川崎Fと監督業に捧げた40代。分析から改善までの試行錯誤に表れる鬼木達の流儀
フロンターレ最前線#3
「どんな形でもタイトルを獲ることで、その時の空気感を選手に味わってほしい。次の世代にも伝えていってほしいと思っています」――過渡期を迎えながらも鬼木達監督の下で粘り強く戦い、再び優勝争いの常連を目指す川崎フロンターレ。その“最前線”に立つ青と黒の戦士たちの物語を、2009年から取材する番記者のいしかわごう氏が紡いでいく。
第3回では知命を迎えたばかりの鬼木監督について。40代を終えた今、対戦相手の分析や自チームの改善に日々、心身を捧げている仕事の流儀に迫った。
「結局、気になっちゃう」監督として駆け抜けてきた本音
4月20日、J1第9節の東京ヴェルディ戦当日、鬼木達監督は50歳の誕生日を迎えた。
この試合に向けた公開練習後、麻生グラウンドでは報道陣が数日早い誕生日ケーキでお祝い。内緒で準備を進めていたサプライズだったため、指揮官は驚きながらも「うれしいなぁ。ありがとうございます」と笑顔を見せた。
40代が終わるということで「40代ってどんな10年でしたか」とこの時の囲み取材で聞いてみた。こういうタイミングじゃないと聞く機会のない話題だというのもあるが、鬼木監督の仕事に対するスタンスや人生観も垣間見れるかもしれないと思ったからだ。
「駆け抜けてきた感じがありますね」というのが、40代を振り返った回答だった。そして、その歩みを少し振り返って言葉を続けてくれた。
「自分が監督になったのが42、43歳ですよね。(監督業に)毎日毎日追われてる感じで、必死にやっていた感じがあります。長くなってくれば、もっといろんなものを省いてスマートにやれるかなと思ってましたが、むしろやることが増えていってるような気がします(笑)。経験とかで、もうちょっと上手に生きていけたらなと思いますけどね」
指揮官としての歩みを振り返ると、初めて監督を任された2017年に川崎フロンターレでJ1初制覇を成し遂げた。これを皮切りにリーグ優勝は通算4回、天皇杯は2回、ルヴァン杯1回と合計7冠をクラブにもたらしている。現在は8シーズン目。これは2002~11年にガンバ大阪を指揮した西野朗監督の10シーズンに次いで、J1クラブ歴代単独2位の長期政権である。すでにJリーグ史に名を残す名将と言っていいだろう。
そして自身の40代の多く費やした監督という仕事は、もはや人生と切っても切り離せないものになっていると言える。「駆け抜けてきた」「毎日毎日、追われるように」という言葉は、日々の監督業に自分の時間のほとんどを注いできた実感がなければ出てこないものだからだ。
自身は指揮官として多くの成功体験を積み、長期政権を築いている。それだけ試合の準備を含めたチーム体制には効率化や分業化もずいぶんと進んでいるのかと思ったが、どうやらそうではないようだった。そうした本音のような言葉が興味深かった。
「結局、気になっちゃうんですよね、いろんなことが。でも、人に任せられるところもあるので、そこらへんは上手にやっていきたいなっていう……すごい真面目な話になってしまいますね(笑)」
例えば試合に向けた準備の一環であるスカウティング作業。どんな過密日程であろうと、対戦相手の映像は最低でも直近3試合を自分の目で必ずチェックして分析していると話してくれたことがある。連戦ではなく試合間隔が1週間空いている時は、おそらくもっと遡った試合を見ているのだろう。
川崎フロンターレには分析担当スタッフが複数人いるので、彼らのレポートやクリップを見れば、時間をかけずとも相手の情報やポイントを整理できるはずだが、そこは決して効率化しない。自分の不安や心配をなくし、隅から隅まで目を届かせることで勝つ確率を少しでも上げるためだろう。あらゆるシミュレーションをするには、細部まで徹底して自分が汗をかく地道な作業が欠かせないというわけだ。それが鬼木監督の流儀であり、タイトルを獲り続けている理由の1つでもある。
「自信を持ってやろう」あえて見せたミス集も中1日で自作
さらに自分たちの改善に注ぐ労力は、相手の分析や対策以上と言える。……
Profile
いしかわごう
北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。Twitterアカウント:@ishikawago