ペップ・グアルディオラ論。ポジショナルプレーの伝道師はなぜ“8番”を主役から降ろしたのか
ペップ・グアルディオラはFootballを変えた。
ポジショナルプレーを世界に広め、ボール支配の価値を再定義し、数え切れないほどの勝利とタイトルを積み上げた。しかし、その輝かしいキャリアには1つの逆説がある。
“初期の傑作”ペップ・バルサを超えられなかったのではないか——。
マンチェスター・シティで前人未到の成功を収めながらも、彼は最後まで理想を追い続けた。そしてその過程で、自らがFootballにもたらした革命は、皮肉にも彼自身を追い詰めることになる。
ポジショナルプレーの伝道師は何を得て、何を失ったのか。
“8番”という存在を手掛かりに、ペップ・グアルディオラという思想家の軌跡と、その遺産をたどる。
2026年5月24日。マンチェスター・シティを指揮する最後の試合となったホーム、エティハドでのアストンビラとのプレミアリーグ最終節。移籍の噂がある選手や退団が決まった選手、今季あまり出場機会がなかった選手をスタメンにズラリと並べて臨み、結果は敗戦。89分に、フォーデンがコバチッチからの狭いところを通した良いパスを受け、反転してゴールを決めるも、わずかながら臀部が出ていたとのことで、オフサイドの判定。得点は認められず、同点ゴールは幻となりました。
なぜなのかはわかりませんが、この敗戦を見て、不思議と嫌な気持ちはしませんでした。この後行われたペップ退任のセレモニーが素晴らしい雰囲気だったことも影響したかもしれません。あるいは、フォーデンの幻のゴールが美しく豪快だったからなのか。もしかすると、最終戦でも終始厳しい表情だったペップが、この瞬間だけは少し力の抜けた、いい笑顔を見せてくれたからかもしれません。
イングランドにしては珍しいくらいの柔らかい西陽も、やけに情緒的に感じられて、「最後の試合がこんな負け方っていうのも、案外悪くないな」と、そう思ってしまいました。
ペップ・シティが思ったよりも穏やかな、静かな幕引きをした翌日、浅野賀一編集長から「ペップ・シティの総括をしてほしい」と依頼を受けました。ペップ・グアルディオラという男に脳を焼かれた人間としては断るわけにはいかず、謹んでお受けすることにしました。先に断っておきますが、今回の総括は細かな戦術の分析ではなく、もっと根底にある彼の思考の基盤、Football哲学、アイディアがどう影響を与え、そしてそれ自体がどう変化していったのかという視点から行います。彼という人間、あるいはFootball人としての本質は、目新しい戦術の発見ではなく、「なぜそれを思いつき、実行できたのか」という部分にあると思うからです。
Footballを破壊した男
Amazon Primeのドキュメンタリーである『All or Nothing』で本人が言っていたように、彼はまさに「Footballを破壊」しました。彼が監督1年目でバルサBを優勝に導いた翌年、落ち目のバルサのトップチームの監督に就任したのが2008年。それまでのFootballと、ペップ後のFootballはもはや「別のスポーツ」と言って良いレベルで変化していきました。
彼のFootballの哲学と、それに連なる方法論がこれほどまでに大きな影響力を持ったのは、言うまでもなく「強かった」からです。これは単にタイトルの数とか、勝率とかのことを言っているわけではありません。Footballというスポーツは一種のゲームであり、そのゲーム性は「『手を使わない』、『オフサイド』といったルール群」と、「そのルール群をどう解釈するか」という2つの領域から立ち上がってきます。
ゲーム性やルールの解釈が、ゲームの構造上「行動として強い」ことは、ゲームをプレーする上で非常に有利に働きます。戦略や戦術を考えたり、瞬間瞬間の判断をしたりする時にも、「なぜそれが有利になるのか」、「状況の変化に対しても、何をどう変えれば有利に立ち回れるか」を理解していることになるからです。
ペップ・グアルディオラという男は、この「Football解釈」という点において明らかに優れていました。これについては、これまでの歴史上で見ても他の追随を許さないレベルでしょう。より正確に言えば、彼はもともとクライフイズムの正当な継承者と言えるわけですが、「抽象的な理想論」としての印象が強かったそれを、実用的な機能美へとその解釈をアップデートさせました。それによって彼は、「Footballとはどういうゲームか、何をする戦いなのか」という問い自体を書き換えるほどの、強力な解釈へとたどり着くことになりました。
彼を語る上で最も重要であると考えられる哲学、Football解釈のコアになる部分を、まずは振り返っていきましょう。
スピードを上げない、動きすぎない
単純に考えれば、「より速く、より正確に、より強く」といったように、パラメーターの値を向上させていくことで競技上の有効性も向上していくという、線形の因果関係を期待してしまうのが、Footballに限らずあらゆるスポーツ、ゲーム、勉学、ビジネス、あらゆる業界で一般的だったと言えます。
