開幕ベンチから定位置を掴み取ったサガン鳥栖の新守護神。「何でもできるGK」を目指す泉森涼太のこれまでとこれから

プロビンチャの息吹~サガンリポート~ 第16回
この人が定位置を確保してから、まだリーグ戦では2試合しか負けていない。鹿児島ユナイテッドFCから移籍してきたサガン鳥栖の新守護神、泉森涼太の存在感は日に日に増し続けている。では、開幕ベンチスタートからスタメン出場を掴むまで、あるいはもともとプロサッカー選手になるまで、泉森はどういう日々を過ごしてきたのだろうか。今回もおなじみの杉山文宣が本人の言葉をすくいつつ、その人となりに迫る。
第5節で巡ってきたスタメンのチャンス
6月3日、サガン鳥栖はヤン・ハンビンの城南FC(韓国2部)への完全移籍を発表した。今季から就任した小菊昭雄監督がセレッソ大阪時代にも指導し、正GK筆頭候補として獲得を望んだのがヤン・ハンビンだったが、この時点でこうなることを予想できた人はいないだろう。その背景にあったのは同じく、今季から鳥栖に加わった泉森涼太の台頭だった。
「正直、キャンプでビルドアップの練習に入ったときに、戸惑いやうまくできないという感じがありました」
泉森は加入直後の沖縄キャンプをそう振り返る。実際にキャンプでは目立つ存在ではなく、GKとしてのパフォーマンスはヤン・ハンビンのほうが際立っていた。開幕戦でゴールマウスを守ったのもヤン・ハンビンだったが、チームがハイライン戦術を敷くなかで、ハイラインの背後の広大なスペースのケアがGKにとって大きなタスクとなった。
しかし、ヤン・ハンビンは長身を生かしたクロス対応や長い手足を生かしたシュートストップが持ち味。ハイラインのケアという部分で危うさを見せると、第2節のジュビロ磐田戦ではその処理を誤ったところから、決勝点を奪われてしまう。結局、チームは開幕3連敗を喫し、第4節・いわきFC戦で引き分けるものの開幕4試合未勝利。優勝を目指すチームにとって痛恨のスタートとなってしまった。
ここで小菊監督は一つの決断を下す。第5節・RB大宮アルディージャ戦でGKとしてピッチに送り出したのはヤン・ハンビンではなく、泉森だった。
セレッソ大阪とガンバ大阪。両ユースに突き付けられた“不合格”
「小学校1年生の終わりくらいにサッカーを始めたんですけど、そのきっかけはお兄ちゃんがサッカーをやっていてFWだったんですよ。それでお兄ちゃんのシュート練習にずっと付き合っていて、最初はフィールドプレーヤーをやっていたんですけど、2年生の終わりくらいにフットサルの大会でGKをやる機会があって。そのときにGKにハマって、そこからずっとGKです」
泉森のGK人生はサッカー人生とほぼ重なっている。FWの兄の練習に付き合わされると自然とシュートストップ役を担わされた。とはいえ、子どもにとっては“花形”とは言い難いGKのポジション。ただ、泉森は単純だった。
「初めてGKとしてプレーしたときにけっこう、シュートを止めたんですよ。そしたらコーチから『天才GKや!』って言われて、それで気持ち良くなっちゃって(笑)。そこからシュートを止めるのが楽しいという感じになりました。もちろん、シュートを決めるのも楽しいし、いまでもシュート決めたいなと思っているんですけど、止めるほうが楽しいなっていう気持ちです」

以来、GK一筋を貫いてきた。サッカーに、そして、GKというポジションにのめり込んでいったが、徐々にプロに進みたいという気持ちも抱き始める。その逆算から高校からはJクラブのユースに進むことを目指すが、そこで一つの挫折を味わうことになった。
「高校に進学するとき、僕、本当はユースに行きたかったんですよ。セレッソ大阪とガンバ大阪のセレクションを受けたんですけど、どっちのGKコーチからも『技術は問題ないんだけどね』と言われて。そして、『身長はいくつ?』『お父さん、お母さんの身長はどれくらい?』と聞かれました。(不合格だったのを)身長のせいにはしたくないんですけど、それで(Jクラブのユースには)行けませんでした」
ジュビロ磐田のキャンプ参加で思い知ったプロの水準
不合格の理由が身長だったとはっきり言われたわけではない。「コンプレックスとまではいかないですよ」と笑いつつも、身長のことを聞かれたことは当時の泉森にとって心にチクリと突き刺さった。
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Profile
杉山 文宣
福岡県生まれ。大学卒業後、フリーランスとしての活動を開始。2008年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフ千葉、ジュビロ磐田、栃木SC、横浜FC、アビスパ福岡の担当を歴任し、現在はサガン鳥栖とV・ファーレン長崎を担当。Jリーグを中心に取材活動を行っている。