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【対談】五百蔵容×山口遼:ナポレオンとグアルディオラの類似性とは? サッカーという「ゲーム」を考える

2021.08.16

『シン・フォーメーション論』発売記念企画#2

8月2日に全国発売された『 シン・フォーメーション論 』は、山口遼さんが従来の枠組みでは捉え切れなくなった現代サッカーにおけるフォーメーションについて「サッカーとは何か」という根源的問いからスタートして徹底的に再考し、新たなフレームワークを提示している意欲作だ。

本書には特別企画として、2本の対談が収録されている。先日一部公開した吉田達磨監督との対談に続き、サッカー分析家でシナリオライターの五百蔵容さんと山口さんとの対談の一部を特別公開! サッカーを「ゲーム」として捉える両名の対話を通して、サッカーというもの自体について考える契機としてみてほしい。

――まず、五百蔵さんには事前に第1章から第3章を読んでいただきましたがどのように感じられましたか?

五百蔵「山口くんが書かれている『フォーメーションには意味があるけど、フォーメーションとやり方は別の話』というのは、まさに僕も以前から感じていたことでした。昔から『フォーメーションはこうだけど、システムはこう』だと考えていて、なぜそのフォーメーションでそのやり方をしているのかを考えることが、そのチームを分析する時にすごく重要だと考えてきました。[4-4-2]で、あるやり方を採っているチームと別のやり方をしている[4-4-2]のチームでは、同じ[4-4-2]でも全然違うわけです。じゃあ[4-4-2]に意味はないのかと言ったら、あるんですよね。

 ベースのフォーメーションを用いてそこから『やり方』を派生させている、その派生自体がそのチームにとって重要なことなんです。なので山口くんがフォーメーション論を展開するにあたって、まずそこに目を付けているところはその通りだなと思いました。ではなぜ、固定的なフォーメーションという概念から様々なやり方へと派生していくのかと言うと、別に監督がやりたいからやっているわけではなくて、サッカーがそういうことを要求しているのでそうなるんです。サッカーというゲームが持っている要求に対してアジャストしないといけないからやっているんですよね。サッカーをゲームとして捉えるところから考えましょうという見方からすると、凄くストレートなアプローチで面白いと思いました」

山口「あまりにも正攻法ですよね(笑)」

五百蔵「そうですね(笑)。学術論文に近いという意味で正攻法ですね。とはいえ比較的わかりやすく書かれているので、サッカーはゲームであるということを受け入れられる立場からすると読みやすいと思います」

サッカーとはどういうゲームなのか?

―― 山口さんの「サッカーはゲームである」という捉え方は、五百蔵さんも同意するところでしょうか?

五百蔵「本来ならその前に『ゲームとは何か』という問いがあるんですけど、それをやり出すとサッカーの話ができなくなってしまうので(笑)。たぶん、サッカーはゲームだと言われてピンとこないというか、逆に『何を言う。サッカーは遊びじゃない』と思われかねないですよね。日本におけるゲームというものの受け取られ方を考えると割と普通の感覚だと思います。そこを『そうじゃないよ』と言うには、そもそも『ゲームっていうのは遊びじゃないんだよ』というところも必要かなとは感じます」

山口「そこがまさに第1章ですよね。書くにあたってゲームについての論文や文献を読み漁ってヴィトゲンシュタインの『言語ゲーム』の考え方も引用しましたけど、ひと口にゲームって言ってもこれだという画一的な定義があるわけではなくて、しかも統一もされていないんですよね。なので、ヴィトゲンシュタインの言うところの、どの部分が共通していてゲームというものの輪郭を形作っているのか、という部分だけでも示唆に富むなと思っていて。僕が採用した定義は『ルール』と『ゴール』『フィードバック』『自発的参加』でしたけど、この『自発的参加』とかはゲームっぽいなと。でも、部活動で死ぬほど走らされているのとかは自発的に参加してないじゃん、ということをひと言付け加えたんですけど。何がゲームで何がゲームじゃないのか。そういう意味ではサッカーというゲームはこういうところがゲームじゃないけど、こういうところは共通しているというところから迫っていったというのはありますね」

