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白血病と闘ったフットボーラー。ペトロフとイケメは打ち克った

2019.05.03

 ウィガンなどでプレーした元ホンジュラス代表DFファン・カルロス・ガルシアが2018年1月、29歳の若さで亡くなった。白血病だった。14年のブラジルW杯にも出場した彼は15年に白血病と診断され、ウィガン退団後もイングランドに残り骨髄移植の手術を受けたものの、再発。残念ながら息を引き取った。彼のケースからわかるように、「血液のがん」と言われる白血病は間違いなく難病だ。

2014年のブラジルW杯でプレーするガルシア。病魔が彼を襲ったのはこのわずか1年後のことだった

 だが、サッカー界にはこの難病を克服した男もいる。元ブルガリア代表のスティリアン・ペトロフがその人だ。セルティック、アストンビラで活躍したMFは12年3月(当時32歳)、いつものように試合にフル出場したわずか数日後、急性骨髄性白血病と診断されている。「最初は風邪で発熱しただけだと思った」という彼のコメントがこの病気の発見の難しさを物語るが、早期発見、そして本人がすぐに病気を受け入れて治療をスタートさせたことがその後の快方に繋がったことを考えると、彼は幸運だったのかもしれない。

ペトロフの病気発覚後、ビラのホームゲームでは彼の背番号と同じ19分から1分間、スタンディングオベーションを送り彼を励まし続けた

 ペトロフは骨髄移植ではなく投薬による化学療法を受けたが、重度の化学療法は副作用として強い痛みを伴い、「何度も諦めたいと思った」という。だが、彼は妻や周囲の励ましを受けて「地獄があるとしてもこれほど酷くないだろう」と語る化学療法をなんとか続け、1年が経つとより軽度な治療へと変わっていった。その後も投薬を続け、3年が経った頃に彼は無事に「寛解」(病状が落ち着き問題ない状態になること)した。

対戦相手にファン、様々な人たちがTシャツにメッセージを込めた。1枚目はチェルシー。3枚目のウィガンの写真には当時所属していた宮市亮の姿も

 病気の発覚から1年後にペトロフは現役を退くことを選んだが、14-15シーズンには古巣アストンビラでコーチを務め、16年にはサンデーリーグ(アマチュア)で現役復帰をするなど「長く難しい道のり」を乗り越えて彼は“生活”を取り戻すことができた。病気になった後に立ち上げた白血病の患者をサポートするための財団の活動も継続し、彼は現在も元気に生きている。

ペトロフが立ち上げた財団のSNSアカウント

「僕はチャンスを与えられた」

 ペトロフの他、17年7月に急性白血病と診断された元ナイジェリア代表GKカール・イケメ(当時31歳)も、この病を克服した一人。ウォルバーハンプトンに所属していた彼は、新シーズンに向けて「調子がいい」と感じていたにもかかわらず、プレシーズンの定期検診で行った血液検査により病気が発覚した。すぐに治療に集中するために病気を公表し、チームを離れると、ペトロフと同様に化学療法の副作用による体調の変化に苦しめられながらも、1年間の治療を戦い抜いて無事に寛解している。

白血病発症前、16年のイケメ

 イケメは現役復帰を希望したが、専門医に引退を勧められ、「子供や家族のためにもリスクは冒せない」として寛解後に32歳でスパイクを脱ぐ決断をした。彼は多くのウルブズファンや同業のフットボーラーたちからの支援に対する感謝を述べるとともに、こう話した。

 「もっと悪い状況の人もいる。末期がんと診断された人だっているんだ。僕はチャンスを与えられたと思っているし、それをもらえたことに感謝しているよ」

闘病中に届いたサポートの手紙を喜ぶイケメ

 イケメは現在、メディアで解説者として活動する傍ら、指導者となるべく準備に励んでいる。だが、肝心なことは「朝起きて、家族と一緒に朝食を取ることができる」というシンプルな幸せだという。間違いなく、白血病はその人と、さらには家族の人生をも変えるような病だ。ガルシアのように悲しい結末を迎えた者もいるが、ペトロフやイケメのように病に打ち克った者もいるということは、心に留めておきたい。

5月1日にウルブスの公式サイトで公開された、イケメからユース選手たちへのメッセージ

Photos: Getty Images

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カール・イケメスティリアン・ペトロフ

Profile

寺沢 薫

1984年生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』編集部を経て、2006年からスポーツコメンテイター西岡明彦が代表を務めるスポーツメディア専門集団『フットメディア』に所属。編集、翻訳をメインに『スポーツナビ』や『footballista』『Number』など各媒体に寄稿するかたわら、『J SPORTS』のプレミアリーグ中継製作にも携わった。