ムバッペが背負ってきたもの。「もはや物事を無理に進めようとは思わない」25歳の境地
おいしいフランスフット #4
1992年に渡欧し、パリを拠点にして25年余り。現地で取材を続けてきた小川由紀子が、多民族・多文化が融合するフランスらしい、その味わい豊かなサッカーの風景を綴る。
footballista誌から続くWEB月刊連載の第4回(通算162回)は、2017年にモナコから加入して7年、ついにパリを去ることになった若きレジェンドが、母国のサッカー界に残した功績について。
「自分のできることはすべてやり尽くしたから、胸を張って去るよ」
キリアン・ムバッペが、今季限りでパリ・サンジェルマンを退団し、フランスリーグを去ることを正式に発表した。今季終了時で満了となる契約を延長していなかったから、ほぼわかっていたことではあったけれど、ようやく彼の口からはっきりと伝えられた。
CL準決勝でボルシア・ドルトムントに屈し、敗退が決定した日から3日後の5月10日、ムバッペは自身のSNSに投稿した3分間ほどのビデオメッセージの中で、さらなる成長を求める自分にとってこれは必要な選択であると語り、ファンを筆頭に、チームメイトやクラブスタッフたちに向けて丁寧に感謝とお礼を述べた。
そして週末の12日、リーグ1第33節のトゥールーズ戦で、パルク・デ・プランスでの最後の試合に臨んだ。ムバッペは開始早々に鮮やかな先制ゴールを決めて有終の美を飾る……ところだったが、結果は残念ながら1-3の逆転負け。勝利で締めくくることはできなかった。
その翌日には、毎年恒例のリーグのアワード授賞式があり、彼は5回目の年間最優秀選手賞を受け取った。そこでの受賞スピーチはなかなか感動的で、会場にいた父親やチームメイトのウスマン・デンベレの目には光るものがあった。以下、一部中略しつつスピーチの内容をご紹介する。
新たなページをめくる時が来た。一つの章が終わったんだ。
リーグ1は、僕のキャリアで重要なパートを締めている。特に今の時点では、僕はこのリーグしか知らないのだから。
毎試合、このリーグにとって誇れる存在であれるよう、僕は自分の持てる最高のものを出し尽くそうと頑張ってきた。
自分のできることはすべてやり尽くしたから、胸を張って去るよ。でも、これまでプレーしてきたクラブ、モナコ、そしてパリ・サンジェルマンがなかったら、それを成し遂げることはできなかった。
自分に信頼を寄せてくれた監督たちに感謝している。すでにここにはいない選手も含めたチームメイト、それからスタッフ、メディカルスタッフ、スポーツディレクター、会長、そしてオーナー。(カタール)首長は18歳だった僕を見出して、僕に賭けてくれた。
そして僕を常にサポートしてくれた家族。
対戦相手も含めて、大勢が直接的にも間接的にも僕のキャリアに影響を及ぼしてくれた。
今日、僕は感謝の言葉を伝えるために、そして自分に託された信頼に報いるためにここにいる。ここまで長い道のりだった。このリーグの歴史の一部において自分の役割を果たせたことを、とてもうれしく思っている。
それでも彼は「裏切り者」なのか?
……
Profile
小川 由紀子
ブリティッシュロックに浸りたくて92年に渡英。96年より取材活動を始める。その年のEUROでイングランドが敗退したウェンブリーでの瞬間はいまだに胸が痛い思い出。その後パリに引っ越し、F1、自転車、バスケなどにも幅を広げつつ、フェロー諸島やブルネイ、マルタといった小国を中心に43カ国でサッカーを見て歩く。地味な話題に興味をそそられがちで、超遅咲きのジャズピアニストを志しているが、万年ビギナー。