されたボスニアリーグでかなり鍛えられたことをモドリッチ本人はしばしば口にしますよね?

 「それは間違いないよ。彼はディナモのセカンドチームからズリンスキ・モスタルへレンタルで送られた。ボスニアリーグはとても激しく、審判は荒れたプレーであっても見逃してしまう。彼のような素材にとっては『成功するか、しないか』の二択しかあり得なかったんだ。その中間はなかったんだよ。まさに『強くなって這い上がれるかどうか』という状況下に立たされた。彼はファイターとしての気質を持っている。おそらく幼少時代の影響があったのだろう。ボスニアリーグで戦い抜くことに成功した彼は、さらに強い選手へと成長したんだ」

ショシュ氏が指導したモドリッチやビダ(21番)らが中核を担い、史上初の決勝進出を果たしたクロアチア代表(Photo: Getty Images)


忍術からの学び

忍術を稽古した直後にサッカーをやると、ボール扱いがより正確になり、スピードが増した


――さて、あなた個人の話に移りましょう。日本人の我われにとっても非常に興味深いのですが、あなたは「忍術」を長きにわたって稽古されていますよね。何をきっかけに始めたのですか?

 「ティーンエイジャーの頃に観た映画が影響しているのは間違いない。アメリカの忍者映画をはじめとしてね。そこで忍術というものを初めて私は耳にしたんだ。稽古を始めたのは13歳の時。ザグレブの忍術道場『武神館』に入会した。忍術に対する愛情というよりは、日本や日本文化に対する愛情がきっかけなんだ。今は昔ほどアクティブに稽古はしていないけど、10年以上は真剣に取り組んだよ。

 忍術はフィジカル的な様相だけにとどまらず、哲学を通して自分自身を鍛える素晴らしい武術だと思う。そのことが私を惹きつけたんだ。長年懸けて築かれたトレーニング手法はとても興味深かったし、その方法論は質の高いものだった。どのように技を構築するか、どのように身体のバランスを取るか、どのようにスピードを培い、身体を鍛えていくか、など。私の頭の中ではこれらの経験が今のトレーニングの指導法と結合しているのさ」


――忍術を学んだ経験は、あなたの専門分野にどれだけ影響がありますか?

 「影響は非常に大きいよ。なぜならば、サッカーと忍術を並行して学んでいた時代があるからね。こんな現象が自分の身の上で起きたんだ。忍術を稽古した直後にサッカーをやると、ボール扱いがより正確になり、スピードが増した。最初はまったく関係ないと思った。サッカーのトレーニングを通してボール扱いが上達することが論理的だからね。でも、『なぜこんなことが起こるのか?』と私は早い段階で研究を始め、『動き』について解析をした。効率的に動きの質を高められれば、動きのメカニズムがより正確であるならば、それをサッカーのピッチへと持ち込める。その考え方が今現在に繋がっているのさ。私のトレーニングでは『質の高い動き』と『メカニズムの構築』を中心に行う。新しいトレーニングの方法論や手法を使うことで、素早く効率的な変化を選手にもたらしてくれるんだ。その結果、試合でもより高いパフォーマンスを発揮できるんだよ」


――選手を指導する際、忍術とまったく同じトレーニングを利用することはありますか?

 「似通ったアイディアに基づくトレーニングは行っている。私が修得した『フェルデンクライス・メソッド』を利用しているんだ。これは柔道歴のあるイスラエルの学者が生み出した身体コントロール法で、忍術の稽古との共通点がかなりあるのさ。ケガをしてからの復帰も早くなるし、ケガの予防にも繋がるから、これらのトレーニングは選手の手助けになっている。実際、私のキャリアにおいてはケガに強い選手ばかりを育てているね」

ディナモのトップチーム時代、ウォーミングアップを担当するショシュ(右)。左の選手はクロアチア代表で現在はインテルに所属しているMFマルセロ・ブロゾビッチ


――選手たちはあなたが忍術を稽古していたことは知っていたりするのですか?

 「いや、そこまでは。自慢することは好きじゃないし」


――同僚は知っていたりするのですか?

 「ある者は知っているけど、そこまで大きな関心を持たれることはないかな」


――偏見とかはあったりするのですか?

 「それはないよね。忍術の経験談はそこまで口にしないから、おおよその人はその話を聞いたらまずは驚くよ。でも、他人がそのことを知るかどうかなんて自分にとっては重要ではないからね」


――3年前にあなたは初めて来日したそうですね。憧れの日本はいかがでしたか?

「それはもう、とても興味深い経験だったよ! ザグレブ大学体育学部の博士課程の活動の中で、自分の研究発表をどこかしらで行う必要があったんだ。パブレ・ミクリッチ教官と相談して、2016年夏に筑波大学で『国際スポーツバイオメカニクス学会』(ISBS2016)が開催されることを知り、2人での出席を決めた。来日の第1の目的は学会発表だったけど、第2の目的は日本そして東京を自分の目で観たかったこと、そして第3の目的が千葉県野田市にある『武神館』の本部道場で幾度か稽古をつけてもらうことだった」


――学会ではどんな発表をしたのですか?

 「『サッカーのエリート選手における体幹運動とアクセラレーションの関係性』について。ディナモの選手たちの身体に試合でも使うGPSを装着し、20mスプリント走のテストを行った。そこから角速度と身体の関係を調べ、その中で脊椎の真ん中にある『胸椎』の動きがスプリントにおいて間接的な形で重要な影響を与えることを明らかにした。とりわけ最初の数ステップにおいてはアクセラレーションとはっきりとした関係性があるんだ」

筑波大学で開催された「国際スポーツバイオメカニクス学会」にて(本人提供)


――武神館は戸隠流忍法の第34代宗家・初見良昭氏が創設した道場だそうですが、そこで何日間稽古をしたのですか?

