SPECIAL

ジャック・ウィルシャーとは何だったのか?“ガラスの天才”“アーセナルDNA”の引退に寄せて

2022.07.23

202278日、一人のフットボーラーが現役引退を表明した。今年元旦30歳を迎えた彼の名はジャック・ウィルシャー。アーセナルで10番を背負い、代表にも18歳で選出され通算34試合に出場した、イングランドが生んだ最高傑作の一人だ。しかし“ガラスの天才”と称された彼のフットボール人生は決して順風満帆ではなく、輝かしい肩書きとは裏腹に実に悲哀に満ちたものだった。

ケガによる長期離脱。アーセナルにおけるキャリアの半分はベンチで見かけることすら難しい状況。にもかかわらず、ほぼすべてのグーナーはこの男の虜となり、退団後もアーセナル復帰を切に願った。そんな稀有な存在、ジャック・ウィルシャーとは何だったのか? 彼の思い出とともに振り返ってみたいと思う。

ジャックが無条件で愛されるワケ

 ジャックが無条件でグーナーに愛される理由の一つ、それは彼がヘイル・エンド出身ということだ(ヘイル・エンドとはアーセナルアカデミーの俗称。ロンドンのヘイル・エンドというエリアにあるためそう呼ばれる)。9歳からアカデミーに所属し、物心つく前から「Arsenal Way」を魂レベルで叩き込まれる。そんな純粋培養の少年が自分たちの代表になるのだから、サポーターも愛さずにはいられないというわけだ。

1992年1月1日生まれ。9歳から在籍するアーセナルで2008年9月にトップデビューを果たし、2018年夏まで公式戦198試合に出場、14ゴール30アシストを記録した。その後は2020年10月までウェストハム、2021年1­〜5月にはボーンマスに所属。今年2月よりデンマーク1部のオーフスGFに加入し14試合に出場したが、引退表明2日前の7月6日に退団が発表されていた(写真は2013年7月にシュチェスニーと)

 身も心も真っ赤っ赤のジャックがトップチームに合流したのは2008年、彼が16歳の時だ。開幕前のプレシーズンマッチに全試合出場、3ゴールという活躍。その成果がアーセン・ベンゲルに認められ、9月にはクラブ史上最年少16歳256日で公式戦デビューを果たす。“あのブカヨ・サカ”のデビューが17歳だったことを考えると、ジャックがいかに特別な存在だったのかがわかる。

 そんなジャックの第一印象は、神童というよりはシンプルにクソガキ。その見た目だけでなく、山本“KID”徳郁やダイナマイト・キッドを彷彿とさせる、爆弾小僧的なオーラから滲み出る悪童感に、「わりーヤツ来たなぁ」とニヤニヤしたのを今でも覚えている。

 とはいえ、“ただのクソガキではない”というのはその下半身を見てすぐにわかった。10代半ばとは思えない、成人男子2本分くらいありそうな異様に発達した大腿部。筋トレをやっている人間ならわかると思うが、筋肉というものは一朝一夕ででき上がるものではない。その説得力ある極太の太腿は日々の鍛錬の賜物なのだ。

ヘイル・エンドの悪童から欧州の神童へ

 その後ベンゲルの命を受け、2010年1月からボルトンへシーズン終了までのローン移籍。そしてこのわずか半年ばかりの武者修行がジャックの大きな転機となる。

 迎えた夏、エミレーツ・スタジアムに立つ19番は、10代とは思えない、実に頼もしい“漢”へと変貌を遂げていた。そんな彼の実力を証明することとなった試合が、今も語り種となっている10-11シーズンCLラウンド16、バルセロナ戦の第1レグ(2011年2月16日)だ。

 ペップ・グアルディオラ率いる当時のバルセロナは文字通りの黄金期。前線にメッシ、中盤にはシャビ、イニエスタ、ブスケッツを擁し、欧州の絶対王者として君臨していた。事実この大会でも、レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッドなど並みいる強豪を撃破しビッグイアーを獲得しており、そのノックアウトステージ初戦がアーセナルだった。

 下馬評的は言わずもガナ、アーセナル絶対不利は揺るがず。ブックメーカーのオッズにも世間様の評価が色濃く反映されていた。しかし勝負は下駄を履くまでわからないとはよく言ったものだ。蓋を開けてみれば心臓激震、不整脈持ちの自分が身の危険を感じるほどのシーソーゲーム。正直「このまま死んでも本望!」――そう思えるほど、どうかしている一戦だった。

 前半バルセロナがビージャのゴールで順調に先制。しかし後半、我が軍もエミレーツの盛大な後押しを受け奮起、78分ファン・ペルシー、83分アルシャビンと立て続けにネットを揺らし、アーセナル大逆転勝利という驚天動地の大事件を実現させた。そしてこの「驚天動地」という表現は決して大袈裟ではない。15年の生観戦歴の中でこれほどエミレーツが揺れた試合はこのバルサ戦をおいて他にはない。この夜、信じがたいほどの熱狂がノースロンドンを包み込んだのだ。

 そんなメイクミラクルのど真ん中にいたのがジャック・ウィルシャーだった。この日ボランチでプレーしたジャックは、シャビやイニエスタなど錚々たるワールドクラスの猛者たちを完封。さらにバルサのお家芸である光速ハイプレッシングも悠々とかわし、何本ものキーパスを前線に流し込むなど、攻守にわたり圧巻のパフォーマンスを披露。当然のようにマン・オブ・ザ・マッチに選出され、敵将ペップも思わず賛辞を贈ってしまうほどの無双っぷりだった。

 ジャック、この時、弱冠19歳。アーセナルには末恐ろしい10代がいる。ジャック・ウィルシャーの名は世界中を駆けめぐり、ヘイル・エンドの悪童は一夜にして欧州の神童となった。

ジャックの歴史はケガの歴史

……

残り:2,683文字/全文:5,038文字
この記事は会員のみお読みいただけます

会員登録はこちら

プレミア会員 3つの特典

雑誌最新号が届く

電子版雑誌が読み放題

会員限定記事が読める

「footballista」最新号

フットボリスタ 2022年9月号 Issue092

11、12月開催のW杯を控えた異例のシーズン。カタールをめぐる戦いの始まり【特集】ワールドカップイヤーの60人の要注意人物 【特集Ⅱ】ワールドカップから学ぶサッカーと社会

10日間無料キャンペーン実施中

TAG

アーセナルジャック・ウィルシャー

Profile

さる☆グーナー

ノースロンドン在住、アーセナルのせいで帰国できなくなった非国民。アーセナル出家信者。ダイエットにも役立つかもしれない8割妄想2割ガセのエアブログほぼ毎日更新中『Arsenal 猿のプレミアライフ』♪底辺ユーチューバーもやってるよ!『Arsenalさるチャンネル』。