J2を代表する最強レフティ。山下優人がいわきとともに這い上がりながら、数字を残せる“浜の鉄人”と呼ばれるまで
いわきグローイングストーリー第13回
Jリーグの新興クラブ、いわきFCの成長が目覚ましい。矜持とする“魂の息吹くフットボール”が選手やクラブを成長させ、情熱的に地域をも巻き込んでいくホットな今を、若きライター柿崎優成が体当たりで伝える。
第13回は、いわきの地域リーグ時代を知る最古参、今やJ2を代表するレフティになった山下優人が様々なポジションを担いながら成長していく過程を詳細に綴る。
高精度の左足がいわきの武器足るゆえん
コーナーキックのスポットに立ち、ゴール前の状況を把握する。手を挙げて合図を送る。そこから放たれる左足のキックに味方が合わせる――。
そんな歓喜の瞬間をたくさん演出してきたいわきFCの背番号24は、”浜の鉄人”と呼ばれる。
山下優人はチームで数少ないJFL時代を知る古参選手だ。
29歳という年齢ながらチーム最年長。一昨年まではキャプテンとしてチームをけん引し、昨年はローテーション制ながらキャプテンマークを巻く回数が多かった。今年については副将の立場に回り、新しくキャプテンに就任した遠藤凌を支える立場となった。
だが、周知のとおり、遠藤が長期離脱を強いられたことで代わりにキャプテンマークを巻くことが増えた。ある意味で、見慣れた光景が広がっている。
生え抜き選手であり、その中で、誰よりも早くJリーグ通算100試合出場を達成した。チームがJリーグに参入して以降、ここまでほぼすべての試合に出場してきたのだから、日々のコンディション管理の徹底ぶり、練習から100%のパフォーマンスを発揮して試合に臨む姿は若手選手のお手本になっている。

山下の一番の特徴である左足のキックのクオリティの高さは数字にも表れている。
今季のJ2での総得点51得点(第34節終了時点)のうち24得点はセットプレーからの得点だ。山下自らフリーキックとペナルティキックから1得点ずつ決めており、さらにコーナーキックやフリーキックから得点に関与した数は「13」に及ぶ。
第32節・愛媛FC戦でコーナーキックから堂鼻起暉の得点をアシストして数字を「9」に伸ばすと、アシストランキングで首位タイに浮上した。昨年も9アシストを記録しており、福森晃斗(現横浜FC)の「14」に次ぐ結果を残している。
高精度な左足のキックから多くの得点を演出し、J2を代表するレフティへ進化を遂げた。今年はアシスト数を競っていたジョルディ・クルークスがシーズン途中に横浜F・マリノスに移籍したため、あと1点分をアシストできれば単独1位となり、数字も大台の二桁に乗せられる。これはもう時間の問題であり、得点者の一振りに懸かっている。「やるからには数字や結果を残すことは大事」と多くを語らないのが山下らしさだ。
コーナーキックに拘りを持ついわきだが、山下のキック精度と中で待ち構える選手の呼吸があって初めて得点が成立する。特に、ニアサイドで逸らし、相手のストーンを越えた先で誰かが合わせて得点するパターンは、いわきの得意の形で、相手が警戒しようが何だろうと関係ない。山下の考え方も至ってシンプルだ。
「感覚的に自分の蹴ったボールの軌道や曲がり方、どれくらいの力で蹴れば良いか理解している。相手の守り方については事前にスカウティングされた情報を頭に入れているし、ゴール前に入ってくる味方を信じて蹴るだけです」
相手が対策してくることは重々承知だが「守備側はニアサイドで先に触られると対応が難しい。自分たちはそれを強みにすべく、ゴール前の入り方や各々の役割がはっきりしている」。
緻密な作業の積み重ねがあり、得点パターンは確立した。
様々なポジションでプレーすることでタフに
山下のオープンプレーについて端的に言えば、球際に強く、展開力のある中盤の選手ということになる。村主博正前監督(現:ファジアーノ岡山コーチ)が指揮を執っていたときは、宮本英治(現ファジアーノ岡山)と縦関係の連係を作り、宮本が前に上がっていったスペースをカバーすべく、跳ね返ってくるセカンドボールの回収や二次攻撃につなげる役割が目立った。
それが田村雄三監督就任以降、中盤のポジションをひと通りプレーすることになる。23年シーズンの第32節・ロアッソ熊本戦では初めてウイングバックのポジションを担うことに。それまでのサッカー人生でサイドハーフやサイドバックの経験はあったが、大外のレーンを一人でプレーするウイングバックは初めてだった。その理由について田村監督は「中盤でまとまった選手になっていたので、刺激を与えたかった。ボールが収まることや展開力は彼の特徴だが、一方で守備能力に課題があった。ボランチに戻ったときにプラスになるから意図を汲んでやって欲しい」と大きなチャレンジを促した。
山下も「1対1のデュエルは自分に足りない要素だったので、成長のためにウイングバックでプレーすることが大事だった」と振り返る。このロアッソ熊本戦を機に、山下はシーズンが終わるまでウイングバックでプレーする機会が増えていった。
ただ、ウイングバックらしいプレーに囚われるつもりはなかった。
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Profile
柿崎 優成
1996年11月29日生まれ。サッカーの出会いは2005年ドイツW杯最終予選ホーム北朝鮮戦。試合終了間際に得点した大黒将志に目を奪われて当時大阪在住だったことからガンバ大阪のサポーターになる。2022年からサッカー専門新聞エル・ゴラッソいわきFCの番記者になって未来の名プレーヤーの成長を見届けている。