 「5日間だね。午前は筑波大学の学会に出席し、午後には道場での稽古を毎日繰り返した。本当に興味深かったよ。もっぱら白石勇師範に指導していただき、初見宗家には2度、野口幸男師範には1度指導していただいた。『センセイ』たちはそれなりの年齢であるにもかかわらず、コーディネーションや動きに対する感覚、相手の気配を読む感覚、タイミングや間合いの感覚、力における相互作用の感覚といったものが凄まじかったよ。ここぞという瞬間に、小さな力で対戦相手をたやすく倒してしまう。彼らの稽古や指導に対する取り組み方は本当に魅力的だった。興味深かったのは、道場は30人が入れるくらいの広さにもかかわらず、どの稽古でも60人は集まっていたことさ(笑)。それほど多くの人であふれていた」

千葉県野田市の忍術道場「武神館」の白石勇師範と(本人提供)


――外国人はどれくらいいるのでしょうか?

 「とてもたくさん。日本人は数人といったところで、あとは世界中から外国人が集まってくる。私が知り合っただけでも南米諸国やメキシコ、ニュージーランドやUAE……」


――ストレングス&コンディショニングコーチとして日本で働きたいという気持ちは強いのではないですか?

 「日本で働けたらいいなと思うよ。なぜなら、誠実さがとても評価される国であるし、日本の文化や哲学が自分という人間を作り上げたといっても過言ではないからね。忍術を始めた13歳の頃から日本に関する本はたくさん読んだし、稽古を通して日本の考え方へと近づこうとした。普通の外国人ならば別世界と思えるような日本のメンタリティや文化であっても、私は生活の中ですんなりと順応できると思っている。責任感を強く持つこと、何事にも正確であることが私のモットーだし、そういう人間でもあるから、重荷を感じることなく環境に馴染めるだろう。物事を計画することも好きだからね。時間通りに電車が来て、時間通りに駅に到着するなんて最高だよ(笑)。

 加えて、『もっと日本という国を知りたい』と思っているんだ。まだ見ていないものがたくさんあるし、自分の魂と言うべき忍術をもう少し鍛えられるかもしれない。

 日本の道場において非常に興味深かったことの一つとして、同じ流派を教えている指導者の間でもそれぞれの個性やスタイルがあること。私に最も適した指導スタイルは白石師範のものだった。客観的にみれば相応しくない『段』や『帯』をしばしば生徒の方が望むような慣習が日本にはあったりする。私は黒帯(四段)をクロアチアで取得していたのだけれども、白石先生は私に対して五段を取得するよう推してくれた。忍術で五段に合格するということは、他の武術と同様に非常に特別なことなんだ。

 昇格試験では、生徒が床で『正座の構え』をしている背後に指導者が木刀を持って立つ。先生がその木刀を振り落として頭を叩こうとする際、生徒は振り返ることなく、気配を感じて木刀を避ける必要がある。難しいのは、その瞬間において自分の頭の中からすべての思考を取り去らねばならないことだ。意思を持つことは一切できず、音に頼ることもできない。そんな時間すらないのだから。もちろん見ることもできない。単に感じなくてはならないんだよ」


――その試験にチャレンジしたのですか?

 「そう。ここ数年はしっかりと稽古を積んではいなかったものの、白石師範は昇格試験を受けるよう私を説得した。こちらの言い方をすれば『私を炎の中に突っ込む』ことを白石師範は望んだのさ。先生が木刀で頭を叩いた時点で不合格となる。もし木刀を振り落とす前に動いてしまったのなら、もう一度。最初の2回は神経質になってしまい、私は正しいタイミングよりも前に動いてしまった。3度目にアメリカ人の先生が木刀を振り落とした時、ここぞというタイミングで避けることに成功したんだ。

 とはいえ、自分は合格に値しないと思ったし、今でも五段のレベルには相応しくないと思っている。その一方で、経験という点で『実際にやってみたらどうなるのか?』ということには惹きつけられた。あれは異次元の瞬間だった。頭が木刀でかち割られることなどは最低限の心配だったんだ。最後には初見宗家も立ち会う中、60人から70人の人々を前にして私は五段に合格した。あれは素晴らしい経験だったよ」


――もし日本に住むことになれば、もっと忍術の極意も会得できますね。

 「そう。何はともあれ、非常に意義のある日本での1週間だったよ。自分にとっては最高の経験だったね」

Krešimir Šoš
クレシミール・ショシュ

ストレングス&コンディショニングコーチ。1977年2月4日生まれ、ザグレブ出身。ザグレブ体育学部修士課程を修了後、同大学のスポーツ診断センターを経て、2003年にディナモ・ザグレブのスタッフとして入閣。セカンドチーム、ユースアカデミー等を経て、2012年からは5年間にわたってトップチームのフィットネスとパフォーマンス向上を担当した。2017-18シーズンはレギア・ワルシャワの監督に就任したロメオ・ヨザクに帯同し、同クラブのポーランド2冠に貢献したのち、現在はフリー。U-14からU-21までのクロアチア各世代チームでもコンディショニングコーチを務めている。ザグレブ体育大学博士候補。UEFA Aライセンスも所有。

Photos: Yasuyuki Nagatsuka

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クロアチア代表指導

Profile

長束 恭行

1973年生まれ。1997年、現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて銀行を退職。2001年からは10年間のザグレブ生活を通して旧ユーゴ諸国のサッカーを追った。2011年から4年間はリトアニアを拠点に東欧諸国を取材。取材レポートを一冊にまとめた『東欧サッカークロニクル』(カンゼン)では2018年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞した。