経営破綻、資金洗浄、報告懈怠で募った不信感。フィテッセはなぜプロライセンスを剥奪されたのか?
VIER-DRIE-DRIE~現場で感じるオランダサッカー~#19
エールディビジの3強から中小クラブに下部リーグ、育成年代、さらには“オランイェ”まで。どんな試合でも楽しむ現地ファンの姿に感銘を受け、25年以上にわたって精力的に取材を続ける現場から中田徹氏がオランダサッカーの旬をお届けする。
第19回で取り上げるのは今夏、プロライセンスが剥奪されてクラブ存亡の機に立たされているフィテッセ・アーネム。オランダリーグを締め出された裏には、経営破綻、資金洗浄、報告懈怠で募った不信感があった。
7月10日、KNVB(オランダサッカー協会)のライセンス審査委員会はフィテッセのプロライセンスを剥奪した。フィテッセは31日の不服申し立て委員会でその資格を取り戻すことができず、一縷の望みを8月7日の簡易裁判に懸ける。弁護士のシンディ・スネルダースは法廷でこう訴えた。
「裁判長、私の声が震えているのがおわかりいただけるでしょう。この嘆願は心からのものです。私はアーネムで生まれ育ち、『黄色と黒(クラブカラー)』のハートを持っているのです。今日は、そのことを隠したくありません。父と娘はこのクラブのおかげで強い絆を作りました。夫は背中に『1892(クラブ設立年)』のタトゥーがありますが、将来、孫たちになぜこれを彫ったのか、説明しなければならないことを心配しています」
情ではなく、論で勝負すべき法廷だけに、スネルダース弁護士の訴えには批判もあったが、サポーターが言いたかったことを代弁してくれたと好意的な意見も多かった。本来なら即日結審のはずが、あまりの注目を集めたために翌8日に判決が読み上げられることになったものの、結果はフィテッセの敗訴。彼らは2025-26シーズンのエールステディビジ(オランダ2部)でプレーすることが許されず、9日に開幕を迎えた同リーグは奇数の19チームで開催されることになった。
KNVBカップ初優勝の裏で色濃くなったロシアの影
私がオランダに移り住んだ1998年夏は、まさにフィテッセが隆盛を極めていた時期だった。1998年3月に開場した多目的スタジアム、ヘルレドームは2万5000人の観客で常に満員。98-99シーズンは最終節でフェイエノールトに負けてエールディビジ4位となり、CL出場権獲得まであと一歩に迫っていた。
GKサンダー・ウェスターフェルト、左SBマルク・ファン・ヒントゥム、MFジョン・ファン・デン・ブロム、ミシェル・クレーク、マルタイン・ロイサー、FWミコス・マフラス、デジャン・クロビッチといった錚々(そうそう)たるメンバー。MFテオ・ヤンセン、FWマシュー・アモアーといったタレントも育ち始めていた。80年代をずっと2部で過ごしていたとは思えぬ右肩上がりの急成長に、フィテッセには明るい未来しかないようだった。

しかし、この「右肩上がりの急成長」が曲者だった。2000年2月、メインスポンサーの大手電力会社ヌオンがカレル・アールベルス会長の不正経理を見抜き更迭。さらに翌01-02シーズンを最後に同社はフィテッセのスポンサーから降りることになった。
アールベルスは小クラブだったフィテッセを強豪に育て、ヘルレドーム構想を実現させたアイディアマンでもある。いわば大貢献者だったのだが、ピッチ内外の「右肩上がりの急成長」の裏には、後先を考えていない博打経営があった。彼が追われた後、それまで顕在化しなかった債務が浮き彫りになり、しかもヌオンという大企業のスポンサーがいなくなったため、フィテッセは資金繰りに苦労。瞬く間にチームは弱体化して03-04シーズンは16位に沈み、昇降格プレーオフの末に辛うじて1部残留を果たした。同時に観客動員数も伸び悩むようになると、破産の危機に陥ったクラブは一時、身の丈にあった経営方針に転じている。
10年にジョージア人のマレブ・ヨルダニアがフィテッセの経営権を握ってから、13年にはアレクサンドル・チギリンスキ、18年にはバレリ・オイフと2人続いてロシアのオリガルヒがオーナーに就いた。この時期のフィテッセの経営は積極そのもの。オーナーたちがロマン・アブラモビッチと昵懇の仲だったため、チェルシーから若手有望株を借りながら好チームを作ると、13-14シーズンのエールディビジ前半戦を首位で折り返したこともあった(最終成績は6位)。16-17シーズンはKNVBカップを制し、クラブ史上初めて主要タイトルに手が届く。潤沢なロシアマネーにも支えられ、安田理大、ハーフナー・マイク、太田宏介と3人の日本人選手を獲得したのも、記憶に新しい。

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Profile
中田 徹
メキシコW杯のブラジル対フランスを超える試合を見たい、ボンボネーラの興奮を超える現場へ行きたい……。その気持ちが観戦、取材のモチベーション。どんな試合でも楽しそうにサッカーを見るオランダ人の姿に啓発され、中小クラブの取材にも力を注いでいる。