五百蔵「ヴィトゲンシュタインの定義を引いてきたのはなかなかいいアイディアだと思いました。あと、ゲーム全般の話とは違うんですけど、ボールゲームの構造に直接関連している戦争ゲームの領域に話を絞ると、『戦争ゲームとは何か?』というのは割とはっきりとしているんです。僕も今、山口くんと同じ関心を違う方向に広げた本を書いているんですけど、そこではサッカーのゲーム性を戦争ゲームの歴史と関連付けた議論をしています。ドイツ語で『kriegsspiel』というのがあって、これが戦争ゲーム(ウォーゲーム)の原型になります。ドイツはナポレオン戦争でこてんぱんにやられてしまったんですけど、どうやらあれはナポレオンという再現不可能な天才の業ではなく、ちゃんと構造があるらしいぞということに気づいたドイツ人が、構造があるんだったらそれを分析して事前にシミュレーションできるのではないかと考えて戦争の要件を洗い出し、それを盤上で再現できる原始的なシミュレーションゲームを作ったんです。実際の軍事の現場で現在使われている兵棋演習に使われる戦争ゲームの原型です。これはどんな戦争においても共通の要件になる『空間』と『時間』、お互いの『兵力配置』と『兵力』をどう解釈して駒にするかという要素を関連付けてシミュレートできるようにしたもので、現代に至るまでその精度が高まってきたという歴史があります。ボールゲームとの直接的な繋がりはないというか、明示的に影響されてきたという証拠はないんですが、ボールゲームの中に存在している要素と戦争ゲームに存在している要素には明白に共通性があって、それは何かと言うと、複雑な現象の中で、どうやって空間と時間の差し引きを、自分たちに有利になるように持ってくるかというところです。戦争ゲームとボールゲームという別個の形に落とし込まれているけど、現実に起こる複雑な現象の中で人間が何をし得るのかという同じ課題に向き合っていて、だからアウトプットが似ているんだと僕は考えています。本書では戦争ゲームのことはそれほど多くは語られていないんですけど、複雑な状況の中でその複雑さに巻き込まれず方向性をつけた何かをするために、サッカーというゲームの中に用意されているメカニズムを分析しているなと。ゲーム制作者の僕から見ても、ゲームというものの解釈であったり、サッカーというものの中にどういったゲーム的なるものが内在しているのかということに関して僕らが考えてきたことをトレースしてくれていると言うか、全然間違っていないな、よく勉強されているなと読んで感じました」

写真は2015年、ナポレオン最後の戦争となったワーテルローの戦いから200年の節目に現地で行われた、当時の戦を再現した様子。縁遠いように思える戦争とサッカーだが、要素を抽出すると共通性があることがわかる

山口「本職の方にそう言ってもらえるとうれしいです」

―― 逆に山口さんが、今回の本の中で戦争について触れようと思ったのはどうしてだったのでしょうか?

山口「例えば、チェスのようなボードゲームとの類似性というのは明らかだと思うんです。エリアの一番奥に目標地点があってキングを取るかゴールを取るかの違いで、複数列での防御線があってというのはまさに同じですよね。ただ、チェスの場合は駒に自由意志がなくて動き方も決まっている点はサッカーと違います。そして何より、戦力が均一というところがサッカーと似ているようで違う部分です。選手たちのことを駒と表現するのは語弊があるかもしれませんが、サッカーの場合は駒の数は相手と同じですけど、個性も違えば力量も違っていて総合的な戦力に差があります。さらに、動き方も決められてはいないし変化しますよね。偽SBをやっていたけど、戦術を変えたので外に張る形に変えるということが平気で起こりますから。そういう意味だと、駒の自由意志も含めて生身の人間が駒となり、より複雑なダイナミクスを内包している戦争というのはサッカーとの類似性があるのかなと思ったんです。厳密に言うとやっぱり戦争はゲームではないんですけど、どういう時にゲームっぽくなってしまうのかということについては論じました。基本的に、自発的に何度も戦争に参加するという人はほとんどいないんですけど、でも自発的に繰り返し参加するという人がたまにいて、そうなると良い悪いは置いておいて一気にゲーム化してしまうんです。そうなると、複雑なダイナミクスを内包しているという点でサッカーとの共通性もありますし、むしろ地形の選択や両者の人数が違うという点ではサッカー以上に自由度の高いフレームワークを内包しているので、サッカーならもっとシンプルに分析できるんじゃないかと。そうやって要素を比較してサッカーってどんなゲームなのか見ていくと、チェスと戦争の間くらいに位置するんじゃないかというのが見えてきました。そういうふうに見ていくと、サッカーっていうのは選択肢とスペース、あとはボールの位置で人間の身体を点とした時に認識できるほとんどのことはこと足りるよねというのは以前から言ってきたことでしたが、あらためてサッカーのゲーム構造から細かく分析してみたのが第2章でした。まさにこのあたりは、五百蔵さんの感想や戦争はもっとこうだみたいなところを聞きたいなと思っていました」

五百蔵「まず、サッカーというゲームがチェスのような戦争をとことん抽象化したゲームと戦争そのものとのちょうど中間くらいのゲームなんじゃないかというのは、まさにその通りだと僕は思いました。一見千差万別に見えて共通性や再現性は抽出できない、戦争における勝利は天才や神の業によるもので、学習可能な術ではないと思われていたのが、ナポレオンによってそうじゃないということがわかってきた。混沌に見えて実はその奥にある諸要素というのがあるらしいから、それを抽出していったら、戦争ゲームという形でシミュレーションできるようになったという順序になります。その末裔であり、軍人たちが今でも使っている現代の兵棋演習というのは、その中でいかに実際の戦場で起こり得るようなあいまいなことであったり、ユニット、兵士たちの自由意志によって生じる状況、ゲームデザイン的には「まぎれ」と言うんですけど、それをいかにリアリティを持って反映させるかというところがレベルアップしていて現実に近いシミュレーションができるようになっています。最初は、ボードゲームでも使うサイコロによってランダム性を与えるというものだったんですけど、それだけでも現実に近いまぎれを表現することができたんです。今ではコンピュータを使ってシミュレーションの精度を上げているという状況になっています。

