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「鮎川峻に居場所はあるのか」からハットトリックへ。164cmのストライカーが広島で覚醒した理由

2026.09.29

サンフレッチェ情熱記 第38回

1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始し、以来欠かさず練習場とスタジアムに足を運び、クラブへ愛と情熱を注ぎ続けた中野和也が、チームと監督、選手、フロントの知られざる物語を解き明かす。第38回は、広島ユース出身の24歳、鮎川峻の「覚醒」を追う。164センチというサイズゆえに、これまで多くの指導者からシャドーやワイド向きと見られてきたストライカーは、なぜ今季、1トップとして結果を出し始めたのか。そこには、ガウル監督が見抜いた鮎川本来の特長と、速攻やハイボールだけに頼らない現在の広島のサッカーがあった。

誰も予想しなかった、鮎川峻の「爆発」

 多くの人々にとって「想定外」だったのが、鮎川峻の爆発である。

 今年の百年構想リーグから広島に戻ってきた24歳の若きストライカーに、期待を言葉にする人は決して多くはなかった。取材する記者もわずかで、メディアに彼の言葉が躍ることもほとんどない。筆者は彼が広島ユースでプロを夢見ている頃から知っていたこともあり、1月の石垣島キャンプの頃から注目していた。だが、J2の大分で特筆するべき結果を出していなかったこともあり(2年半で51試合7得点)、今の広島でレギュラーポジションを取れるとは正直、思ってもいなかった。

 ただ一方で、ここ最近のサンフレッチェ広島強化部が掲げる補強方針の1つ「既存の選手にない特長を持っている」という条件に照らし合わせれば、鮎川を広島に戻すことは確かに「あり」だとは思った。

 彼は、紛れもなく「ストライカー」。DFラインの裏をとってスルーパスを引き出したり、ゴール前にピンポイントでクロスに合わせることが上手い選手で、かつての大エース・佐藤寿人を思い起こさせる。そういう「得点を取ること」に特化したタレントは、確かに今の広島にはいない。木下康介(現清水)が近いタイプではあったが、彼は昨年末に足首の手術をしたばかりで復帰時期も不透明。豊富な運動量を誇るタイプではなく、高さと強さを周囲に期待させる選手だった。

 ただ、鮎川のその「ストロング」を見極め、使ってくれる監督は、なかなかいない。大きなデメリットとしてほとんどの監督が見ていたのは、164センチという彼の身長にある。

 広島史上最多得点記録保持者の佐藤寿人も、J1リーグ最多得点記録を持つ大久保嘉人も170センチと、現代のFW像としては小さい方だが、鮎川はさらに小柄だ。一方で彼には瞬間的なスピードがあるし、運動量も豊富。少なくともCF向きの人材ではなく、シャドーかワイドで特性を活かすべきだと、多くの指導者は考える。鮎川自身も、「(監督からすれば)自分は1番前では使いづらい選手なんだろうな」と自覚していた。

 広島のバルトシュ・ガウル監督も、当初はそうだった。指揮官は鮎川のことを、中村草太と比較して見ていた。シャドーの位置から飛び出し、ポケットを攻略するストライカー兼シャドー。それが中村の特長であり、鮎川も同タイプだと判断していた。

 だからこそ、鮎川を中村と似たタイプである小林志紋とも比較し、ルーキーの小林を優先して起用してきた。大分から戻ってきた背番号23が、広島のプレースピードと強度に対して慣れるのに時間がかかったこともあり、鮎川は指揮官に実力を評価されず、百年構想リーグではプレーオフの2試合を除いてベンチ入りはゼロ。ACLエリートも含め、公式戦には1試合も出場できなかった。「競争相手」だった中村がフランスに移籍しても、鮎川にチャンスが巡ってくる気配はなかった。

「最大の補強ポイントはFW」。それでも鮎川を放出しなかった理由

 それもそのはず。タイトル獲得に向けての青写真を描いた広島の強化部は「最大の補強ポイントはFWだ」と意思統一を図り、ストライカーの獲得に全力を注入したからだ。

 百年構想リーグの前には最近2年間で19得点を記録した湘南のストライカー=鈴木章斗を、争奪戦の上で獲得。ジャーメイン良と木下の清水への移籍が決まり、中村も海外移籍を熱望していた夏の移籍期間では、セバスティアン・アレーと浅野拓磨という、ともにヨーロッパで実績を残したスーパーFWの獲得に成功した。さらに、強いフィジカルとスピードを持った元オーストラリア代表のクシニ・イェンギの加入も決まるなど、前線の選手層を厚くすることに強化部は尽力。百年構想リーグでは鈴木が5得点5アシストと結果を出し、加藤陸次樹もコンビネーションの中心としてガウル監督の絶大な信頼を勝ち取るなど、既存戦力も含めて、確かに広島のFW陣は破壊力を増した。

 そういう状況の中、広島の前線に鮎川の居場所は果たしてあるのか。もしかしたら、移籍してしまうのか。夏のプレシーズン期間、そこがとても気になった。

 「これほど試合に出られないのなら」と鮎川が移籍を志願する可能性もあったが、彼はそれを選択しなかった。

 「そういう選択肢もあったかもしれないけれど、(移籍に対して)すごく前向きかと言われると、そうでもなかった。クリさん(栗原圭介強化本部長)と話していても、最後は広島で自分が活躍するためには、というテーマでいつも話していて。そのために何がいい選択なのかという話はしていましたね」

Photo: Kayo Nakano

 実際、強化部には積極的に彼を移籍させる考えはなかった。そもそも、大分から彼を復帰させたのは、鮎川峻という才能を広島で開花させるため。そうでなければ、間違いなく他の移籍先を探している。事実として鮎川が「広島で勝負したい」と強く願って復帰となったのだが、強化部が「他のチームで経験を積ませるべき」と判断すれば、そういう流れになるのがプロの世界。実際、スタッフは「J1のスピードに慣れてくれば、やれるのではないか」と見ていた。

 大きなポイントとなったのは、鮎川のスタイルである。

……

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Profile

中野 和也

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルート・株式会社中四国リクルート企画で各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年からサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するレポート・コラムなどを執筆した。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。以来10余年にわたって同誌の編集長を務め続けている。著書に『サンフレッチェ情熱史』、『戦う、勝つ、生きる』(小社刊)。

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