試合の主役はインフルエンサー?「スポーツ<体験」が示唆する生観戦文化の変質
TACTICAL FRONTIER~進化型サッカー評論~#20
『ポジショナルプレーのすべて』の著者で、SNSでの独自ネットワークや英語文献を読み解くスキルでアカデミック化した欧州フットボールの進化を伝えてきた結城康平氏の雑誌連載が、WEBの月刊連載としてリニューアル。国籍・プロアマ問わず最先端の理論が共有されるボーダーレス化の先に待つ“戦術革命”にフォーカスし、複雑化した現代フットボールの新しい楽しみ方を提案する。
第20回は、イベント化するスポーツ観戦の是非について。その場でしかできない特別な「体験」はイベントの盛り上げに必須だが、果たしてピッチ上の選手たち以上にそれがクローズアップされてしまうことは正しいことなのだろうか?
全米オープンの主役はインフルエンサー?
フットボールだけでなく、多くのスポーツイベントが変革の時を迎えつつある。
アメリカ・ニューヨークで開催された2025年の全米オープンは、コート上での物語だけではない理由でも議論を巻き起こした。SNSを活用したマーケティングによって、ブランドが設置したスペースではインフルエンサーが広告塔となる。観客に焦点を当てた先鋭的なブランドの1つが、ボディケアブランドとして日本でも知られる「ダヴ」だ。
同社は全米オープンの公式パートナーとして初めて参入し、ボディケアブランドとしてインフルエンサーのエステファニア・ペッソア(通称Tefi)を起用。TikTokで190万人、Instagramで40万人のフォロワーを持つ彼女は、「脇ケア特派員」として活動する機会への応募を告知し、100件を超える応募の中からニューヨーク在住のフローラ・マノンが選出された。彼女はシングルス3回戦に来場し、ブランドのためにソーシャルコンテンツを制作することになった。このソーシャルメディア上でのコンテストは2万2000件以上のエンゲージメントを生み出し、さらに「ダヴ」は会場内ブースにおいて観客に10万個以上のミニサイズのデオドラントを配布したという。
他の全米オープン公式ブランドパートナーとしては、テキーラ製造会社の「ドーベル」がある。同社は観客にカクテルを提供するのみではなく、恋愛の機会をも提供することで大会への誘因を狙った。具体的には「ゲーム、セット、マッチメイカー」という恋愛リアリティショーを、全米オープンと提携して制作したのだ。この番組はフィギュアスケーターでありインフルエンサーでもあるイラナ・セダカが司会を務め、観客同士にランダムな出会いを提供した。この番組はYouTubeでも配信されている。
これはテニスファンの間でも議論を呼び、多くの熱狂的な人々はスポーツへの侮辱だと激怒した。実際に番組内では男女がデートをするのだが、テニスについての話題は少ない。出演する若者がテニスファンというわけでもなく、単に全米オープンという大会を背景にしているだけの恋愛リアリティショーが繰り広げられる。『ニューヨーク・タイムズ』紙によれば、全米テニス協会(USTA)の広報担当者は、このシリーズの制作理由を「テニス、ポップカルチャー、そしてエンターテインメントの交差点でファンにリーチし、全く新しい視聴者層を獲得するためだ」と説明している。
また、全米オープンの会場には有名シェフが監修するフードコート、コンテンツ制作を目的としたインフルエンサーラウンジ、ラグジュアリーなショールームとして設計されたホスピタリティ・ボックスが設けられていた。このように人々の注目をコントロールすることで、イベントの企画者やスポンサーは新しい観客層や資金を集めようとしている。
一方で、スポーツが本質的に持つ価値を失わせていると懸念する声もある。
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Profile
結城 康平
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に記事を寄稿しつつ、サッカー観戦を面白くするためのアイディアを練りながら日々を過ごしている。好きなバンドは、エジンバラ出身のBlue Rose Code。
