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「サガン」であることへの原点回帰。初めてのJ1昇格時の立役者、サガン鳥栖・木谷公亮監督が自身の中心に据える圧倒的クラブ愛

2024.09.18

プロビンチャの息吹~サガンリポート~ 第7回

8月。サガン鳥栖は指揮官の交代を決断する。川井健太監督から、木谷公亮監督へ。クラブが初めてJ1へと昇格した際に、選手としてチームを支えたOBへ、残留へのバトンは託された。だが、Jリーグで指揮を執った経験を持たない“新人監督”に、現実は容赦なく襲い掛かる。就任からここまでの公式戦は1分け5敗。依然として苦境を脱するには至っていない。今回はおなじみの杉山文宣が、この状況でオファーを受け入れた指揮官の思いを汲みながら、木谷サガンの現在地をあぶり出す。

“新人監督”の電撃就任。クラブへの思いが迷いを消し去る

 8月9日、鳥栖から2つのクラブリリースが発表された。一つは川井健太監督との契約解除。そして、もう一つは木谷公亮新監督就任。新監督となった木谷はそのわずか10日前にテクニカルダイレクターへの就任が発表されたばかり。まさに青天の霹靂とも言うような電撃的な監督交代劇となった。

 指揮を託された段階で鳥栖の順位は19位で残留圏内との勝点差は3。これまでトップチームでの指揮の経験が無かった”新人監督“が託されるにはあまりに重い命運だったが、選手としてクラブの史上初のJ1昇格に貢献したOBに迷いはなかった。

 「クラブから打診を受けて、私自身に迷うことはありませんでした」

 就任への迷いを消し去ったのはクラブへの思いだった。選手として3年半を過ごし、引退後もトップチームのコーチに据えてくれたクラブへの感謝の思いは強い。19年からは仙台でトップチームやユースの監督を歴任したが、家族を佐賀に置いての単身赴任の生活であり、「鳥栖というクラブに対する思いもありますし、街自体への思いもスタジアムへの思いもある」と言い切るほどの思いが胸の中にはあった。そんなクラブが迎える過去最大規模の窮地。困難なタスクであることは容易に理解できたが、すぐに鳥栖への思いが監督受諾という行動となった。

就任から2日後の浦和戦で窺えた確かな変化

 就任直後、選手たちに伝えたのは3つのキーワードだった。「エネルギー」、「走ること」、そして、「前」。鳥栖というクラブの印象を問うたときに多くの人々が想像するであろう「前に戦うところや走るところ、どんどん前に出ていくところ」と選手たちに強く訴えかけた。

 近年はロジックをベースとしたスタイルに舵を切ってきたチームにあって原点回帰とも言うべき選択だったが、その伝統の下で選手として昇格をつかみ取った木谷監督を組織の長に据えることでJ1死守を目指すこととなった。

 就任からわずか2日で迎えた初陣のJ1第26節・浦和レッズ戦。短い準備期間ながらチームは確かな変化を見せた。保持傾向が強かった前体制からリスクを軽減する狙いも込めてロングボールの使用比率を高め、守備では[4-4-2]の形をベースとしたブロック守備を展開。極めてオーソドックスな守備体系だったが、それまでの保持のために体系を崩した状態でのボールロスト、バランスの悪さを突かれての被カウンターというシーンはこの試合ではほとんど見られなかった。

 ミスからのカウンターで失点を喫したが、同点に追いつく粘りも発揮。わずか2日という準備期間で迎えた初陣としては勝点1という結果はその内容とともにチームにとっても木谷監督にとってもポジティブなものだった。

J1第26節、浦和戦のハイライト動画

サポーターへの練習公開。強く意識したのは「地元の方々との”結び付き」

 それでも、木谷監督のこの苦境を何とかしたいという思いはピッチ内の取り組みだけには収まらなかった。それまではサポーターには練習を公開することがほとんどなかったが、木谷監督は就任すると自らクラブに働きかけ、サポーターに練習を公開するようになった。その意図について聞くと木谷監督はこう答えた。……

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Profile

杉山 文宣

福岡県生まれ。大学卒業後、フリーランスとしての活動を開始。2008年からサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフ千葉、ジュビロ磐田、栃木SC、横浜FC、アビスパ福岡の担当を歴任し、現在はサガン鳥栖とV・ファーレン長崎を担当。Jリーグを中心に取材活動を行っている。

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