 ではサッカーはと言うと、第2章で山口くんが抽出しているような抽象化された要素を用いながら、乱数の要素をゲームデザインの中にうまく落とし込んでいるんですよね。まず、決められたフィールドに対して参加する人数が少ない。山口くんが要素の中にスペースを入れていますけど、このせいで使えないスペースが山ほどできるようになっているんですよね。その使えないスペースの価値、使えない度合いの分析を第3章でされている通り、スペースの価値は必ずしも一定じゃないんです。一定の部分とチームが動いていく中で変化していく部分が常に重なり関連し合っている。これは戦争でも実際そうで、状況によって一様でないスペースの価値をどうつかむかが生死を決するんです。一般論としてこのスペースは重要だというのがあったうえで、その上にいろいろな要素が乗ってくることで、戦況の進展に応じて変わる。サッカーのゲームシステムはそれを表現できているんです。山口くんは火力と書いていましたが駒ごとの性能で、例えば数字的には2対1だけど火力的には2対3みたいなこともあり得て、それを監督、チーム側がうまく使うこともできます。シンプルな構造の中に、現実味があるという意味でリアリティがあるまぎれが起きやすくなっていて、しかもそこがゲームプレーの根幹に据えられているので簡単に勝敗が決しないし、混乱が生じやすい状況をどう解決するかというのがすごく重要なゲームになっています。そこが、サッカーというゲームがチェスのようなゲームと実際の戦争の中間にあるようなゲームになっている理由だと思いますし、そういう意味ではサッカーのゲームデザインというのは、戦争ゲームよりもシンボリックな意味ではむしろ戦争そのものに近いと思います。

 グアルディオラがああいう存在としてサッカー史に名を刻むようになったのも、彼がサッカーというものをゲームとして捉えてる、という見方のパラダイムシフトで先んじていたからだと思っているんです。メッシがいたからと言われるかもしれませんが、明らかに彼がいなくてもかなり勝っていただろうなというサッカーなので。僕が山口くんと同じ関心を持って書き進めている本で半分くらいナポレオンについて書かないといけなくなっているんですけど、それはなぜかと言うと、戦史を調べれば調べるほど、彼はめちゃくちゃグアルディオラみたいなんです。何がグアルディオラみたいかというと、戦いを行うフィールドというのを定義する方法を見つけ、そこに相手をハメたらそれで勝てるという戦争のやり方をしたのは彼が最初なんですよ。もちろん戦場も、そこにお互いが投入する兵力も千差万別なんですけど、相手が戦場で戦うことしか考えていないのに対して、ナポレオンはいくつかの戦闘が起きるであろう領域を、戦いを始める前に自分で定義してしまうんです。そして、その定義ができるような初手を打つ。サッカーで言うところのピッチを彼が定義しているわけです。彼が考えるやり方で時間と空間の差し引きが行われるような戦域、状況で戦うわけですから、彼の用兵の方が相手を上回る公算が高いという寸法です。彼は『戦略というのは、時間と空間の差し引きをいかに自分たちに有利に持ってくるかだ』とはっきり言っていますが、彼の戦争のやり方を見ると、その言葉を実行するためには自分たちがどういう空間で戦うかを戦い方含め相手より先に定義する必要があって、だから攻撃(先手を取り主導権を握ること)が重要だというのが彼の発想です。

戦争に革命をもたらしたナポレオン。戦争とサッカーに共通する要素があるからこそ、サッカー界の革命家グアルディオラとの類似性が見えてくる

 これって、グアルディオラが勝てた理由とほぼ同じなんですよね。周りがカウンターかポゼッションか、支配率だとかここで人を並べてしまえばいいんだという部分で戦っていた時に、ポジショナルプレーというガイドラインが事前にあったにせよ、戦場の質をそれで定義できちゃうということに気が付いたのが彼だと思うんです。ポジショナルプレーを用いることでゲームを支配できるというのはどういうことなのか、その意味に他の人より先に気が付いて、どういうふうにすればいいのかという視点でチーム作りや戦術を立てることができたから勝てたんだろうなと。グアルディオラとナポレオンの考えていたであろうことがかなり似ていて、その根幹にあるのは自分が行うことがそもそも何なのかということを解釈して、そのやり方が合っていた、現実に適合していたということなんだと思います」

話はさらに、サッカーのゲーム構造的視点から見た「ポジショナルプレー」の持つ特性、そして戦術、ひいてはサッカーそのものの向かう進化の行方にまで及んでいく。対談の全容は書籍『シン・フォーメーション論』でお確かめください!

Photos: Getty Images

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Profile

久保 佑一郎

1986年生まれ。愛媛県出身。友人の勧めで手に取った週刊footballistaに魅せられ、2010年南アフリカW杯後にアルバイトとして編集部の門を叩く。エディタースクールやライター歴はなく、footballistaで一から編集のイロハを学んだ。現在はweb副編集長を担当。