しかし彼は、クライフやリージョなどが提唱してきた「試合をコントロール可能なものにする」という考え方を極めて原理的に重視しました。かつてのインタビューでの発言が印象的でした。
「ボールを保持している時には、走りすぎないこと。多くの監督は、うまくいかない時に、『戦えていない』、『走れていない』、『気持ちが入っていない』と言うことが多いが、私が信じているのは全く逆のことだ。選手はいつだって良いプレーをしようとしている。良い攻撃ができない時は大抵、走りすぎているし、動きすぎているんだ。ボールを保持している時間は、そのほとんどを歩いて過ごさなければならない。走るなら適切なタイミングであることが必要だ」
身体性が優先されるスポーツという世界においてはなおさら、「頑張ること」、「一生懸命やること」、「量を増やすこと」というマッチョイズム的なテーゼに支配されてしまいがちです。彼やリージョらが持ち込んだこの考え方は、Footballやスポーツの世界に、「量」だけでなく「適切さ/適度さ」や「質」、「考えること」の大切さを思い出させてくれるものだと感じています。ただ速い、ただ強いといった身体的な部分だけでなく、ただ上手いすら超えて、知恵、工夫、連携、駆け引きといった知性がFootballにおいて有効であるというのは、間違いなくFootballの社会的価値を高めることにつながったと言えるのではないでしょうか。
ポジショニングこそFootballの第一原理である
彼の哲学の始祖であるクライフなども含めても、ペップほどポジショニングに狂気的にこだわった指導者はいません。ただ、こう言うともしかすると「偽SBや偽9番のことか」と思われるかもしれません。しかし、彼がFootballに与えた影響というのはそういった事象レイヤーに留まるレベルのものではありません。
彼の考え方で本当に歴史的でイノベーティブだったのは、マクロなフォーメーション、メゾなビルドアップなどの部分的な構造、そして細かいポジショニングや「良い位置」と言われていたもの、これらの壁を全て取り去り、「ポジショニング」という1つの言語体系へと統一したことです。
それまでのFootballでは、[4-4-2]などのフォーメーションがマクロなレイヤーとしてあり、これは非常に固定的なものでした。そして部分的な関係性や構造として、「SBのオーバーラップ」や「左SHが自由に動く」といった個別の動きが下部構造として個別で存在している。局面ごとの細かい「良いポジショニング」は、今から見るとずっと感覚的で経験的で、方法論としては非常に暗黙的な部分が大きいものでした。
しかし、拙著である『シン・フォーメーション論』(小社刊)の前半でも中心のテーマとしたことなのですが、Footballというスポーツは、以下の特徴があります。
・11人という絶妙な人数(多すぎず、少なすぎず、適切な複雑さを生む)
・両チーム平等に11人の選手を資産として戦うこと
・移動や役割に制約・制限がなく自由に動けるゲームとしてのルール([4-4-2]、ボランチ、などはゲームプレーヤーたちが勝手に作り出した概念であって、ルールではない)
これはすなわち、この11人という両チーム平等に与えられた資産・資源をどこにどう「配置」するか(ここでいう「配置」は時刻によって変化するため動的な概念なので、「移動」という概念も含みます)はFootballというゲームにおいて非常に本質的な意味を持つということです。
ペップがFootballの話をする時、「フォーメーションは〜」という話や、「ビルドアップの配置や構造が〜」という話をすることはほとんどありません。彼は常に「良いポジションこそが重要なんだ」と言います。些細なことに感じるかもしれませんが、これは極めて革命的なパラダイムシフトです。
彼の発言はナチュラルに、ポジションという概念を「局面×役割×戦術的意図×関係性(味方と作る構造、相手に対するポジショニング)」という1つのフレームワークに統一してしまいました。一人ひとりの正しいポジショニングが、ひいては局面の配置戦術や「偽〇〇」という役割変換、あるいは全体としての整ったバランス(マクロ、かつてのフォーメーション的な概念)を下部構造から作り上げることになるのです。
局面局面で戦術的意図(例えば、現在面しているラインを越える)を達成するために、「正しい位置」、「より良いポジション」を取ろうとするミクロなポジションの修正が、自然な形で全体の配置に影響を与えます。「誰にどの役割を担わせるか」という戦術的意図が、結果的に「非対称に広がった3バックの空いたスペースをエデルソンとロドリが前後から活用する」という戦術構造を生み出します。
このように、Footballはそのゲーム特性ゆえに、配置・ポジショニングは元来最上位レベルに重要なキー概念だったわけですが、ペップ以前の時代では今ほど目を向けられていませんでした。先ほど指摘した「ゆっくりとしたプレーでゲームをコントロールする」ことで「良いポジション」を取るアクションをより構造的に保護することにもつながりました。このように、ポジショニングをFootballの第一の原理として確立したこと、これこそが彼の最も大きな功績の1つであり、「ポジショナルプレー」という言葉が持つ間主観的な定義の中でも、中心にくるものなのではないでしょうか。
