塩貝健人、“森保ジャパン最後の新星”がボルフスブルクで直面する現実と可能性
遣欧のフライベリューフリッヒ#24
「欧州へ行ってきます」。Jリーグの番記者としてキャリアをスタートさせ、日本代表を追いかけて世界を転戦してきた林遼平記者(※林陵平さんとは別人)はカタールW杯を経て一念発起。「百聞は一見にしかず」とドイツへの移住を志した。この連載ではそんな林記者の現地からの情報満載でお届けする。
W杯メンバー発表前に行われる最後の代表活動となった英国遠征。そのメンバーリストに、たった1人だけ初招集選手がいた。塩貝健人である。スコットランド戦でデビューも果たして期待も高まるが、所属のボルフスブルクでは壁にぶち当たってもいる。ドイツで取材を重ねる林遼平記者が、その現在地に迫った。
森保ジャパン、最後の新星
それはスコットランド戦の84分だった。
左サイドへ展開されたボールを受けた三笘薫が、インナーラップした鈴木淳之介へとパスを送る。その動きに乗じるように、塩貝健人はニアのポジションへとスピードアップ。相手の前に滑り込むように入ると、後方に来たボールを素早く落とす。「完全に見えていた」と言い切るラストパスが伊東純也のゴールへとつながり、日本代表に貴重な決勝点をもたらした。
代表デビュー戦、わずか15分足らずでのアシスト。この試合の2日前に21歳になったばかりのストライカーは、初めての舞台で確かな爪痕を残してみせた。
3月の英国遠征。今夏に開催される北中米W杯のメンバー発表前、最後の活動で、塩貝は初の代表招集を受けた。昨冬にNECナイメーヘンからボルフスブルクへ「W杯のための移籍」というステップアップを果たし、ブンデスリーガの舞台で着々と経験を積んできた21歳は日本代表の新戦力にたり得るか。森保一監督はその判断のために塩貝を招いた。
折れかけていた思い
だが、その招集通知が届く直前、実のところ塩貝は折れかけていた。
メンバー発表前にチームが成績低迷を理由に指揮官が交代。その一発目の試合で出番を得ることができなかったからだ。
「選考前のラストゲームで出番がなくて、『正直もう無理かもな』と思った。『代表はきついかな』と思って、ちょっと折れかけて、何のために練習するのかわからなくなっていた」
ブレーメン戦後にそう明かした言葉は別に冗談ではない。静かな重みがあった。
しかし、ここで立ち止まらないのが塩貝である。翌日の練習から素早く気持ちを切り替えた。「ここでハードワークしたら絶対にチャンスが来ると思って頑張っていたら、代表のスタッフから連絡が来た」。チャンスを手にした高揚感よりも、「今やらなければ」という緊張感のほうが先に立ったという。
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Profile
林 遼平
1987年生まれ、埼玉県出身。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることに。帰国後、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。
