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あの日、誰も想像できなかった。「自分を信じ続けた」ハリー・ケインのバロンドール

2026.11.01

Good Times Bad Times 〜フットボール春秋〜 #34

プレミアリーグから下部の下部まで、老いも若きも、人間も犬もひっくるめて。フットボールが身近な「母国」イングランドらしい風景を、在住も25年を超えた西ロンドンから山中忍が綴る。

footballista誌から続くWEB月刊連載の第34回(通算268回)は、トッテナムでの1軍定着当時には想像もできなかった「世界最優秀」の未来……諦めずに上を目指し続けたイングランド人FWの軌跡を振り返ろう。

2014年12月、初めて生で見た“怪物”は…

 英国時間の10月26日夜。場所は、2026年度の受賞セレモニー会場となったロンドン・パレイディアム。ハリー・ケインが、ブラジルの「怪物」こと元ストライカーのロナウドから、バロンドールのトロフィーを手渡された。33歳のCFは同日、年間最優秀ストライカー賞にも輝いている。審査対象となる1年間(昨年8月3日〜今年7月19日)に、バイエルン・ミュンヘンとイングランド代表で合わせて65試合に出場し、クラブでは61得点、代表では12得点の計73ゴール。文句なく“怪物級”の数字だ。

 「世界年間最優秀選手」に贈られるバロンドールは、FIFA(国際サッカー連盟)国際ランキング100位内の加盟国による投票(各国1票)で、受賞者が決まる。最も重視される個人成績の他、チームとしての出来と、フェアプレーの度合いも選考基準の一部。ケインはというと、クラブでは主砲として国内3冠に貢献し、代表ではキャプテンマークも付けて、W杯北中米大会3位の原動力となった。その間に受けた警告は、通算3枚のイエローだけ。イングランド国内では、受賞者発表に先立ち、「ロンドン中心部の由緒ある劇場で、ケインが受賞しないようなら茶番劇もいいところ」と言われていたのも無理はない。

 しかし、ピッチ上のケインを初めて生で見た時には、栄えある“黄金のボール”を手にする姿など想像できなかった。2014年12月のチェルシー対トッテナム(3-0)。ケインは、若手が増えたチームのスタメンに名を連ねていた。ユースから上がり、4度のレンタル修行から戻ったトッテナムでの実質的な1軍2年目。2014-15シーズンは、結果的に得点源としての1年目ともなるのだが、鈍足とは言わないものの快足ではなく、強さも、しなやかさも取り立てて感じさせることなかった当時21歳は、2得点に直接絡んだ敵のベテランCF、ディディエ・ドログバほど印象に残らなかった。

デレ・アリの例、オーウェンほどではなかった爆発力

 確かに、フィニッシュは若い頃から上手かった。同シーズン折り返し直後の15年元日、旧ホームのホワイト・ハート・レーンで、トッテナムがチェルシーを返り討ちにした一戦(5-3)では、相手CBジョン・テリーの股間を撃ち抜き、GKティボ・クルトワ(現レアル・マドリー)のセーブも及ばなかったゴールを目撃した。当時から、自らを「オールラウンドなストライカー」と表現していたケインは、2アシストもこなしていた。

 相手監督だったサム・アラーダイスが、悔しさのあまり、ベンチ前に置かれていたドリンクをケースごと蹴り飛ばし、試合最後の“ひと蹴り”となったのは同年2月のウェストハム戦(2-2)。ケインが、終了直前に自ら奪ったPKを自ら蹴り、セーブに遭った後のリバウンドを、これまた自ら蹴り込んだ土壇場のゴールで、トッテナムが敗戦を回避したのだった。翌月のレスター戦(4-3)では、自身初となるプレミアでのハットトリック。ゴール至近距離から押し込み、相手のクリアミスにつけ込んで放り込み、最後は冷静にPKを決めた、CFらしい3ゴールを拝見させてもらった。

……

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Profile

山中 忍

1966年生まれ。青山学院大学卒。90年代からの西ロンドンが人生で最も長い定住の地。地元クラブのチェルシーをはじめ、イングランドのサッカー界を舞台に執筆・翻訳・通訳に勤しむ。著書に『勝ち続ける男 モウリーニョ』、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』『ペップ・シティ』『バルサ・コンプレックス』など。英国「スポーツ記者協会」及び「フットボールライター協会」会員。

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