圧倒的支配率の本当の意味——ボールと共にプレーする哲学
ペップのFootballの最も大きな特徴の1つとして、その圧倒的なボール支配率を挙げないわけにはいかないでしょう。こう言ってしまうと、「ボール支配率は目的ではない」という反論がすぐに飛んでくることは理解しています。単にボール支配率だけを向上させても勝てるようになるわけではないというのは、歴史的にも証明されてきました。
しかしそれでも、むしろ今だからこそ、彼のFootballが体現してきた「圧倒的なボール支配率」について正しく語るべきだと思っています。
今日、「攻撃と守備の境界線」は極めて曖昧になってきています。かつてはよく、「ボールを持っていれば相手は攻撃できない」などと言われたわけですが、現在ではハイプレッシングはほとんど「攻撃のアクション」の1つのように扱われるようになりました。だからこそ、ただボールを保持しているだけでは、相手からの「ハイプレッシングという攻撃」、「カウンターという攻撃」を招く可能性があるというわけです。
あるいは、安定/不安定という観点で評価すると、ペップのFootballは基本的に「自分たちを安定させることを第一にしつつ、相手を不安定にさせるアクションも織り込む」ことが狙いであると表現できます。なので、適切にこのスタイルが機能している時には、ボールを保持して自分たちの状態を安定させつつも、相手の守備組織を解体するアクションが成功していることになる。必然的に高いボール支配率と「面白い攻撃」、「スリリングな展開」が両立することになるわけです。
とはいえ、単に戦術的な手段として見れば、その価値は有効性の度合いでのみ測られるわけですから、支配率を高めること、すなわち「ボールと共にプレーすること」と、ボールを手放してハイプレッシングをすること(相手を不安定にすることを最優先にするアクションですね)の間に貴賤は存在しません。相手からの「非保持だが攻撃的」なアクションを誘発してしまう有効でないボール保持(相手を不安定にできていない)をするくらいなら、ボールを捨ててしまった方がいいこともあるのはもっともな話です。
しかしながら、「Footballにおける価値」という視点においては、むしろ「ボールと共にプレーする」という意志であり、哲学そのものが重要な意味を持つのではないでしょうか。なぜなら、Footballというスポーツ/ゲームの性質において最も決定的な制約が、「ボールを足で扱う」ことだからです。トップレベルにおいて、「ボールを持たない・捨てる」哲学が主流になる、あるいは「ボールを持つことはリスクでしかない」とまで言われるようになったとしたらどうなるでしょうか。
育成年代や下位のカテゴリーにおいても、「技術を伸ばす」、「ボールプレーをすること」の価値も同様に低く見積もられるようになるでしょう。そうなった時、「FootballがFootballである理由」とは何なのでしょうか。
誤解なきように言っておきますが、スタイルの多様性は重要です。なので、ボールを持たないスタイルや哲学が悪だと言うつもりもありませんし、ボールを持つことが正義で、その哲学でFootball界を埋め尽くすべきだとも思いません。しかし、業界全体のサステナビリティという意味でも、「ボールと共にプレーする哲学」が残っていくことは絶対に必要です。
なぜなら、現在のトップレベルで非保持局面を軸に戦術を構築しているチームであっても、結局は攻撃に転じた時に「ボールプレーの質の高さ」が求められる、あるいは差別化要因として機能しているからです。クオリティなきカウンターは現代のFootballにおいてすでに通用しません。ボールプレーを大切にする文化がFootball界から失われれば、こういった選手の供給も徐々に減っていきます。
球体のボールを足で自由に扱うというのは、想像よりもずっと難易度が高いことですから、「ボールプレーを中心に戦術を組み立てることはトップレベルにおいてリスクだ」という言説は、逆に言えばとても広まりやすい構造になっています。だからこそ、ボールと共にプレーする哲学の戦術的な有効性、あるいはボールプレーが戦術的に有効になる構造を実証し、勇気を持ってボールを扱おうとする姿勢、文化、哲学をこの業界に残してくれた彼の功績は、目先の試合に勝った、負けたという話よりもずっと大きいと言えるのです。
この2シーズンの構造的受難
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Profile
山口 遼
1995年11月23日、茨城県つくば市出身。東京大学工学部化学システム工学科中退。鹿島アントラーズつくばJY、鹿島アントラーズユースを経て、東京大学ア式蹴球部へ。2020年シーズンから同部監督および東京ユナイテッドFCコーチを兼任。2022年シーズンはY.S.C.C.セカンド監督、2023年シーズンからはエリース東京FC監督を務める。twitter: @ryo14afd
