サッキ・ミランの「ゾーナル・プレッシング」。普遍化した中で受け継がれなかった「1ライン化」がバルセロナで復活か?
新・戦術リストランテ VOL.76
footballista創刊時から続く名物連載がWEBへ移籍。マエストロ・西部謙司が、国内外の注目チームの戦術的な隠し味、ビッグマッチの駆け引きを味わい尽くす試合解説をわかりやすくお届け!
第76回は、クライフの「ドリームチーム」に続く伝説チーム分析の第二弾、サッキ・ミランの「ゾーナル・プレッシング」について掘り下げる。現代ではすっかり「普通」になった戦術だが、受け継がれなかった部分がバルセロナで復活しつつあるのが興味深い。
現代では「普通」になってしまった偉大なチーム
以前、「ドリームチーム」のバルセロナを取り上げました。今回は伝説のチーム第二弾、アリーゴ・サッキ監督のACミランを振り返ってみます。
サッキ監督の就任は87-88シーズン、4シーズン指揮を執って退任しています。その間の戦績は最初の87-88にリーグ優勝、88-89はチャンピオンズカップ優勝、89-90チャンピオンズカップ連覇、最後の90-91はリーグ2位、チャンピオンズカップは準々決勝で敗退しています。
輝かしい戦績ではありますがセリエA優勝は最初のシーズンだけで、その後は3位、2位、2位。成績でいえば後任のファビオ・カペッロ監督時代の方が凄いです。セリエA優勝4回、チャンピオンズカップも1回制していて「グランデ・ミラン」と呼ばれた黄金期を築いています。
しかし、サッキ監督下の4シーズンは成績とは別の価値がありました。ゾーナル・プレッシングという革新的な戦術です。
戦術史的にミラン以前と以後に分けられるくらい大きな影響を与えています。その名の通り、ゾーンディフェンスとプレッシングを掛け合わせたところに新しさがあり、最初にチャンピオンズカップを制した88-89シーズンはレアル・マドリーを5-0で粉砕し、決勝でもステアウア・ブカレストに4-0。それまでと異質なサッカーは衝撃的でした。「他の惑星から来たチーム」という表現が稀に使われます。50年代のハンガリー代表や70年代のオランダ代表がそうでしたが、ミランもまさにそういうチームだったわけです。
ただ、今になって当時の映像を見返してみると、さほど衝撃的ではありません。以前取り上げたクライフのバルセロナは、今になって見返してもそれなりに衝撃的です。ところがミランにはそれがない。当時のミランを知らない人が見ても、たぶんそうではないかと思います。もちろん、所々に「へぇ」と感じる部分はあるとしても、大半は「普通だな」という印象でしょう。
なぜかというと、当時のミランのプレースタイルはほぼ現在のサッカーと同じだからです。それだけ後世への影響が大きく、その点はバルセロナでしか受け継がれなかったドリームチームとの大きな違いでもあるわけです。
「自動化」を成立させた革新的トレーニング手法
サッキ監督は「プレッシングは私の発明ではない」と言っています。
元になっているのはリヌス・ミケルス監督がアヤックス、オランダ代表で見せた「ボール狩り」で、エルンスト・ハッペル監督のハンブルク、70年代後半から黄金時代を築いたリバプール、7つのリーグで優勝したトミスラフ・イビッチ監督率いるチームがありました。ゾーナル・プレッシングはあちこちでその芽を出していたわけです。
ただ、それらの影響を受けて現れたミランは最も成功したチームでした。サッキ監督は、自分の発明ではないがトレーニングでの落とし込みは自分の功績だと自負しています。練習場に建設したミニコートでのノンストップゲーム、4対10で守るトレーニングなどを通じてチームをまとめています。マンツーマン+リベロが支配的な当時のイタリアで、革新的な戦術をごく短期間に仕込んだ。対戦相手に免疫がなかったとはいえ、最初のシーズンから驚異的な効果を発揮させた手腕は見事でした。
トヨタカップで来日した時、西が丘サッカー場での練習を見たことがあります。
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Profile
西部 謙司
1962年9月27日、東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、会社員を経て、学研『ストライカー』の編集部勤務。95~98年にフランスのパリに住み、欧州サッカーを取材。02年にフリーランスとなる。『戦術リストランテV サッカーの解釈を変える最先端の戦術用語』(小社刊)が発売中。
